個人的言語学7 ③

<個人的言語学7>  
異邦、異邦人に対する興味、あこがれがこうじてくると、その言語に目が向けられる・・・・・
ということで、方言とか言語とかについて集めてみます。
最近は仕事の関係もあり韓国語にはまって、おります。

・サイズと話し言葉
・関西人の話法
・関西弁強化月間みたいに
・全国アホ・バカ分布図
・漢字文化圏の成り立ちについて
**********************************************************************
個人的言語学6>目次
・既に漢字文化圏
・「日本隠し」を続ける意地はすごいけど
・『海角七号』で日本語で歌われた「野ばら」
・漢字文化圏あれこれ

**********************************************************************
個人的言語学5>目次
・10年後に食える仕事、食えない仕事
・英語や中国語より人生に役立つ言語を学ぼう
・翻訳とは憑依することである
・今日から始まる「100分de名著・徒然草」
・「実戦・世界言語紀行」2
・「日本語を書く部屋」
**********************************************************************
個人的言語学4>目次
・「実戦・世界言語紀行」1
・泉州弁と河内弁の違い
・文字を得るということ(工事中)
・「すごっ」 ツッコミ語
・つれづれなるままに「徒然草」
・英語が嫌いな人にお奨めの本です

**********************************************************************
個人的言語学3>目次
・「心臓に毛が生えている理由」
・漢字廃止で韓国に何が起きたか
・アジアの共通言語
・北方朝鮮族の女に
・孔子批判
・よくわからないけど

**********************************************************************
個人的言語学2>目次
・関西弁の通訳
・英語公用化と絶滅危惧言語
・漢字物語
・リンガ・フランカ教育
・関西弁へのこだわり
・助詞(テニヲハ)がリエゾンする
・初等学校漢字教育反対汎国民委員会
・漢字文化圏の再興
・「日本辺境論」を読んだところですが
・exite翻訳のお手並み
・横尾さんのもの忘れ
・こんなの 序の口です
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その3)工事中
・良質なハングル入門書
・英語が出来て当たり前か?
・現存する唯一の表意文字
・日本語を愛する者の心の叫び

**********************************************************************
個人的言語学1>目次
・ぼっけえ きょうてえ
・「ちりとてちん」が ええな~
・ガラオケ・・・なんじゃそれ?
・韓国人の英語力
・呉音が好き
・ドングリ国の公用語
・野ばら
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その2)
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その1)
・泥縄式英会話術
・韓国のおさらい
・Yanさんの方言変換Proxyサーバ
・3都の関西弁 
・『河内弁基礎講座』文法編
・全国方言コンバータ 
・コンバータあれこれ
・スウェーデン語とノルウェー語 
・ラジオ日本
 
・アイヌ語ラジオ講座 
・excite翻訳のお手並み
・日本語あれこれ
・英語になった日本語のリスト
・バスク語 
・イディシ語 なに?  
・ムバンドウ語 なに? 
・アイルランド語とブルトン語 
・カタラン語

ウイルス辞典
韓国初、日本人演歌歌手デビュー、堂本貴子さん!
反「英語は世界の共通語」
デジタルネイティブ
分らない日本語 -近代個人主義の終焉試論 -
韓日ウェブ翻訳
翻訳についての二つの対話
比較言語学とは何か?
トンパ壁紙集
日本語ハラゴナシ
日本語教育通信
クレオール言語



<サイズと話し言葉>
「王朝から国民国家」という本を図書館で借りたのだが、この本で、中華思想はサイズと話し言葉に規定されてきたことが語られています。


<中国は西方由来の思想に慣れていない>p141
宮脇:まず中華民族ですが、毛沢東がどうして勝ったかというと、彼が一番中国人を知っていたから。コミンテルンの人も、モスクワ留学帰りも、長征で結局全部消えたんです。

楊:粛清していますね。

宮脇:毛沢東が生き残ったんですね。彼が一番中国人だったわけです。中国人には西方の思想が入らないのは当然で、知識階級というか、本を読める階層のパーセントが少ないですから、残りの大半が、伝統的な中国の昔からの生活をしていて、『三国志』とか『水滸伝』の話で生きている。毛沢東はそれらが大好きで、その中の短い警句なんかを使うのが非常に上手で、下層の兵士が彼を神様のように思ったって、ほんとにそうだと思うんですね。毛沢東だけが中国を知っていて、生き残ったということ。つまり中華民族とは、古い中国に戻るという思想です。だからヨーロッパ的な、みんなが同じようなレベルの教育を受けて、みんなが同じ新しいことを理解するという国民国家は中国には無理でしょう。無理なので、今のような政治形態に入る。私はだから、少数民族のほうがはるかにレベルが高いのは当たり前で、かれらは話し言葉が同じで自分たちの文字を持っているから、ある程度のレベルで一致した考え方を生み出せるので、かれらの方が実は近代化ができると思います。

