『東アジアの食文化探検』2

<『東アジアの食文化探検』2>
図書館で『東アジアの食文化探検』という本を手にしたのです。
著者は在日華人であり、国立民族学博物館教授を歴任したという人である。
この本のテーマを語るには適任だと思うし、この本の科学的な香りにも納得した次第です。


【東アジアの食文化探検】
アジア

周達生著、三省堂、1991年刊

<「BOOK」データベース>より
近隣諸国の食文化から、〈日本の食〉の過去と未来が見えてくる?
【目次】
多様な肉のイメージ/多民族国家・中国と食文化/コラム「イスラエルの民-民族とは何か」/くまなく食べる豚料理と昆虫食/「おいしいもの」の相対性/コラム「鯨食文化を考える」/粒食と粉食/箸と匙の食事作法/カマドの移り変わり/米の料理法のバラエティ/照葉樹林の食文化/コラム「中国の照葉樹林とその文化」/工夫茶と日本の茶道/茶外の茶/食の伝播と変容/道具の連続・不連続-アジアの製麺道具の考察から/「菜単」の読解/コラム「満漢全席ダイジェスト版」/中国料理の料理法と包丁さばき/マントウ・まんじゅう・マンドゥ/メコン河流域の淡水藻食

<読む前の大使寸評>
著者は在日華人であり、国立民族学博物館教授を歴任したという人である。
この本のテーマを語るには適任だと思うし、この本の科学的な香りにも納得した次第です。

rakuten東アジアの食文化探検

この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。

大使が執着するモチ性食材のつづきです。

モチモチトウモロコシ


<モチ性トウモロコシの出現>p148~150
 北海道といえば、焼きトウモロコシを思い浮かべる人も多いことと思われる。北海道で食べたトウモロコシがうまいのは、近くの農家から、もぎたてのを仕入れてきて、すぐに焼いているからうまいのである。

 収穫後に長く放置されたものは、貯蔵されていた糖分が、澱粉に転化するから甘味がなくなり、うまさが減退する。したがって、冷凍品の場合は、加工までの間にも、低温を維持しておかねばならない。甘味種の「スイートコーン」は、「砂糖トウモロコシ」ともいわれているほど糖分を多く含んではいるが、これも収穫後の処置が適切でなければ、うまさが減退するのである。

 ところで、トウモロコシの原産地は、南米、中米と異説もあるようだが、いずれにしろアメリカ大陸である。1492年のコロンブスのいわゆる「新大陸発見」以来、スペイン、ポルトガルに伝えられ、さらにヨーロッパの各地から、アジア、アフリカに伝播した。
 日本には、16世紀末に導入されたといわれているが、栽培が普及したのは、明治元年に、アメリカから、澱粉種の「フリント・コーン」を導入してからだといわれている。
 
 中国への伝播も16世紀であり、明代であった。1573年刊行の田芸衡の『留青日札』には、「御麦」として出てくるが、それは皇帝がそれを食べたからであろう。しかし、外来のものであったんで、当初は「藩麦」と称していたようである。「藩」は、日本で「南蛮」なんとかと称するのと同じように、外来のものを意味することばである。今日では、正式名の「」以外に、多くの地方名があるが、俗名で常用されるのは、「玉米」、「包谷」、「棒子」であろう。

 トウモロコシは、明代に中国に伝播したけれども、広く各地を歩き、『本草綱目』を著わした有名な李時珍といえども、「種者亦〇」と、ほんの数字を書いているだけなので、当時その栽培は、まだたいしたことはなかったのであろう。普及は、18世紀になってからはじまる。

 当時は、封建社会の経済が弱体化し、人びとは圧制に苦しんだので、全国的な、また複雑な、移住現象が起きていた。
 湖北・福建・広東などの貧民は江西へ、江蘇・安徽・福建などの貧民はセツ江へと移住し、福建・江西・セツ江からは安徽へというように、複雑な省間移住があったばかりか、同じ省内、同じ県内の移動は、いっそうはなはだしかった。

 これらの貧民は、貧しい農民なのであるが、原住の平地生活を放棄して、荒涼たる山がちのところへ移住せざるをえなかったのである。移住先では、炭焼きとか、染色用の藍の栽培などに従事しながら、痩せ地でもよく成長するサツマイモを植え、トウモロコシを植えたのである。

 そのため、平野部においては、当初はそれほど植えてはおらず、ただ子どもたちのおやつぐらいにしか利用していなかったトウモロコシが、山地では、その重要度が増したのである。

