『俺は死ぬまで映画を観るぞ』

<俺は死ぬまで映画を観るぞ>
図書館で『俺は死ぬまで映画を観るぞ』という本を手にしたが・・・・
四方田さんが、1985年から2010年までに、いろんな新聞や雑誌に書いてきた映画評の数々が載っています。

大使が観た作品や、知らない作品がキラ星のようにちりばめられています。
そして、ここにはハリウッド作品が少なくて、ヨーロッパや東アジアの作品が多いのだが、これが四方田テイストなんでしょうね♪

この選定がありそうであまり無いわけで・・・「四方田犬彦の世界」ではないだろうか。


【俺は死ぬまで映画を観るぞ】
四方田

四方田犬彦著、現代思潮新社、2010年刊

<「BOOK」データベース>より
観たいものを観、スクリーンに対峙するだけで充分ではないか。ただただ世界中の映画をなりふりかまわず観まくってきた映画研究家が、17年ぶりに刊行する映画時評集。

<読む前の大使寸評>
映画、フランス、韓国、台湾・・・・年上ということもあるが、どういうわけか常に大使の一歩先を行くような四方田さんが気になるわけです。

世界中を股にして見たいものを見てきた四方田さんは、まさしく先駆者なんでしょう♪

Amazon俺は死ぬまで映画を観るぞ


『今宵、フィッツジュラルド劇場で』は大使としても忘れがたい作品なのだが、四方田さんの映画評を見てみましょう。
p299~300
<アルトマン最後の情熱『今宵、フィッツジュラルド劇場で』>
 彼は生涯を通して、アメリカ中西部に住む、けっして金持ちでもインテリでもない、普通の庶民の群衆劇を撮り続けた。卑小な欲望に突き動かされ、互いに抱擁と罵倒を重ねあい、セレブを追いかけ、自分の慎ましい場所で生きているといった類の人々のことである。新作『今宵、フィッツジュラルド劇場で』もまた、その例外でない。

今宵

 アメリカのある田舎町で、ローカルなラジオ局が30年以上も生中継で音楽番組を続けてきた。出演者は近隣のオバサン姉妹だったり、エロ歌を歌うカウボーイ姿の二人組だったり、ようするにけっして大都会で公演などできない、二流の芸人ばかりである。だが彼らは自分の好きな歌だけを自由に歌い、町中の人々から親しまれてきた。

 長い歳月の間には恋愛があり、別れがあり、新しい出会いがあって、この番組はすっかり彼らの人生そのものと化している。ところが番組が突如として廃止されることになった。

 テキサスの大企業がラジオ局を買収してしまったのだ。そしてこのフィルムは、まさにその最後の公開録音の光景を描いている。

 集まった誰もが、これで最後だということを知っている。明日になれば自分たちは音楽をできなくなり、この劇場は解体されてしまうだろう。だがせめて今夜だけはこの終末に触れずに、楽しく幸福に歌ってすませたい。集まった人々のこうした思いは、人間が死を前に、できればそれを回避しやり過ごしたいと思う態度に似ている。

 そして驚くべきことに、彼らの楽屋裏には実際に死の天使が舞い降りてくるのだ。天使はモノひとついわず、この劇場を潰しに乗り込んできたテキサスの実業家を、軽々と交通事故死させてしまう。

 黒い諧謔に満ちた筋立てである。だがそれを越えて、今夜一晩だけは思いっきり歌いきっておこうという地元の歌手たちの情熱と、期待と、意地と、そして人生に対する諦念の入り混じったあり方が美しい。彼らはなるほど高級文化からすれば俗悪かもしれないが、人生に真剣なのだ。監督はなかば死者たちの側に身を置きながら、その姿を愛情をこめて描いている。

 アルトマンはこのフィルムを遺作として、昨年暮れに81歳の生涯を閉じた。
(『中日新聞』2007.2.21)


かつて1960年代に日本アート・シアター・ギルド(ATG)というものがあり、大使なんかそれにはまっていたのだが、そのあたりを見てみましょう。
p207~209
<ATGの歴史的意義>
 ウィーン映画祭のシンポジウムでは、まずウィーン大学の日本映画研究家ローランド・ドメニクの司会によって、ATG、つまり日本アート・シアター・ギルドとは何だったかという討議がなされた。

 ATGは芸術映画を配給する目的で1961年に発足した組織である。当初は十館の劇場をもち、フェリーニやゴダール、レイといった海外の最新芸術映画の配給に専心していたが、やがて製作に乗り出した。きっかけとなったのが三島由紀夫の個人映画『憂国』である。ATGはこの短篇がヒットしたことに自信をもち、似たような条件で、モノクロの室内劇を中心に、1千万円という低予算での映画製作に踏み切った。

 大会社の商業主義を嫌って独立した大島や吉田、ドキュメンタリー畑から参画した黒木や松本俊夫、羽仁進、テレビ番組の製作に強い抑圧を感じていた実相寺昭雄、実験演劇の寺山修司といった面々が、この枠組みのなかで思い思いの趣向を凝らし、実験作を発表した。『絞死刑』『竜馬暗殺』『エロス+虐殺』『薔薇の葬列』といったフィルムが、こうして制作されることになった。こうした一連の作品の制作代表だったのが、映画館「新宿文化」の支配人でもあった葛井欽士郎である。
(中略)

 70年代も中盤に差しかかり、時代の感性が保守化したとき、ATGは方針変更を余儀なくされた。葛井が去るとしばらく青春映画路線を続け、80年代に消滅した。その最後のあたりで制作されたのが、村上春樹の処女作『風の歌を聴け』の映画化であった。

ATGアートシアターギルド映画のパンフレット より

 シンポジウムでは、60年代に撮影所体制が解体に向かい、映画観客数が急速に減少していくなかで、映画の芸術性を正面から問うATG映画が出現したことの歴史的意味が論じられた。とりわけ三島由紀夫と寺山修司が果たした貢献の大きさが確認された。だがその一方で、時代を経るにつれてATG映画が抽象的で難解なものと化し、行き詰まりを迎えたところで、エンターテインメントなスターシステムを標榜する角川映画が出現したという指摘もなされた。


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