楊:モンゴル国は90年代から民主化できたし、カザフスタンなどのような遊牧民の子孫からなる国もちゃんと民主化しつつあるということで、やっぱり旧藩部のほうが西側の思想に慣れているんですよ。

宮脇:サイズと話し言葉なんです、結局。日本と中国は同じ漢字文化圏というけれど、漢字の役割が違っていて、日本人は、平仮名・片仮名のおかげで、話し言葉も共通なんですけれども、中国はいまだに漢字だけが共通で、耳で聞くだけで全国民が理解できるというのではない。国土のサイズのせいもありますし、本当に文盲が全くなくなっているかもわからないので、郷紳を失ったことは非常に痛手なんです。郷紳階級があったこそのネットワークだったんですよ。それをひとしなみにしたってことは、ものすごく落ちこぼれを作ったということとイコールだと思うんですね。だから全体のレベルを上げることがすごく難しいんです。孔子学院は、せめて日本の寺子屋程度の教育を全国民にしたいという願望なのです。でも、論語の中身を理解できるかというと全然できなくて、論語と孔子の名前だけ知っている子が何億人もできるだけだと思います。上と下のレベルの乖離が大きすぎて、これに比べたら満州帝国は、五族協和も日本の教育も徹底していたし、サイズもよかったですし、日本の文化帝国主義っだとか、日本語を共通語にしたとか悪口言われますけれど、けれどもあそこが今の中国の近代化のスタートじゃないですか。毛沢東は戦後、満州さえ握れば勝てると言ったし、戦後の工業生産の九割が満州だったわけです。ただし、今はもう搾取されてしまって、南の沿海のほうにすっかり富強中国は移りましたけど。

サイズと話し言葉なんですか・・・明治維新のあと日本が突出した由縁はコレだったようです。

「王朝から国民国家」という本の詳細は以下に収めておきます。
辛亥革命って(その1)
辛亥革命って(その2)



<関西人の話法>
ノーベル賞受賞の中山教授が言っていたが、関西人の話し方がアメリカ人に受けるそうです。
要するに関西人の乗りには国際感覚があるようだが、これには少なからず関西弁が貢献しているはずですね。
とにかく、関西弁で相手との間合いをつめるという高等テクニックは馬鹿にならないと思うのです。

ということで、中山教授のエピソードから、関西弁あるいは関西人の話法について究明しようではないかと思い立ったのです。
図書館で借りて今読んでいる「大阪ことば学」も含めて、我が蔵書録から「関西人の話法」という括りで集めてみます。

・大阪ことば学(1999年)
・街場の大阪論(2010年)
・全国アホ・バカ分布考(1996年)
・西方冗土(1994年)


【大阪ことば学】
大阪
尾上圭介著、創元社、1999年刊

<「BOOK」データベースより>
客のややこしい注文には「惜しいなあ、きのうまであってん」と切り返す。動物園のオリの前の立て札には「かみます」とだけ書いてある。距離をとらずにさっぱりと、聞いて退屈せんように、なんなと工夫して話すのでなければ、ものを言う甲斐がない。誤解されがちなことばの意味と背後にある感覚を、鋭く軽快に語る大阪文化論。

<大使寸評>
とにかく、関西弁に対する言語学的アプローチがええでぇ♪

Amazon大阪ことば学

この本からエッセンス部分を紹介します。


<相手と同じ角度でものを言う>p55~57
 「そない言わんと、まあ、堪忍したってや」
というような頼み方がその「芸」であって、堪忍してもらうのは自分自身であるのに、まるで第三者のだれかを許してやってくれと口をきいているような言い方をするのである。頼む自分と頼まれる相手とが180度向き合ってしまうのを避けたいという感覚のなせる技であって、満員のバスの中でも「ちょっと降ろしたって」という言い方をされると、多少無理をしてでも通らせてあげようという気持ちになるものである。
 これは船場のあるお店のご主人から聞いた話だが、店へはいって来たお客様に正面から「おいでやす。何しまひょ」と声をかけてはいけないという。買うのか買わないのかと迫っているような印象を与えるからである。ではどうするかというと、お客様の隣へまわって、お客様と並んでいっしょに品物を見ながら話をするのだという。できるだけ相手と向き合わない、相手と同じ角度からものを言うという大阪のことばの感覚は、このような接客の作法とひとつのものである。

