松岡正剛の書棚

<松岡正剛の書棚>
図書館で『松岡正剛の書棚』という本を手にしたのです。
大使は松岡正剛の威張りくさった顔が好きになれないのだが(笑)・・・
本に関する薀蓄には畏れ入るし、編集工学というコンセプトを立ち上げたことは、すごいと思うわけです。

この本では、正剛さんの推薦する本が、本自体の画像や本棚に入れた画像で載っているので、思いのほか親しみやすくなっています。
ただし、本の内容についてはその本を読んでみるしかないのだが。

【松岡正剛の書棚】
松岡

松岡正剛著、中央公論新社、2010年刊

<内容紹介>より
あの「千夜千冊」が本屋になった。
書店初のセレクトショップ、松丸本舗を解説。
【目次】
本殿第1章 遠くからとどく声
本殿第2章 猫と量子が見ている
本殿第3章 脳と心の編集学校
本殿第4章 神の戦争・仏法の鬼
本殿第5章 日本イデオロギーの森
本殿第6章 茶碗とピアノと山水屏風
本殿第7章 男と女の資本主義
本集01 season 01 日本が変わる
本集02 season 02 男本・女本・間本〔ほか〕

<読む前の大使寸評>
この本では、正剛さんの推薦する本が、本自体の画像や本棚に入れた画像で載っているので、思いのほか親しみやすくなっています。
ただし、本の内容についてはその本を読んでみるしかないのだが。

bookservice松岡正剛の書棚


松岡正剛はiPad派のようで、電子書籍に対する忌避感も持っていないようです。
そのあtりについて次の対談を見てみましょう。

<対談:松岡正剛×東浩紀>p101~104
:「読む」ことに関してもう少し付け加えると、ブログやツイッターを見ていると、多くの人は検索ワードの周辺しか読まなくなっています。それが良いことか悪いことかはさておき、そういう情報の摂取の仕方に電子書籍はひきずられると思う。

 となると、電子書籍は、段落単位とまではいかなくても、4000字前後を一つの思考ユニットにして、ポンポンと並ぶような文章が標準とされるかもしれません。

松岡:なるほど、仏教のメディアの歴史を考えてみると、最初は非常に短いワード系のマントラがあって、その後、『維摩経』や『法華経』に代表されるストーリー系のスートラに行く。そしてフレーズ系のタントラという束の状態に戻るんですね。
 単語、フレーズ、長い文章は、それぞれいつも入れ替えが続いている。情報のリテラルな単位というのは一定の大きさで落ち着いてしまうものではないでしょうね。

:確かにそうですね。電子書籍は紙という物質的制約から解き放たれたことで、すごく長くなる可能性もあるし、逆にすごく短くなる可能性もある。ただ、どの長さになった時にコミュニケーションがうまくいくのかはそう簡単には予想できません。

 例えば、ツイッターは一度の投稿字数を140字に制限しただけで多くの人々の欲望を駆り立て、新しいコミュニケーションの形を生み出しました。でもなぜ140字か。

 アメリカの携帯のショートメッセージ・サービス(SMS)は160字に制限されていた。IDなどを付け加えることを考えると、140字まで短くすれば携帯のショートメールに入る。それで決まったんですね。つまり、140字になったのは非常に恣意的な結果です。

 さらに面白いのが、ではなぜアメリカのSMSは160字に制限されていたのか。ここから先はいささかデリダ的なテーマになります。これは噂話で僕は裏を取っていないのですが、ある電話会社が絵はがきを大量に調べたところ、人は1枚に160字前後しか文字を書かないことが統計的にあきらかになった、だから160字にした。この話が正しければ、ツイッターのつぶやきの起源は絵はがきということになります。

松岡:ライプニッツは、バロック哲学者の中でもっとも多くの手紙を出した人です。あまりに多いため整理がつかなくて、ドイツ語全集で、その巻だけ刊行が遅れているほどです。

 そのライプニッツが書いた手紙が平均200ワード。もちろん字数とワード数は違うけれども、18世紀以降の私たちの思考の単位は、その辺りのまま変わらなかったということですかね。

:僕たちは今、非常にライプニッツ的な世界を生きているのかもしれませんね。PCやiPadという「論理機械」もあるし、モナド的にみんな閉じていてしかも開いている。そして連絡は140字の絵はがきだけという世界。

<「分類」の仕方が変わり「社会的な脳」が現われる>
:本の分類でもそうですが、普通は「分類」というとツリー型のディレクトリ形式が想定されます。ディレクトリ形式の特徴は、大分類の数が小分類の数よりも少ないということです。ところが、ネット上の分類は、分類対象よりも分類項目の数のほうを多くすることができる。今、例に挙げられた「タグ」という言葉はネット上では非常によく使われます。

 例えば、今僕と松岡さんを並べた映像を撮影したとして、その映像には「物書き」とか「ジャケットを着ている」とかさまざまな「タグ」を付けることができます。ネット上では、この「タグ」を無限に作れて、しかも自分で作った「タグ」に合わせて、自由に情報を引き出すことができる。「分類」についての考え方が、電子メディアの誕生以前と以後では大きく違うんです。

 このことは、松岡さんのおっしゃる通り、人の思考の仕方を変える可能性があります。フーコーは、『言葉と物』の冒頭で、「シナのある百科事典」を紹介しながら、分類も規定も恣意的なものだと指摘しますね。

松岡:ボルヘスからの引用として、「皇帝に属するもの、香の匂いを放つもの、飼いならされたもの」といった分類がありうると言ってるね。

:それは西洋近代の分類法からすると、まさに「異質な分類」でした。近代では、階層構造を作らないと「知」は制御できなかった。しかし、今はテクノロジーが進化したことで、「異質な分類」をそのまま扱える。

 この松丸本舗には大量の本があります。これは松岡さんの頭の中のコンテクストを外在化したように並べられている。しかしこれからは、それをだれにでもでき、さらにダイナミックに変え続けられる時代がくる。「社会的な脳」などという議論もあります。

松岡:それぞれが権力を保持しながら国境を越えてネットワークをつなあいでいくというネグリの提唱した「マルチチュード」のようなものが、ブログやツイッター上ですでに起こっているわけかな。

:そうですね。そして、そのような状況は人間の脳に優しいものだと思うんです。人間の脳がもともと行っていた世界の整理を、ツリー状のディレクトリ構造はうまく再現できていなかった。それができるようになりつつある。


ところで、編集工学研究所では「電子図書街」のプロトタイプ開発がはじまったそうである。(2010年時点の話なので、今では電子図書街は完成しているかも)
ネットでそのあたりについて探してみました。

2012/11/15知の巨人・松岡正剛氏構想の図書街は東京ドーム6個分の広さより
 今回もいうなれば「書店の編集」だ。棚の並びや人の流れなど、一店丸ごとの編集作業の一部始終が、本書には惜しみなく開示されている。例えば1階入り口からエスカレーターを乗り継いで行く動線一つとっても、実に周到に計算されている。そして松岡氏は一見物理的な動線を引くかに見せて、訪れた人の“思考の動線”まで、絶妙にコントロールしていたりするのだ。

「元々は本書にも載せた、僕がかねてから構想を練ってきた〈図書街〉が原型にある。本の棚が各々連関しながら四通八達する、新アレクサンドリア〈知の神殿〉にも似た巨大都市です。ただしこれを実現するには東京ドーム6杯分は土地が要る(笑い)。今回のスペースは65坪でしたから、その超ミニチュア版です」

 とはいえ、4万~5万冊は棚に入るという広大な本の世界。…

図書街電子図書街


この記事も松岡正剛の世界2に収めておきます。


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