『栽培植物と農耕の起源』

<『栽培植物と農耕の起源』>
図書館で『栽培植物と農耕の起源』という新書を手にしたのです。
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪


【栽培植物と農耕の起源】
農耕

中尾佐助著、岩波書店、1984年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につき、データなし

<読む前の大使寸評>
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪

rakuten栽培植物と農耕の起源


巻頭の前書きを、見てみましょう。格調高いなァ♪
pⅱ~ⅲ
 「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い。農作物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。

 しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。

 これが日本語になると、もっぱら「心を耕す」方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい。

 文化の出発点が耕すことであるという認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の未開社会に接触し調査した結果、あるいは考古学的研究、あるいは書斎における思索などを総合した結論である。人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大発展をおこしてきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、「カルチャー」という言葉で、「文化」を代表させる態度は賢明といえよう。

 人類はかつて猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった現代にまでやってきた。その間に経過した時間は数千年でなく、万年単位の長さである。また、その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である。近代文明が高度の文化の花を開かせた国においても、食物生産に全労働量の過半を必要とした時代は、ついこのあいだまでの状態であった、とはいえないか?

 人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、芸術や学術のためよりも、食べる物を生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業の流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。このように人類文化の根源であり、また文化の過半を占めるともいい得る農業の起源と発達をこれからながめてみよう。
(中略)

 農耕文化は文化財に満ちみちている。農具や農作技術は、原始的どころか、全世界のほとんどの農耕民のものがそのまま驚くばかり進歩したものになっている。その一つずつに起源があり、また伝播があり、発達や変遷があるが、そのすべてをときあかすことは、人類の全歴史をあらためて述べることになるほどであるが、ここではその大筋だけを述べてみよう。


イラチな大使ですいませんが、この本の「あとがき」を紹介します。
p191~192
 こんな内容を書いた本はまだどこにもない。しかし今はもうこれを書かねばならない時代になってきたと思う。
 農業の起源と発達の歴史は、20世紀までの人類の歴史の中心的事実であったのだし、それは今まであまりに断片的にしか報告されていなかったからだ。「農業の歴史は栽培植物の中に書きこまれている」というプリンシプルを前提として、この本に書かれている体系ができあがってきた。そうして、その結果は、従来の歴史観・世界観とたいへんに違ったものになった。

 バナナやサトウキビを開発して立派な作物にしたこと、あるいはジャガイモを寒い気候に適するイモにして開発してきた成果・・・それらが人類の生活のためにつくした貢献を考えてみよう。それを蒸気機関や原子力開発とならべて比較してみてもよいだろう。そして誰が、いつ、どこで、そのすばらしい貢献をしたのかを中心として考えると、全世界史の体系は一変する。それは権力や戦争の歴史でもなく、芸術やいわゆる消費的文化の歴史ともまったく違った、全世界の民衆が参加してできてきた農業の歴史がうかびあがってくるのである。
(中略)

 考えてみると、私がこの問題に興味をいだきはじめてからいつのまにか25年以上もたってしまった。北朝鮮の狼林山脈の中で春播きコムギの畑の中に混じった半脱落性のライムギの存在に驚いたのは昭和15年だったし、ミクロネシアのポナペ島で南洋興発会社の宿舎にとまって、パンノキやヤムイモを調べていたのは太平洋戦争直前の昭和16年の夏だった。それから東アジア各地やヒマラヤ地域にわたり、合計12回の探検調査の結果、この本の体系ができてきた。

 その間にいろいろの人たちに一方ならぬ御指導、御援助をいただいた。とくに植物学では木原均博士、生態学では今西錦司博士から親しく教えを受けることができたのは何よりも幸いであった。また京都大学人文科学研究所の「人類の比較社会学的研究」のグループで一緒に討論して研究した皆さんのおかげも大きい。ここで皆々さんに深く感謝したいと思います。

               昭和41年1月                           中尾佐助

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