 そのような感覚からすれば、相手の非を攻めたり、行動を強要したりする場合でも、どこかで相手の隣りにまわって肩を抱くというような一面を残していることが望ましい。
 「何してんねんな。はよせんかいな」
というときの「せんかいな」がそれである。「はよせんかい」というのは、どうしてはやくしないのか、ぼやぼやするなと叱りつける言い方である。だから当然、言った人と言われた人とは対立的な関係になってしまう。相手を叱る以上、少々とげとげしくなるのは仕方がないと覚悟するのが普通の感覚かもしれない。ところが大阪人は、ここで「な」という助詞を一つ付ける。「はよせんかいな」と言うと、とげとげしさはすっかり消えてしまうから不思議である。



<まあ あかんやろ>p80~84
 歌舞伎の好みにおいても、江戸、東京の荒事に対する大阪の世話物として表れる。19世紀の初頭、享和年間に成立した『作者式法戯財録』という書物によれば、京、江戸、大坂の三都は、狂言の好みに明らかな差があって、大坂の芝居は「理屈が好きな人情に合わせて理詰めに筋ができている」傾向が強いとのことである。二百年前から既にその傾向は顕著だったわけである。
 そのような合理性によって気持ちが動く傾向が強いからこそ、理詰めで考えるべきところと理屈を言っても仕方がないところとを直感的に区別する能力がとぎすまされたのであろう。理屈で詰めても仕方がないことは、「まあ」のひとことで片付けるわけである。
 だいたい、個人レベルでも、どっちでもよいことにごちゃごちゃと理屈を言いたがる人というのは、論理や合理性で気持ちが動く人ではない。むしろ理屈を言うことによって感情、気持ちを発散しているのであって、情緒の勝った人に多い。大阪の人は、と言っても傾向の問題であるが、合理性、理詰めで気持ちが動くゆえに、無意味なことに理屈を言いたてることを嫌う傾向が強いのであろう。悲しい話よりもおかしい話、笑いが大好きということと、合理性指向ということと、理屈言いが嫌いということとは、一つにつながっている。
 「あいつ肝心なとこ抜けてるから、何べんやってみてもまああかんで」

というような場合の「まあ」は、近畿以外の人には案外理解されにくいようである。「はっきり言えないけれど、たぶん(だめだろう)」という意味に受けとる人が結構多いらしい。
 もちろん、大阪弁としての意味はそうではない。「絶対に、まちがいなく(あかん)」というような気持ちである。
(中略)

 「まあ」という一つのことばが、「ややこしい話はおいといて」というところから、ある場合には主張や提案、要望の不完全さを自ら認める方向にも働き、またある場合には、逆に話し手の決め付けの強さを表現することにもなるのであって、このあたりの呼吸は大阪人なら、まあ、だれでも感覚的につかんでいるところであろう。



<相手との距離の近さ>p170~173
 大阪弁は、ことばそのものにおかしみがある。大阪人が二人寄ったら漫才になる、などと言われることがある。たしかに、大阪のことばで話すと笑いがふくらむし、大阪の人の会話には笑いが絶えない。これはなぜであろうか。
 人はことばでものを感じ、考え、ことばでひとと接触し、ことばで自己を表現する。ある都市、ある地域のことばの特徴と言われるものは、実はその地域の人のものの感じ方や考え方、ひととの接触のしかた、自己表現のしかたとといったものの特徴にほかならない。
 まず第一に、「相手との距離の近さ」ということについて。
 近鉄あべの橋駅の切符の自動販売機で、釣り銭が多く出過ぎてびっくりしている女子学生にむかって、隣の列のおじさんがすかさず「まあ、姉ちゃん、安う乗んなはれ」と声をかけたという話を前に紹介したが、大阪の人は、ひととの間に壁を作らず、心理的に距離をとらない傾向が高い。それは、自分と相手とが同じ所に立って、同じ角度でものを見る感覚と言ってもよいもので、「まあ、そない言わんと、堪忍したって」というように、自分が自分のために人に頼むときにすらあたかも第三者のために頼んでやっているかのような言い方をするということにも表れているところである。
 
