『宮本常一 旅する民俗学者』(その2)

<『宮本常一 旅する民俗学者』(その2)>
図書館で佐野真一責任編集『宮本常一 旅する民俗学者』という本を手にしたが、責任編集というムック制作があるのか♪

まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。

【宮本常一 旅する民俗学者】
宮本

佐野真一責任編集、河出書房新社、2005年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
口絵・宮本常一写真集成 オン・ザ・ロードー写真という「記憶の島」/巻頭言 佐野真一ー知恵の宝庫の発掘作業/宮本常一の思い出エッセイ/特別対談 谷川健一・佐野真一 旅する民俗学者ー今なぜ宮本常一なのか/宮本常一単行本・著作集未収録コレクション/宮本常一の継承エッセイ/評論/レポート/資料

<読む前の大使寸評>
責任編集というムック制作があるのか♪
まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。
rakuten宮本常一 旅する民俗学者

この本は読みどころが多いので、更に(その2)としてして読み進めたのです。

「特別対談:佐野真一×谷川健一」の続きです。
p68~70
●圧倒的な足跡・調査・ディテール
佐野:なるほど。晩年は故郷の島に閉じこもったというのは変な言い方だけど、たしかに郷土大学という地域社会の社会教育者としての一面も出ましたが、やはり宮本さんの舞台としてはちょっと小さい感じはしますね。

谷川:フランスならば思想的な知識人が宮本さんのすぐれた才能を見抜くわけですよ、哲学とかああいう部門でね。ところが日本人はそういう宮本さんの思想的な面とか文芸作家としてのよさを引き出す力がないですね。
 向こうでは地中海を一つにというプローデルの発想がありますが、こちらでは瀬戸内を一つにというのが宮本的世界ですよね。あれも宮本さんがいなくなったら誰も引き継げない。

 たとえば北前舟が日本海から下関を通って入って来るでしょう。それをまず姫島で見ていて、北前舟が何を積んで来たかを調べるんです。そうやって見て得た情報を元にしてこんどは大坂あたりの船が北前舟に接触して舟が大坂に着く前に買い付けちゃうんですね。これは宮本さんが書いているのですが、宮本さんはどこでこういう話を仕入れたのかと思って驚嘆します。

佐野:たしかにとにかくおびただしい数の人間に会っていますよ。僕はよく言うんだけれど、渋沢敬三の「宮本君の足跡を日本列島の白地図の上に赤で記していくと、日本列島は真っ赤になる」という有名なセリフがあって、それは非常にわかりやすい比喩だけれども、もう少し正確に言うと、宮本常一の足の裏というのは赤一色ではなくてグラデーションがあるんです。

 だから文化的な偏差を刻み込みながら歩いているわけで、それがあの人の絶対的な強みになっているんでっすね。

谷川:そうですね。私は民俗学には二つの流れがあると思うんです。一つは柳田・折口の系統で、もう一つは渋沢敬三の次に宮本、歴史家で言えば網野善彦ですが、渋沢-宮本-網野というのは民具とかそういう「もの」を評価してまた研究もしていますが、柳田・折口はあまり民具なんかは関係なくて、霊魂とか魂とか信仰とか、目に見えないものや言葉を扱っているわけです。網野さんは宮本さんを尊敬していましたよね。

佐野:ものすごく尊敬していました。網野さんとは晩年、何度か会いましたが、「僕の歴史学の方法論は宮本さんと出会わなかったら、絶対に構築できなかった」と、いつも言っていましたね。

谷川:宮本さんが網野さんとちょっと違うのは、宮本さんはどうしても西ですよ。西の国の均分制とか年齢階梯制とか平等な世界だけど、網野さんは東なんです。

佐野:そう、やっぱり山梨の銀行屋のせがれだから違いますよね。
 宮本常一は日本の村という村、島という島を歩いたと言われていますが、案外、東は歩いていません。自分の生まれ故郷の瀬戸内海や、中国・四国、九州地方を徹底的に歩いているのと対照的です。

谷川:網野さんは東国的なんですね。山折哲雄さんが中央公論新社から『さまよえる日本宗教』という本を出していますが、その中で網野善彦はどうしても東国だと言っていますね。日本を東西二つに分けて、東の政権を評価しているけれど、宮本さんは西の持つ、農・漁・商のよさを評価していますね。そこが違いますが、大体同じ系統です。

 私なんかはどちらかといえばやはり柳田・折口に近いかもしれませんね。あまり民具には関心がないですから。宮本さんは民具学会をつくったりしていますが。

 それにしてもどうでしょうか、宮本常一というのはフルに人生を送った人なのか、それともどこかまだ充分に発揮できない能力があったのか、そこがわからないんです。

●宮本学の可能性
佐野:晩年、「海から見た日本」という標題だけが残っていますが、二千枚の原稿を書こうとしたという話は有名ですよね。

 彼はものすごく好奇心が旺盛だから、ある意味ではもう何から何まで食いついて、結果的に乱雑に食い散らしているという部分もありますよね。それを統合する時間を与えてあげたかったという気持ちはあります。

谷川:佐野さんなり私なりが、「宮本さん、そこはもう書かないでいいからこっちを書きなさい」とか、少しアドバイスできれば宮本さんもわかってくれたと思うけれど、あなたがおっしゃるようにベタベタッと無限に行っちゃうわけでね。

佐野:それでそのまま歩き去って行っちゃった。

谷川:それはありますね。

佐野:そこがまた、えもいわれぬ宮本常一の魅力であり、宮本学の可能性でもあるんですけれどね。

谷川:そうなんです。だからあまり構造だとか構成力だとかを問題にしない若い連中は宮本さんが好きなんですね。宮本さんに入りやすいし、またずっとついて行こうということにもなって。

佐野:カメラマンとか冒険家とかオートバイ野郎とかね。そうか、入りやすいんだ。

谷川:「あるく、みる、きく」で、宮本さんが行ったところまで行こうとするんですね。簡単にはできるはずはないのですが。

佐野:いつでも入れるわけですね。壮麗なゴチック建築みたいなものだと恐れ多くてなかなか入り込めないけれど、それこそ宮本さんの採訪スタイルじゃないけど、垣根越しに「どうぞいらっしゃい」みたいな感じですからね。入り口もいろいろあるし。

(中略)
佐野:宮本さんの故郷の周防大島に、昨年、宮本さんが生前撮影した10万点にものぼる写真すべてを集めた周防大島文化交流センターができました。それを眺めていると、宮本常一がいかにディテールにこだわった人だったかが、はっきりとわかります。

 そこには、高度経済成長前後の日本の風景が、くもりなく定着されている。まさに国家的財産です。その写真をわれわれはどう解釈するのか。宮本常一は今もそう問いかけているような気がします。宮本さんは、これからの日本を考える上で、汲めども尽きせぬ源泉をわれわれに残していったんじゃないでしょうか。

宮本さんと渋沢敬三の関わりが宮本常一「忘れられた日本人」を訪ねてに載っています。

『宮本常一 旅する民俗学者』1

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