『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』3

<『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』3>
図書館で『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』というムック本を手にしたが…
リドリー・スコットの映画美術について、オタク気味に詳しく述べられています。
これぞ、大使のツボでんがな♪


【リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16】
スコット

風間賢二編、キネマ旬報社、2001年刊

<「MARC」データベース>より
「エイリアン」の大ヒット、そして次に続く「ブレードランナー」で多くのファンを獲得したリドリー・スコット。光と影の魔術師といわれる彼の映画手腕を様々な角度から検証する。

<大使寸評>
この本の紹介記事を書いていたが…
読みどころが多いし、Amazonの古本が格安だったので、早速注文したのです。

Amazonリドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16

この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めたのです。

テルマ

p124~125
■女性の目線で作られたもうひとつの世界像:小谷真理より
 いかにも男に愛されるために生まれてきたかのような、ふわふわと波打つロングヘアに肩出しドレス(純白)のテルマは、責任を全部自分自身ではたそうと決意したその瞬間から、猛烈ずぶとい女に変身。従順そうなテルマが、物語半ばから別人かと思うほど変わるのは、最も見応えのある部分だ。ジーンズに身を包み、髪を結わえ、厳しい、臨戦態勢の顔つきになる。

 一方オバサン顔のルイーズは、いつも不安げで、懸命に虚勢を張り、もともと必要以上に男を近寄らせない雰囲気の持ち主。彼女は最後までテキサスの事件から逃げているという姿勢では一貫している。そんなルイーズが、物語の途中から「受け」に転ずる。ひょっとすると、ルイーズは、物語の初めよりどこからかの逃亡者であって、この物語自体逃亡者であるルイーズが、自分にあったパートナーを得るという話かも知れないな、と思わせるような、そんな表情になる。

 文明の衣を脱ぎ捨てて、野性的な表情を強く表していくふたりは、非現実的なまでに美しい。こういうスタイルの女性たちをわたしは、よく知っている。そう。それはフェミニストという存在だ。日本では、怒りによって制御不能となった危険物のようなレッテルと化した称号だが、本来彼女たちにはそれなりの、強く賢く美しい、自立した現実の女性にふさわしい物語がある。

 だからこそ、ふたりの旅が、セクハラ被害に遭うウェイトレスや窓からじっと行く末を見つめている老女の視線を通じて、ある種のフェミニンなネットワークにささえられている、ということにも気づかされる。

 けれどもこのフェミニンなネットワークは、主人公ふたりの間において、異性愛的な関係性を凌駕するほどの深い信頼関係を垣間見せる。『テルマ&ルイーズ』で表現されるエイリアンとは、明らかにフェミニスト的な立場に向かうことなのだ。その一番象徴的な光景は、変わり果てたふたりが、トラック野朗をうちのめすところだろう。
(中略)

 この映画では、ぎりぎりに追いつめられた女たちの決意がまったく相手に伝わっておらず、それを伝えるためには彼女たちはいつも一線を越えなければならなかったことを訴えかける。そのため、フェミニストの末路は女同士による心中であると暗示するそのラストがいっそう波乱含みなのだ。

 ふたりは、フェミニストというエイリアンの気高さや美しさを垣間見せながら、死へとむかって飛び出していかざるを得ない。


『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』1
『リドリー・スコット:フィルムメーカーズ#16』2

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