 そのような感覚は「はよせんかいな」という言い方に見られるとおり、相手を非難するときですら「な」という助詞を使って相手と同じ位置に立ち、相手の肩を抱いて同意を確かめるような姿勢を維持するというところにも見られるのであった。
 相手との間の壁を取り去るようにものを言うという傾向は語法にまで表れていて、垣根をはずして自分の手の内を相手に見せる言い方である「ノヤ」由来の「ネン」がきわめて頻繁に使われ、この語法の好まれ方は「あるネン」に平行して「あっテン」という語法まで発明されているほどである。
(中略)
 大阪の人の会話を支配する「相手との距離の近さ」や「相手との共同作業の感覚」というべき特徴は、言うまでもなく、笑いにとっての基本的な要素である。笑いというものが、相手との間に共通の感覚を確認しあう社会的な行為である以上、右のような相手との一体感は、笑いの基盤であるにちがいない。



【街場の大阪論】
大阪
江弘毅著、新潮社、2010年刊

<「BOOK」データベース>より
スタバはないがお好み焼き屋があり、缶ビールを24時間売っているコンビニはないが朝からやってる立ち呑み屋があり、ヤクザが徘徊し、おばはんの立ち話が続く。そんな「大阪の街場」のリアルなコミュニティと、そこで生きていくおもしろさを、岸和田に生まれ育ち、関西有数の雑誌の名物編集長だった著者が、ラテンのノリで語る。大笑いしながら考えさせられる大阪発スーパーエッセイ。

<大使寸評>
「カーネーション」の世界で育ち、ベタな大阪を描いてるでぇ♪
著者に「関西人は話す言葉と書き言葉はちがう」と言われると、ハタと納得するのです。
Amazon街場の大阪論


この本から「関西弁で書くということ」を紹介します。

<関西弁で書くということ>p136~138
 常々「大阪弁(関西弁)で書くこと」について考えている。
 つい先日は『ダ・ヴィンチ』11月号で「関西ダ・ヴィンチ-あほあほ関西弁のちょっぴり真面目放談」という座談会をやることになった。
 その座談会は、このところ新しい大阪弁感覚の小説で売れまくっている西加奈子さんと、高村薫さんをして「大阪弁をシリアスな小説のなかにきちんとはめ込む、そういう芸当のできる作家は、わたくしの世代では黒川さんしかおられないではないでしょうか」と言わしめたミステリー作家の黒川博行さんとの三人でやらせていただいたが、なかなか「大阪弁による書き言葉」は、複雑で奥が深いものがある。
 わたしは今、この文章を関西弁、つまり正確には大阪弁のイントネーションとアーティキュレーション(言語の文節化)で書いているが、せやけど大阪弁でやなあ書いておもろいかどうかなんかわかりまへんがな、とは書かない。

 このような表記では、われわれ日常的に大阪弁を喋って生活している者にとっても、読みにくいからだ。これはとても微妙なことなのだが、どうしても実際の話される言葉のまま文章にする、つまり表記したい時には、会話のなかの引用文として「」でくくったりしている。
 よくいわれることだが、関西弁を母国語とする関西人は、言文一致体を持っていない。話す言葉と書き言葉はちがうということだ。けれども、イントネーション&アーティキュレーション的には、話すにしろ書くにしろ、どちらも関西弁である。
 また書かれたものを読む時は、新聞や週刊誌の記事も、太宰治の『走れメロス』も宮沢賢治の『永訣の朝』も、関西弁つまり関西イントネーションで読んでいるし、何かを思ったりものを考える時も関西弁である。
 そんなことを三人で話していて、そうだそうだと納得しあっていたが、どうもそうではないらしい。

 本渡章さんという人の『大阪人のプライド』という本を読んでいると、ある大学教授による大阪弁話者についての文章引用があって「考えるときは標準語でものを考える」「考えるときは書きことばで考える」とある。
 さらに本渡氏は「思考はものを書くのと似た作業だし、頭のなかで行われ、声をとうさないから話し言葉ではなく、書き言葉が使われる」「大阪弁は書き言葉にしにくい。だから、ものを考えるには標準語がよい」ということが書いてあった。
 さらに「大阪人は、標準語と大阪弁の二重生活を日々おくっている」と述べていて、結論として「標準語をしゃべる大阪人は『まじめ』にものを考える。大阪弁をしゃべる人間は『反まじめ』モードで考える。言葉の二重生活をする大阪人はしばしば『まじめ』と『反まじめ』の間で遊びながら考える」と締めくくっていた。