 たとえば、峡西・四川・湖北の境界あたりの山地では、アワがもともと主要な食料であったのだが、19世紀のはじめになると、トウモロコシがその地位に取って代わる。西南中国でも、同じような傾向があった。ちなみに、旧満州の東北地方の原野は、その後トウモロコシの重要産地の一つになるけれども、その開墾は、19世紀後半で、河北・山東などの農民の移住によっているのである。

 このような、中国におけるトウモロコシの普及につれて、中国でもさまざまな類型を異にする品種が作られてくる。最も興味深い、特筆すべきことは、モチ性のトウモロコシが育成されたことである。

 それは、広西チワン族自治区から雲南省あたりの、照葉樹林帯で育成されたものである。正式には、「中国蝋質種」とまとめて称されているが、「半仙需」、「多穂白」、「歴城粘」、など、数種類のものがある。
 トウモロコシの原産地や、伝播先のヨーロッパやアフリカでも、自然に突然変異によるモチ性の形質が生じることはあっただろうが、そのような形質に注意の目が向けられなかったからか、モチ性トウモロコシが出現することはなかった。


照葉樹林帯といえば、発酵食品の一大産地として知られていますね。
納豆系、乳酸系など発酵食品も大使の大好物でんがな♪

<納豆・発酵酒・ナレズシ>p117~122
 人間とは、勝手な動物で、同じ微生物によるエネルギー獲得手段を、その産出物が有用な場合には「発酵」と呼び、有害な場合には「腐敗」と呼んでいる。また、同じ人間であっても、かつての日本人は、欧米のチーズを食べられないとし、欧米の人たちは、味噌や塩辛を食べられないとした。発酵食品の価値や好みは、文化によって異なるといえよう。

 納豆は、断るまでもなく日本にはあるが、インドネシアのジャワにも「テンペ」というものがあり、朝鮮半島にも、「チョンクッジャン」という日本の糸引き納豆と同じようなものがある。

 中国では、かつては今以上に広域に分布していたと思われるが、現在では、西南中国の照葉樹林文化色が、まだ濃厚にある地域ぐらいにしかみられない。納豆菌によるのでなく、カビで発酵させる、日本の浜納豆に近い「豆鼓」なら、漢族の多くも親しんでおり、広域に分布している。

 ちなみに、先に述べたジャワの「テンペ」も、カビによるものであった。しかし、雲南のタイ族の納豆は、納豆菌によって作られているけれども、糸を引かない納豆だという意見がある。だが、それは、西双版納の納豆だけしか知らない者の意見である。同じ雲南でも、徳宏のタイ族の納豆は、隣接するビルマの糸引き納豆と同じように、糸を引いているのである。

 ところで、微生物の発酵による酒は、世界のあちらこちらにあるけれども、カビによる発酵酒は、東アジアのものである。かつての朝鮮半島には、さまざまな酒があったけれども、日本の植民地時代になると、いわゆるドブロクの「濁酒」と「薬酒」のような庶民の酒を除き、もっぱら日本人の好むビールや日本の清酒だけが有利な税率となったので、他の伝統的な酒類は、今となっては口伝によって知られるのみになったそうである(鄭大〇氏による)。
(中略)

 次は、アルコール発酵から離れ、乳酸発酵のナレズシに言及しよう。 
 日本では、現在あまり知られていないナレズシであるが、滋賀県の「フナズシ」は、まだ健在である。ニゴロブナと呼ぶフナの内臓を除去しただけの、まるのままのフナを、4,5月ごろ、塩漬けにし、土用に入ってから、米のご飯と交互に桶に入れ重石をして数ヶ月置き、乳酸発酵させたものである。

 このスシの源流であるナレズシは、日本では、フナズシと、ナマズやドジョウのそれがあるぐらいになってしまった。しかし、西南中国や華南の少数民族間では、淡水魚類のナレズシだけでなく、ニワトリや豚、あるいは野生鳥類のそれもあり、植物性食品にまでも応用されているのである。

 雲南省のタイ族の魚のナレズシ、貴州省のミャオ族の魚と豚のナレズシ、広西チワン族自治区のヤオ族の野生鳥類のナレズシなどがあるが、広西の三江トン族自治県は、魚、ニワトリ、アヒル、豚から、さまざまな野菜にいたるまでのナレズシを作っている。


ふなずし消滅の危機を乗り越えたとの報道(2016.1.26)がありました♪

ふなずし400年の味再びより
ふなずし

 創業約400年のふなずしの味が復活した。滋賀県高島市の「喜多品老舗(きたしなろうほ)」は3年半前、原料となる琵琶湖のニゴロブナの減少や資金難で一度は店を畳んだが、歴史ある味わいを惜しんだ大津市の和菓子メーカーが支援。千日かけた伝統製法で独特の風味に漬け上げ、昨年11月、再びのれんを上げた。


『東アジアの食文化探検』1

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