『芸術闘争論』3

<『芸術闘争論』3>
図書館で『芸術闘争論』という本を手にしたのです。
この本を読んで・・・
今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。


【芸術闘争論】
村上

村上隆著、幻冬舎、2010年刊

<「BOOK」データベース>より
日本芸術界の欺瞞の歴史と、その安楽な生き方と、闘う。
【目次】
第1章 今日のアートー情況と歴史(美術、アート、芸術、横文字の「ART」/「西欧式のART」とは何か ほか)/第2章 鑑賞編(『現役美大生の現代美術展』という実践/洗脳解除 ほか)/第3章 実作編(絵を作る/コンテクストと個性 ほか)/第4章 未来編ーアーティストへの道(日本のロウアートマーケット/アートの地政学 ほか)

<読む前の大使寸評>
この本を読んで・・・
今では功成った村上さんから、現代芸術という海千山千の世界で戦うノウハウが得られるのではないかと思った次第です。

rakuten芸術闘争論


村上春樹を引き合いに出して純粋性を語っているので、見てみましょう。
p177~178
<純粋な芸術はあるか>
 では、純粋な芸術なんてあるのか。村上春樹の小説は純粋小説か。例えば、そういう設問を考えてみましょう。村上春樹はベストセラーの作家で、本人は純文学をやっているという意識はあると思います。ベストセラーセラー作家として世間にも文学界にも認知されていましたが、文壇からは長い間冷遇されていました。

 ぼくには専門的な純文学の定義など知りませんが、村上春樹はやはり純文学を描いている小説家だと思います。いくらコマーシャルな作品を作っていても、その内容によって純粋性が決まってくる。純粋性とは何かといえば、ものを作る完成度の高さ、ものを作っていく方向性の設定の仕方です。例えば、ぼくはこの章で構図法を説明しましたが、構図法でも徹底的にやるものとそうでないものとでは最終的にでき上がってくる純粋性というのは違います。

 純粋性というのは作品を制作する誠意というふうに考えてみてもいい。例えば、テレビコマーシャルを作っている監督さんでも誠意があるものを作り続けていると、非常に高いクオリティの人の心に届くものができてくる。だから、もし、ぼくに「純粋な芸術というものがあると思いますか」という質問をする人がいたら「はい、あります」と答えます。


救済としての芸術を語っているので、見てみましょう。
p182~184
<心の救済>
 芸術でいちばん大切なものは、構図、圧力、コンテクスト、個性の四つです。コンテクストというのはその作品が歴史、状況の中でどういう意味を重層的にもっているのかをいいます。それがたくさん串刺しになっている方がいいと説明しました。

 ぼくは『芸術起業論』で「芸術の世界で取引されているのは、人の心」「アーティストの目的は人の心の救済である」と書いています。それはコンテクストではなくて圧力です。

 歴史的重層的な意味というよりも、構図とか圧力とか個性がコンケクストに盛り込まれるとしたらこの圧力の部分で人の心の救済がある。

 最近、ぼくが買っている作品の話をすると、オタク絵みたいだけど少し下手な絵、オタク絵として雑誌の表紙を飾ることはないけれども、先ほど言った私小説的、内向的な作品をよく買っています。それはぼくの心を救済してくれているからです。

 ぼくの心のマトリックスがどうなっているかというと、オタクへのコンプレックス、宮崎駿症候群、ガイナックス・・・・いろいろなものがあります。この世界にオタクエリアというものがあるとすると、ぼくはオタクエリアに入れませんでした。だから、オタクエリアに入れなかった、今も入れなさそうな人たちの作品をみると、本当に哀しさと憐れみと同胞感がわいてきます。

 「オタク絵みたいだけれど少し下手な絵」。そういう作品を見ているとぼく自身を見ているような気がして、救われるんですよね。ぼく自身とは何かと言えばそういう半端者だということでしょうか。

 そういう心の救済を与える作家の中でも、とりわけ大きなドラマを持っていたのが何度も述べたようにゴッホ。あと、日本人が好きなのはエゴン・シーレです。神経質な自画像やエロチックな女性の絵を描きましたが、28歳で早世しました。

 こういう悲劇のストーリーというのはどういうわけか人の心をひきつけ、人を救済します。
 先ほど述べた小説ではありませんが、物語、お話というのはなぜ必要なのか。人間がどうしても芸術にたどり着かなくてはいけないのはなぜか。たしかなことはわかりませんが、犬ですら遊びを欲するのに、人間は高度な遊びとして精神的なバランスをとる知的なゲームをせずにいられないからなのでしょう。

 そのゲームの中に、ある種の哀しさ、真実があるとすれば、自分が生まれてきていずれ死ぬ、自分が生まれてきたことが無意味であるということに気がつく瞬間に、それでも無意味ではないのかもしれないと自分を納得させるためにお話をつくらないと生きていけない。ほとんどの宗教はそういう構造を持っているのではないかと思います。

 宗教的な部分に救済を求めるのは当たり前ですが、絵画は先に書いたように宗教とともに歩んできたので救済装置として長けている。音楽もそうだと思いますが絵画、彫刻というのは救済構造にとりわけ長けています。

村上展1

この本も村上隆アンソロジーに収めておくものとします。

『芸術闘争論』1
『芸術闘争論』2

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