【全国アホ・バカ分布考】
アホ
松本修著、新潮社、1996年刊

<「BOOK」データベースより>
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。

<大使寸評>
番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪

Amazon全国アホ・バカ分布考
ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修
全国アホ・バカ分布図byドングリ



【西方冗土】
西方
中島らも著、集英社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
「ヤクザ、アキンド、ヨシモト」マスコミに描かれる関西人は三つの人種のみで、かれらは「けつねうどん」と「たこやき」を主食にしており「わやでんがな」などの、奇怪な言葉を操りつつ「がめつい奴」を演じている―という、恐るべきカンサイ人の朝昼夜。街角の看板、貼り紙。試験に出る関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを贈り、ヨタを飛ばすエッセイ集。浪速はこれ一冊でわかります。

<大使寸評>
関西弁のブラッシュアップにはお奨めの1冊でおま♪

Amazon西方冗土




<関西弁強化月間みたいに>
 「全国アホ・バカ分布考」読書レポートも6回まで進んで、なんだか関西弁強化月間みたいになっております(汗)
松本プロジューサーの、わりと格調高い論調もいいのだが・・・・ここで、もっとベタな故中島氏の著書「西方冗土」から、関西弁の実地例をとりあげてみたいと思うのです。

だいいち、「全国アホ・バカ分布考」の論拠にもなるし、他国から関西に来て戸惑うことのないようにと願う大使のサービスでんがな♪

<女の子をデートに誘う場合>

〇:エミちゃん、今晩ひま?
▲:別に用事ないけど。なんで?
〇:なんぞおいしいもんでも食べに行けへんか。
▲:いや!
〇:なんや、いやなんかいな。
▲:アホ。
(この“いや”は女子の使う感嘆符。“アホ”はののしり言葉ではなく“このひょうきん者”といった好意的なニュアンスである)


<相手をののしる場合>

〇:なんやと?おのれ誰に向かって口きいとんじゃ、このドアホ!
▲:あははは、いや冗談でんがな。
〇:冗談?寝言は寝てからぬかせ、このボケ!
▲:えろうすんまへん。
〇:“すんまへん”ですんだら警察はいらんのじゃ、このカス!
▲:・・・・なんもそこまで言わんかて・・・・
〇:やかまっしゃい、ミソ汁で顔あろて出直してこい、このスカタン!
(このような関西人には、「アホ」は親愛の言葉で、効き目はない。「ボケ」「カス」ときて、初めてムッとするのである)



<日常会話と死語>p91~92
 関西にはアキンドとヨシモトとヤクザしかいない、という固定観念には根強いものがある。しかし、一般に関西弁と思われているものは、主に商人の使う大阪言葉であって、若い人たちは社会人になって商取引の場に臨んだとき以外はこういうアクの強い大阪弁は使わない。
 例えば、高校生同士の会話で「さよかいな(そうですか)」「あきまへんわ(だめですね)」「かなんな(しょうがないな)」「さいでおま(そうです)」「堪忍しとくんなはれ(勘弁してくださいよ)」などの言葉が使われることはまずない。あるとすれば自虐的なギャグとして使う場合だけだろう。これを商取引以外の日常会話で変に使うと、いわゆる「変な外人」的な違和感を与えることになってしまう。人によっては関西弁に対する揶揄と受け取ることもあるかもしれない。
 その他、昔の「番頭はんと丁稚どん」などでおなじみの商家の言葉は多くは死語となっていて日常では使われない。「こいはん」「いとはん」「ごりょんさん」などの呼び名も大家族制の崩壊とともに、現在では使われなくなっている。


「西方冗土」という本のタイトルが、だいたい自嘲的であるが・・・・
大使の場合は、関西弁強化はあくまでも前向きであり、「今にみておれ」という意識が強いのである(笑)


【西方冗土】
西方
中島らも著、集英社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
「ヤクザ、アキンド、ヨシモト」マスコミに描かれる関西人は三つの人種のみで、かれらは「けつねうどん」と「たこやき」を主食にしており「わやでんがな」などの、奇怪な言葉を操りつつ「がめつい奴」を演じている―という、恐るべきカンサイ人の朝昼夜。街角の看板、貼り紙。試験に出る関西弁を縦横無尽、奇想天外に考察し、関西人にエールを贈り、ヨタを飛ばすエッセイ集。浪速はこれ一冊でわかります。

