『セルデンの中国地図』

<『セルデンの中国地図』>
図書館に予約していた『セルデンの中国地図』という本をゲットしたのです。
この本には、海南島沖の米中軍用機衝突事件の顛末が載っているわけで、歴史的にも、社会学的にも読める多角的な視点が・・・・ええでぇ♪

つい先日、『疾走中国』という本を読んだところだが、昨今の大使は「東アジア」がミニブームでんがな♪


【セルデンの中国地図】
地図

ティモシー・ブルック著、太田出版、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
400年のときを経て1枚の地図が歴史を変えた。英国で発見された中国の古地図には、鎖国下の日本を含む東アジアによる大航海時代の記録が残されていた!世界に衝撃を与えた地図の謎に迫る歴史ノンフィクション。
【目次】
第1章 この地図の何が問題なのか?/第2章 閉鎖海論/第3章 オックスフォードで中国語を読む/第4章 ジョン・セーリスとチャイナ・キャプテン/第5章 羅針図/第6章 中国からの航海/第7章 天円地方/第8章 セルデン地図の秘密

<読む前の大使寸評>
この本には、海南島沖の米中軍用機衝突事件の顛末が載っているわけで、歴史的にも、社会学的にも読める多角的な視点が・・・・ええでぇ♪

<図書館予約:(2/04予約、2/09受取)>

rakutenセルデンの中国地図

海南島空中衝突事件から7年後、著者とセルデン地図との出会いが述べられています。
EP-3EP-3

p30~37
<第1章 この地図の何が問題なのか?>
 偵察機は衝突の衝撃で横揺れし、機体を反転させて1万4000フィート(4300m)急降下してから、機長のオズボーンはやっとコントロールを取り戻した。彼の見積では目的地である沖縄まであと26分の位置にいたが、機体がそれほど持ちこたえるとは思えなかった。そこで着陸できる場所を探した。候補は中国本土の南にある海南島の陵水軍用飛行場しかなかった。人民解放軍の2機のジェット戦闘機が飛び立った、まさにその基地の飛行場である。アメリカ軍偵察機の乗員は緊急時の標準的な手順に従って、他国に知られたくないデータと機器を破壊した。乗員のひとりはこの処理を早めようと、ディスクドライブとマザーボードにコーヒーをぶちまけた。

 第2の中国側戦闘機パイロットは、アメリカ軍機を撃墜する許可を求めて陵水飛行場に無線連絡を入れたが、その要請は却下され、基地への帰還を命じられた。アメリカ軍機も救難信号を同じ飛行場に送っており、中国側の飛行場は国際条約に従って対応する義務があった。アメリカ軍機は救難信号を15回も送ったが、応答はなかった。これはのちに、許可泣く着陸したとして、アメリカ軍機の緊急着陸が違法だったと主張する根拠を中国側に与えることになる。

 着陸許可の有無にかかわらず、オズボーンには着陸を試みる以外に選択肢はなかった。所属基地までたどりつくのは不可能だった。計器類にも頼れず、左翼のフラップのコントロールを失い、燃料の重さが機体に過剰な負担になっていたため、海南島への着陸すら困難だった。偵察機は飛行場に170ノット(時速約310キロ)で着陸したが、滑走路が果てる前になんとか停止することができた。

 偵察機が停止するとすぐに、武装した人民解放軍の兵士たちが滑走路に詰めかけ、機体を取り囲み、銃口を突きつけて乗員を降機させた。アメリカ軍機の乗員はそれから11日間身柄を拘束され、違法な尋問を受けることになる。その間、米中両国は手の込んだ外交交渉を繰り広げた。アメリカ軍機の乗員がやっと解放されたのは、アメリカがこの事件と王少佐の死に対して遺憾の意を表する慎重な書簡を発表してからのことだった。

 中国は機体を徹底的に調べてから、偵察機をアメリカに返還した。ロッキード・マーチン社のエンジニアは返還された偵察機を解体する許可を得たが、解体された部品はロシア製の輸送機に積んで沖縄に送るしかなかった。その後アメリカのジョージアで組み立て直された偵察機は現役に復帰している。アメリカはオズボーン大尉に空軍特殊十字章を授与した。一方の中国は、国家の守護者として軍事的英雄を神格化するという長きにわたる伝統に則り、王偉少佐に「海空衛士」の名誉称号を贈っている。

 この事件が発生したのは2万2500フィート(約6900m)の上空だが、事件を引き起こした原因は海にあった。航空機が海上のどこを飛行できるのかを司るルールはまだ完全には成文化されていない。そのルールの大部分は、「海洋法」をもとにしている。海洋法はどこかの水域が誰のものなのか、そこを航行できる船舶はどのようなものなのかに関する規則で、現在も進化を続けている。これらの規則が空域を司る規則にもなっており、船が明確な許可を得ずに他国の領海に入ることができないのとちょうど同じように、航空機の場合も他国の領海の上空に入ることは禁じられている。アメリカ軍偵察機がなぜ抑撃されたのかは、海洋法について多少とも知識があって初めて理解できる。
(中略)
 
 アメリカ側の理解はこうだった。偵察機は南シナ海の中国の大陸棚の上空を無害通航していた。中国はこの通航を監視する権利はあるが、それを妨害したり、偵察機の安全や乗員の命を危うくする作戦行動を行ったりする権利はなかったはずだ・・・。一方、中国側の見方では、偵察機は中国の領海上空を飛行していたと解釈された。中国の領空を侵犯するということは、つまるところ、中国の主権の侵害にほかならない。したがって、偵察機を追い払うのは完全に正統な行為だ・・・。

 不思議なことに、というか賢いことに、中国は南シナ海全域に対する権利を法的に主張したことはない。発見者の権利によって歴史的に主権を有しているというのが彼らの主張だ。中国人の船乗りが南シナ海の島々を最初に発見したのだから、そうしたすべての島々とそれらを取り囲む海も中国のものだというのである。
(中略)

 海南島空中衝突事件から7年後、私はボドリアン図書館新館の地階で、その存在すら想像しなかったものをじっくりと調べていた。それは2台のテーブルを使って広げられ、私の眼の前にあった。アジアの東端が描かれた古い紙製の地図である。その大きさは注目に値し、幅は1メートル、長さは2メートル近くもあった。いちばん下に巻き軸がついている。かつては壁に掛けられていたのだろう。墨で描き出されているのは、中国の沿岸部と東南アジアの島々だった。
(中略)

 地図を調べれば調べるほど、私は心を乱された。それは私が見たことのある明王朝(1368~1644年)の時代のどんな地図とも似ていなかったからだ。ひどくまちがっているように思われた。まず、一般的な明代の地図よりもはるかに広い範囲が描かれていた。当時の明の国民が母国と考えていた範囲だけではなく、右上隅の日本から左下のスマトラ島まで含めて、国境をはるかに越えた広大な周辺地域も描かれていたのである。フィリピンとボルネオ島は現代の私たちが知っているとおりの位置、大海原のなかにある。ベトナム沿岸部のお馴染みの輪郭も今知られているとおりの位置にあり、マレー半島と今日インドネシアを形成する比較的大きな島々もまたしかりだった。


この謎のような導入部から読みはじめています。謎解きは追って紹介します。

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