『電気は誰のものか』

<電気は誰のものか>
4月から電力契約自由化が始まるが、需要側にメリットはあまりなくて供給側が多少もうかる程度のようです。一番恩恵を受けるのは利権が増える役人だったりして…
怒るでぇ!(と、ツイッターでつぶやいた)

ということで、図書館で借りた『電気は誰のものか』という本を読んでいます。

【電気は誰のものか】
電気

田中聡著、晶文社、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
長野県の赤穂村は村をあげて村営の発電所を作ろうと夢みたが、電力会社に拒まれる。怒った村人が反対派の家を焼き討ちにしたとして捕らえられた赤穂騒擾事件。全国各地に吹き荒れた電気料金値下げをめぐる電灯争議。漏電火災への恐怖をあおる広報合戦…電気事業黎明期にさまざまに発生した電気の事件簿。電気を制するものは、社会も制する?名士に壮士にならず者、電気事業黎明期に暗躍した男たちの興亡史。
【目次】
序 電気は盗めるか/第1章 電灯つけるがなぜ悪い?-赤穂村の騒乱/第2章 初点灯という事件/第3章 何が帝国議事堂を燃やしたのか/第4章 東西対決と電気椅子/第5章 電灯争議/第6章 仁義なき電力戦争/終章 再点灯の物語

<読む前の大使寸評>
来年4月から電力契約自由化が始まるし、原発稼動ゼロでも乗り切ってきたニッポンの電力、望まれるエネルギーミックスなど・・・電力の現状を知りたいのです。

<読後の大使寸評>
この本は電気事業黎明期の興亡史であり、大使の当ては外れたのであるが・・・
血の気の多い史実には、びっくりポンでおました。

<図書館予約:(12/09予約、3/23受取)>

rakuten電気は誰のものか


土建業者の喧嘩や、東京電力の成り立ちが興味深いのです。
p229~232
<日本最大の喧嘩>
 十時半に憲兵隊は、川崎運河と鶴見川を堺とする準戒厳令を布告、憲兵50名あまりが市街地の警戒にあたった。神奈川の警官が700名、警視庁からの応援1300名がこの地入っていた。検挙を始めたのは、午前4時だったという。

 『神奈川県警史』によれば、この喧嘩による死者は2名、負傷者は53名だった。一般住民も8名が負傷し、住宅も42戸が被害を受けたという。ただし実際の負傷者はこの数倍はいたようだ。そして416名が検挙された。

 この喧嘩の原因は、東京電力が鶴見に火力発電所を建設するのに、タービンを据え付けるための基礎工事を間組に、建築工事を清水組に任せたことにあった。青山組は清水組の下請け、三谷秀組は間組の下請けである。

 このように一つの現場を複数の業者が請け負うことは「出会い丁場」と呼ばれ、トラブルの元になりやすいため嫌われた。東京電力としては、完成を急いでいたので2社で分業したほうが工期を短くできるはずだという合理的な判断をしたのだったが、机上の合理的判断が現場にとってはかえって厄介ごとであるという、よくある齟齬が生じたわけである。

 それでも「出会い丁場」だから無理というわけではなく、このときはあまりにも相手が悪かった。三谷秀組の親分は金井秀次郎だが、実質的には中田峰四郎が牛耳っており、中田はなにごとも暴力で押し通すむちゃくちゃなやり方で三谷秀組を一気に大きくしてきたのである。

 三谷秀組による基礎工事が終われば、次に青山組が建屋の工事に入るわけだが、中田は、基礎が完成した後も現場を占拠し、建屋の工事を許さなかった。三谷秀組に逆らっては、とても工事はできない。清水組が測量を始めたときには、清水組の事務所をまるごと運んで海へ放り込んでしまったくらいで、命がいくつあっても足りない。

 そこで青山組の青山芳蔵は、理不尽なまでに我慢を重ねて、中田との折衝をきまじめに繰り返した。だが中田は、交渉する気などないかのような態度で、青山組や清水組の面々を振り回す。中田は、基礎工事だけでなく建設工事全体を独占しようとするのだが、それさえも無理難題をふっかけて嫌がらせをしているだけのようにも見える。

 いろいろ複雑な経緯があって交渉は決裂、着工が4ヶ月も遅れていた清水組では、もはや強引に鍬入れを行うしかないと、青山組に決行を迫り、ついに全面対決の日を迎えたのだった。

 清水組は青山組に喧嘩のための資金も渡しており、工事に着手すれば大ごとになることは了解していた。それほど着工を急いだのは、むろん施主である東京電力からの督促が厳しかったからでもある。東京電力が工事を急いだのは、東京電灯との電力戦争のまっただなかにあって、この発電所がその戦略上の要の一つだったからである。

 東京電力とは、今日の東京電力ではなく、東邦電力の副社長、松永安左エ門がかねて念願の東京侵攻を果たすために作った会社である。静岡、山梨に七つの水力発電所を持ち、横浜、川崎、東京南部に供給権を持つ早川電力と、東京の東と北に供給権を持つ群馬電力を買収し、大正14年に合併して東京電力とした。東邦電力の別働隊であり、東京電灯の牙城を攻略するための突撃部隊だった。

現代の建築企業には、会社の名に組が付いていることがあるけど、伊達にそうしているわけでないことが、この史実からもうかがえます。

鶴見騒擾事件の、その後を見てみましょう。
p249~250
<鶴見騒擾事件と政友会>
 鶴見騒擾事件の判決は、昭和2年5月30日に言い渡された。209名が有罪となった。懲役6ヶ月から4年の実刑が59名、執行猶予98名、罰金52名。

 三谷秀組の組長の金井秀次郎は、4年の求刑だったにもかかわらず無罪となった。中田峰四郎は懲役4年である。青山光二は、この二人の判決が甘いことに、「上部からの圧力」を疑っている。というのは、中田は、政友会系の院外団であり、田中義一とは自動車に相乗りするような仲だったからである。中田は子分の木島福松を、田中義一のボディガードとして派遣してもいた。木島は、力士上がりのでっぷり肥えた身体にモーニングを着て、シルクハットをかぶり、なかば公然と拳銃を携帯して歩いたという。

 この公判が開廷された4日後に、若槻礼次郎内閣が総辞職し、4月20日には田中義一が首相となった。政友会総裁、陸軍大将、そして内閣総理大臣ともなった田中に、中田が働きかけ、彼自身と三谷秀組の被告たちに有利な判決が下るように懇請したのではないか。いや、それどころか刑に服してからも特別な配慮が期待できたのではないかという。

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