<大使寸評>
関西弁のブラッシュアップにはお奨めの1冊でおま♪

Amazon西方冗土




<全国アホ・バカ分布図>
最近は、品が無くて騒がしいバラエティ番組が多いので・・・見るに耐えない大使は、即チャンネルをスルーしているのです。
一方で、知っている人は知っている「探偵!ナイトスクープ」という長寿番組があるんですが、関西の視聴率では3位~5位あたりをウロウロしていて健闘しているわけです。
とにかく「探偵!ナイトスクープ」では、市井の民がおおらかな可笑しさ謳歌していて、ええでぇ♪
ちょっと気に食わないのは、西田某という八方美人の異邦人を局長に据えたことであるが・・・まあいいとしよう。

この番組の黎明期(1991年)に、「全国アホ・バカ分布」を実地調査したことがあり、大うけであったことは関西人はよく覚えているが・・・・
民俗学的なフィールドワークとしてもバッチグーであり、学者連中を唸らせたわけですね♪

分布図
この番組によって結実した「全国アホ・バカ分布図」です・・・すご~い♪


蔵書録を作っていたとき「全国アホ・バカ分布考」という本を見つけたので紹介します。なるほど傑作ノンフィクションですか・・・Amazonで買おうかと思っているところです。

【全国アホ・バカ分布考】
アホ
松本修著、新潮社、1996年刊

<「BOOK」データベースより>
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。

<大使寸評>
番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪

Amazon全国アホ・バカ分布考
ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修

ところで、同志社大学中退にして「永遠の0」の著者でもある百田尚樹さんは放送作家となった後、『探偵!ナイトスクープ』の構成も手がけていたそうです。やはり、どこかアホの雰囲気のある人なんでしょうね(詳しくは知らないけど)

wikipediaでアホ・バカ分布図の成り立ちを調べました。

wikipediaアホ・バカ分布図より
 1990年(平成2年)1月、関東人の夫がよく「バカ」という言葉を使うのに疑問を持ったという関西人の女性(自身は「アホ」を使うという)からの「アホとバカの境界線はどこか調べて欲しい」といった内容の依頼が『探偵!ナイトスクープ』で紹介された。この依頼を担当した北野誠が、アホとバカの境界線を調べるべく東京駅から調査に乗り出したものの、名古屋駅前での調査では「アホ」でも「バカ」でもない第三の言葉として「タワケ」が使われていたため、急遽「アホ」と「タワケ」の境界線を探ることに変更。岐阜県関ケ原町の住宅街で「アホ」と「タワケ」の境界線と思われる地域を発見したため、岐阜県関ケ原町が「アホ」と「タワケ」の境界である、といった結論を出した。

 ところが、当時局長だった上岡龍太郎は、「では、バカとタワケの境界線はどこなんですか?」と問いかけた。また他の探偵からも「大阪の西の境界線はどうなっているのか」などの質問が相次いだため、上岡は「今年一杯かかっても、きちっと地図に境界線を入れてください。」と北野に継続調査を行うことを命令。こうして、本格的なアホとバカの境界線の調査に探偵局は乗り出したが、視聴者からの情報投稿を元に第一次、第二次の分布図を作成した後、しばらくこの件に関する調査は休止状態となった。・・・・

 追加予算を得た番組スタッフは、言語学者の徳川宗賢のアドバイスを受けつつ、それまでの予算規模では困難だった地方自治体の教育委員会への大規模なアンケート調査を行い、1991年(平成3年)5月に「日本全国アホ・バカ分布図」が完成。アンケート結果に基づく追加ロケを行ったうえで特番として放送された。

 そして、1991年(平成3年)日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞受賞・第29回ギャラクシー賞選奨・第9回ATP賞グランプリを受賞した。




<漢字文化圏の成り立ちについて>
中華思想には反発するが、漢字文化圏という括りが好きな大使である。
それでは「日本古代語と朝鮮語」という本で、漢字文化圏の成り立ちについて見てみましょう。


【日本古代語と朝鮮語】
古代語
大野晋編「日本古代語と朝鮮語」毎日新聞社、1975年刊

<大使寸評>
中国に過剰適応してしまった朝鮮が見えてくるが・・・つくづく日本という辺境の有りがたさが解りますね。

Amazon日本古代語と朝鮮語


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック