『中国を考える』3

<『中国を考える』3>
図書館で『中国を考える』という文庫本を手にしたのです。
司馬遼太郎と陳舜臣との対談ということだが・・・・
同年輩で、ともに関西出身のお二人の対談は、なかなかいい雰囲気やでぇ♪


【中国を考える】
中国

司馬遼太郎, 陳舜臣著、文藝春秋、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
古来、日本と中国は密接な関係を保ってきた。だが現実には、中国人は日本にとって極めて判りにくい民族なのではないか。ぶつからないためには理解すること、理解するためには知ることー両国の歴史に造詣の深い二大家が、この隣人をどのように捉えるべきか、長い歴史を踏まえて深く思索する中国論・日本論。
【目次】
第1章 東夷北狄と中国の二千年/第2章 近代における中国と日本の明暗/第3章 日本の侵略と大陸の荒廃/第4章 シルクロード、その歴史と魅力

<読む前の大使寸評>
同年輩で、ともに関西出身のお二人の対談は、なかなかいい雰囲気やでぇ♪

rakuten中国を考える

 
シルクロードのあたりを見てみましょう。
この対談は1977年10月に行われているが、何と言ってもシルクロードの第一人者でもあるお二人の対談は、ええでぇ♪
西域

p199~203
シルクロード、その歴史と魅力より
司馬:ぼくは初めてだったけど、西域は、陳さんは今度で二度目。・・・

陳:そう、新疆は二度ですけどね、甘粛省の敦煌をあわせたら西域は三度目ですわ。

司馬:文章その他から察するに、陳さんの西域好きは相当なものやなあ。学生時代にインド語やイラン語を専攻したのもそのせいとちがう? ウイグル語科があったら、ウイグル語やったにちがいない。

陳:そうかもしれないね。でも、ウイグル語科っていまでもないね。トルコ語もない。どうしてだろう。

司馬:大阪大学に山田さんというウイグル語の権威がいらっしゃるけど、ただし中世のウイグル文書の研究家・・・。

陳:そう、昔のウイグル語。もっともウイグル族といい、ウイグル語といっても、あれはほかに適当な名前がないから便宜的にいっている感じでしょう。ソ連の方ではサルト人というし、中国では纏回といってた。

司馬:布を頭に纏っている。

陳:ターバンを巻いているから纏頭回でね。ヘディンやスタインはトルコ人って書いてる。過去そのあたりにウイグル帝国があったから、その名前をとったんでしょう。ウイグル帝国と現在のウイグル族の人たちとの継続関係は、ちょっと怪しいところがあるな。

司馬:ウイグル人というのは地はモンゴロイドだろうけど、古い時代の混血で胡人(イラン)めいた顔になっていて、いわば古色を帯びている。あの蒼古たる顔つきが、われわれを錯覚させるらしい。唐代のウイグル遊牧王国は、いまの新疆ではなく、中国の北方部に王庭を持っていて、一時は蒙古高原を制したこともある。

 唐朝とは仲よしで、軍人としてやとわれたりしているけれども、その後、長い歴史と流沙のなかでどういうつながりがあるのか、アジア史の謎やな。その後、日本史でいえば鎌倉のころにモンゴル帝国に併呑されて独立を失ってただの住人になるわけだけど、それがいまの新疆ウイグル自治区に全人口の7,8割を占めるウイグル人なのかなあ。

 あの辺の諸民族はかがやける古代アジア史のカケラが散乱しているみたいで、わかりにくいな。そんなに古い時代じゃないから、なおさら話はややこしくなる。

 まあ、それは別にして、ぼくもやっぱり辺境は好きですね。だけど中国内部のシルクロードに、もっと厳密にいえば、昔から中国人が「西域」といってた土地へまさか本当に行けるとは思わなかったなあ。日本の「西域学」を体系的に始めた一人は松田寿男氏だと思うけど、こういう元祖の人でも「学問的にやったが、現地へは秘境だから行けない。数学であれば検算がやれないのとおなじだ」と残念そうに書いておられるけれども、ウルムチ空港に降りたとき、本当に僕のような者がこんな果報を受けていいのかと気味がわるかった。
陳:西域の出口というか入口は、一応、玉門関といわれてますけど、玉門関は時代によって場所が変わるんです。漢時代は敦煌の北西にあった。唐の玉門は敦煌のだいぶ東北です。西北でとれる玉は皇帝の専売になっていますから、そおれの密輸を調べなきゃならない。

 玉が入りすぎると値段が下がりますからね。つまりこの関所で、不正輸入がないようにボディ・チェクした。それで玉門関といったんですね。固有名詞というより普通名詞みたいな感じで、玉の通る門ということなんですわ。玉門市、玉門鎮、玉門関と、玉門とついた地名がほうぼうにあって、それが数百キロもはなれているね。

司馬:玉門関から西南に道がついていて(西域南道)、やがて崑崙山脈の北嶺を通るわけだけど、そこに古代のウテン国の所在地のホータン(和田)というオアシス都市がある。こんな所、およそ外国人は来ないんじゃないか、ヘディンやスタイン以来われわれが初めてじゃないかっていったら、去年陳舜臣さんが来ました・・・(笑)。

 そこに崑崙の雪どけ水の川がふたすじ流れていて、中国名で白玉河と黒玉河、この川から玉が出るから、玉好きの中国へそれを送る。中国内地への関門が玉門関というわけでしょう。

陳:カシュガルからホータンへいく途中にあるヤルカンド川も玉がいくらかとれるんですけど、この川の本流というのはりっぱな鉄橋がかかってたりして、滔々と水が流れている川なんです。ところがこの川がタクラマカン砂漠でなくなる。消えてしまう。なんかチョロチョロ流れる川を考えていたら、淀川みたいなでっかい川がざあざあ流れてるんだ。それがなくなるというのは、ちょっと想像を絶するなあ。
(中略)

司馬:同じウイグル人でも、まあ真中あたりにいるトルファンの人はアーリア人との混血度が低いね。やや東洋的な顔。それがホータンまで行くと、西洋的な顔立ちになってくる。

陳:混血の段階がいろいろありますね。それにトルファンとかハミは、早い時期から清朝にくっついて商売していましたから、中国内地との関係が深かったんです。距離的にも近いし。ですから清朝が西域を平定したとき、そのあたりの人間を新しく版図にはいった西南部に連れて行って官吏にした。ところが同じウイグル人でありながら、東から来たハミやトルファンの人は、カシュガルで非常に嫌われた。清朝の代理人として苛斂誅求をやりましたからね。同じ民族といっても、地域によっていくらか気質も違うし、しっくりしなかったらしい。


サウジアラビア出張の帰りに、カタール航空のビジネス席からこの辺りの景色を飽きずに眺めたことがあるのです。
ドバイ~パミール高原~タクラマカン砂漠~新疆ウイグル自治区~内モンゴル~中朝国境あたり~関空

死ぬまでには、ホータン辺りを巡りたいとは思うが、見果てぬ夢に終わりそうやで。

『中国を考える』1
『中国を考える』2

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