『中国「歴史認識」の正体』2

<『中国「歴史認識」の正体』2>
図書館で『中国「歴史認識」の正体』という本を手にしたのです。
まるで、ネトウヨのような石平さんの舌鋒がすごいでぇ♪
生活のためとはいえ売国奴のような論調の石平さんであるが、その経歴を見ると愛国的であることが分かります。


【中国「歴史認識」の正体】
中国

石平著、 宝島社、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
「ご都合主義」でつくられる中国史の病巣。日本軍から逃げていただけの「抗日戦争」、尖閣諸島領有権、南京大虐殺ー。捏造された中国史観は打ち破れるか!嘘が真実に変えられる!

<読む前の大使寸評>
まるで、ネトウヨのような石平さんの舌鋒がすごいでぇ♪
生活のためとはいえ売国奴のような論調の石平さんであるが、その経歴を見ると愛国的であることが分かります。

rakuten中国「歴史認識」の正体


中国の歴史学あたりを見てみましょう。
p52~55
<辛亥革命で訪れた文明開化>
 天命思想と正統思想に基づく「二十四史」の歴史観は、中国人を何千年も支配してきた。しかし、この支配が終わるかに思えた時期が存在する。それが辛亥革命(1911~1912年)後に現れた中華民国による大陸統治時代(1912~1949年)だ。

 辛亥革命によって清王朝が打倒されると、古代以来続いていた皇帝が支配する専制国家は廃され、中国には共和制国家である中華民国が誕生した。ただし、権力基盤の不安定な中華民国は軍閥が割拠する内戦状態に突入する。

 辛亥革命を主導した孫文の死後には、蒋介石が中心となり、全国統一を目指す「北伐」を行う。1928年に北伐が完了すると、内戦状態は落ち着き、中華民国は束の間の平和・安定期を迎える。その後、日中戦争(1937~1945年)や、中国共産党との戦いである国共内戦(1946~1950年)を経て、中華民国は大陸から撤退。現在のように台湾を拠点にするようになった。

 革命の気運が高まった清王朝末期から、中華民国が大陸を統治し、なおかつ比較的平和だった1937年までは、中国で歴史上初めて、近代科学が花開いた時代だ。

 ちょうど日本の文明開化期のように、中国には欧米諸国や日本からさまざまな文化・文明が一気に流入した。いろんな大学も設立され、そこで近代学問が本格的に扱われるようになる。

 その意味では、中華民国による大陸統治時代は自由闊達な議論が行われた「百家争鳴」の時代だった。いろいろな人物が出てきて、近代科学に基いた新たな学問を提唱していった。まさに啓蒙時代である。

<梁啓超による伝統史学の批判と「新史学」の提唱>
 この啓蒙時代においては、政治・経済はもちろんのこと、歴史学の分野でも近代化が進められた。中華民国は古代から続いてきた易姓革命ではなく、近代的な市民革命によって誕生した国だ。長い呪縛から解き放たれ、歴史の作り手は官僚ではなく、政治から独立した学者が行われるようになった。

 清王朝までの歴史学は、新しい王朝が自分たちを正当化して、前の王朝を貶めるためのものだった。一方、中華民国の学者たちは、政府におもねることなく、自由に学問を追及する。歴史を道具にした王朝美化・正当化の繰り返しがようやく終り、歴史学は初めて公正で客観的な学問となったのである。

 近代科学に基づくこの時代の歴史学は「新史学」と呼ばれる。「新史学」の流れを作ったのが梁啓超(1873~1929年)だ。梁啓超は清王朝の官僚だったが、内部改革を行おうとして失敗。日本に亡命して近代学問を多く勉強し、再び中国に戻って新しい学問を提唱した。
 最初に伝統史学への痛烈な批判を梁啓超が行うようになったのは、亡命先である日本においてだ。『新史学篇』という著作の中で、「中国の二十四史は歴史ではない。単なる二十四家の家譜にすぎない」と伝統的な歴史書を鋭く批判。この『新史学篇』というタイトルから、「新史学」という言葉が生まれた。

 梁啓超は近代科学の観点から、二十四史とは李家とか、朱家のような各王朝を創始した一族の「家譜」でしかない、と論じた。皇帝一族の「家譜」である以上、その内容は一族を賛美するものとなる。結局、二十四史は以前の王朝の歴史を悪く書くように歪曲しながら、現在の王朝の正統性を主張するための粉飾と美化に終始する。そこには本当の歴史はないのである。


梁啓超についてウィキペディアを覗いてみました。孫文に匹敵するほどの存在だったようです。

wikipedia梁啓超より
梁

【思想・評価】
・現在の中国語にも多くの和製漢語が使用されているが、その端緒を開いたのは梁啓超であった。胡適・毛沢東をはじめ、感化を受けた清末青年は多く、その意味でジャーナリストとしての梁は大きな足跡を残した。

・梁啓超は知識や学問について書いた文章で、フランスのヴォルテール、日本の福澤諭吉、ロシアのトルストイを「世界三大啓蒙思想家」のトップとして紹介し、三人の生涯や功績を紹介している。

・革命主義的な政治手法を激しく批判し、「開明専制」という国家主義的な思想を展開したこともあって、長らくその評価はあまり芳しいものではなかった。しかし日本における近年の中国近代史研究においては、梁啓超は研究対象として最も扱われている知識人となり、その存在感は孫文以上であると言っても過言ではなくなっている。その理由は、1980年代以降に起こった歴史学における分析視座の変化と大きく関わっている。


『中国「歴史認識」の正体』1

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