『僕の叔父さん網野善彦』

<僕の叔父さん網野善彦>
図書館で『僕の叔父さん網野善彦』という新書を手にしたが…
おお 中沢新一の本ではないか♪ 最近読んだ『東方的』という本が良かったので、この本もいけるかも。


【僕の叔父さん網野善彦】
網野2

中沢新一著、集英社、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。
【目次】
第1章 『蒙古襲来』まで(アマルコルド(私は思い出す)/民衆史のレッスン ほか)/第2章 アジールの側に立つ歴史学(『無縁・公界・楽』の頃/若き平泉澄の知的冒険ー対馬のアジール ほか)/第3章 天皇制との格闘(コミュニストの子供/昭和天皇に出会った日 ほか)/終章 別れの言葉

<読む前の大使寸評>
最近読んだ中沢さんの『東方的』という本が良かったので、この本もいけるかも。

rakuten僕の叔父さん網野善彦


網野史学の誕生が、中沢さんの口から語られています。
p52~54
<礫の再発見>より
 昼間からはじまって夜遅くまで続いたその日の会話は、網野さんと父との関係に、新しい段階を画するものとなったようである。この日から二人の飛礫研究が開始された。父は私に未開の戦争がどうなっているのか、調べてほしいと頼んだ。私は図書室に行って、ニューギニア高地人のおこなう儀礼的な戦争の詳細な記録を調べたり、人類学者の書いた戦争論を翻訳して聞かせたりした。ものを遠くに飛ばすということは、人類の意識になにをもたらしただろうと問いかけてくるから、ヘーゲルの『精神現象学』をよく読んで、自己意識の外に飛び出そうとする、人間の根源的な欲望について父に語った。

 名古屋に戻った網野さんからは、三日にあげず、ぶ厚い封書が矢継ぎ早に送られてきた。中には中世の古文書からの抜き書きが、びっしりと書き込まれていた。それらの記録は主に、洛中で飛礫を飛ばす不逞の輩が横行しているので、よろしく取り締まるようにという御触書だったり、飛礫を飛ばすことを専門とするごろつき集団のことを批判している貴族の日記からの抜粋だったり、大神社の神人が強訴をおこなうときに礫を飛ばしてそれが神意であると主張しているのにたいする人々の驚きを伝える文書だとか、まあつぎからつぎへとよくこんなに調べ上げるものだとあきれるぐらいの気合いの入れ方で、そうした手紙の末尾にはかならず「兄さん、この問題はとても大事なことですから、ぜひ早く本にまとめてください。出版社の心配をする必要はありません。私がすぐに見つけます」と書かれていた。

 あの会話をきっかけとして、網野さんの思考の内部で激烈な変化が起こっているのが、私にもわかった。東京大学史学科に出した卒業論文のテーマに選んだ、若狭太良荘の荘園史の克明な研究にも、すでに悪党や職人の存在が見え隠れしていた。

 常民文化研究所に入って、漁業史の資料の研究をしているときにも、悪党や差別された人々の実態にたいする、深い関心が一貫していた。名古屋大学時代には、その中から「非農業民」という新しい概念が、力強く浮上してきた。そうした関心のすべてを、強力に統一する思想の核心部分が、今や沸騰する思考の中で明確な形をとりはじめていた。

 網野さんは歴史に真実の転換をもたらすものの本質を、ようやく探りあてることができたという、たしかな実感をつかんでいるように見えた。常識をくつがえす視点に立ったまったく新しい中世像が、網野さんの前に明瞭な姿をあらわそうとしていた。この手応えをもって網野さんは、依頼されたまま長らく進行が難渋していた鎌倉時代の歴史書を、一気に書き上げようと決意した。

 中世の飛礫をめぐる網野さん自身の発見が、そこでは重要な役割を演ずることになるだろう。しかしそこで律儀な網野さんは、自分の思考に最初に火をつけてくれた人を立てるために、自分の本よりも先に父が飛礫についての研究をまとめて、出版しておいてくれることを望んだのである。

 「そう言ってくれるのはうれしいが、網野君、ぼくはものを書くのは君みたいにすらすらできないのだぞ。しがない田舎者なんだぞ。まああせらないで、待っていてくれないかい。それよりもぼくのことなどに遠慮しないで、まず君がそのことを書くべきだよ。きっと革命的な本ができるだろう。それを読んで楽しむほうが、ぼくにはふさわしい」(中沢厚の著作『つぶて』はその後1981年、網野さんの尽力によって出版された)

 そう説明された網野さんは、その後1973年の夏休みを費やして、『蒙古襲来』の執筆に取り組むことになる。「この書を書いた年の名古屋の夏は暑かった。まだ、冷房のなかった四畳半の狭い部屋で、参照すべき書物を探す頭からの汗が、たびたびしたたり落ち、原稿用紙を汚した」。そうやって書き上げられたこの書をもって、網野史学が誕生する。


『僕の叔父さん網野善彦』2
『東方的』4
『東方的』3
『東方的』2
『東方的』1

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