昭和史をどう生きたか(その2)

<昭和史をどう生きたか(その2)>
図書館で『昭和史をどう生きたか』という本を手にしたが・・・
半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。
かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪

戦争の足音が高まる今こそ、昭和史がもっと注視されるべきではないかと思うわけです。

【昭和史をどう生きたか】
半藤

半藤一利著、東京書籍、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
特攻に最後まで反対した指揮官の戦後。従容として孤島に身を殉じた将官からの手紙。空襲の空に凧を揚げていた少年。「阿部定事件」で中断した国会。反安保デモの終った夜…。史上例を見ない激動の時代に生きた人間たち、そして自分自身。「半藤昭和史」の対話篇、刊行なる。
【目次】
ふたつの戦場ミッドウェーと満洲ー澤地久枝/指揮官たちは戦後をどう生きたかー保阪正康/なぜ日本人は山本五十六を忘れないのかー戸高一成/天皇と決断ー加藤陽子/栗林忠道と硫黄島ー梯久美子/撤退と組織ー野中郁次郎/東京の戦争ー吉村昭/戦争と艶笑の昭和史ー丸谷才一/無責任論ー野坂昭如/幕末から昭和へ熱狂の時代にー宮部みゆき/清張さんと昭和史ー佐野洋/戦後六十年が問いかけるもの(辻井喬)

<読む前の大使寸評>
半藤さんの対談相手の12人が、なかなかのメンバーである。
かの今次大戦に対して、行け行けどんどんの人が含まれていない人選がいいではないか♪
rakuten昭和史をどう生きたか



読みどころの多い本なので、(その2)として紹介します。
『失敗の本質』を著わした野中郁次郎氏との対談を見てみましょう。

<撤退と組織>p165~172
野中:本日は「撤退の本質」ということについて、存分に話し合うことができればと思っております。

半藤:「撤退」ということで、すぐに思い浮かぶのは、「ガダルカナル島の撤退」と「キスカ島の撤退」です。日本が太平洋戦争で成功した撤退というのは、この二つだけじゃないでしょうか。島嶼の戦いは玉砕という形をとった。

 ガダルカナルの撤退は連合艦隊司令長官、山本五十六が駆逐艦20隻を投入して全部潰してもかまわないからやる、ということで一気に敢行した。アメリカ軍のほうは撤退と思わず、補給と思っていたのであっけにとられたというくらいの見事な作戦でした。
(中略)
 キスカ島の場合は半分は僥倖があるのですが、両方に共通するのは、指揮官の決断があっての成功ということです。片方は最高指揮官、もう片方は現場の指揮官ですが、自分の判断で行った最高の決断でした。
(中略)
 他は野中さんが『失敗の本質』(中央公論社)でお書きになっているように、日本の軍隊は集団主義ですから、あっちの顔を見たり、こっちの顔を見たりして優柔不断になりやすいので成功しない。撤退そのものが日本人は不得手のようです。

野中:私は経営学の組織論という分野を専門としている者ですが、方法としては知識創造というコンセプトで組織を切ろう、ということでやっております。

 で、知には二つのタイプがあります。まず論理的で分析的な「形式知」。デカルトを典型とした西洋型の知ですね。一方、言語やドキュメントで表現するのが困難な、「暗黙知」というものがある。直感、ノウハウ、クラフトみたいな経験知で、長嶋監督のような方が典型です。

 私どもは、組織としての日本陸海軍を研究して『失敗の本質』を書きましたが、書いているうちにアメリカ軍は極めて論理分析を大切にするが、日本軍は暗黙知型である、とつくづく思い知らされました。
 知を生み出すには形式知と暗黙知が循環することが大切なんです。経験知も大事だが、それをきちっと言語化、概念化することによって反省が起こる。反省が起これば自分の経験知も豊かになるはずなのです。ところが、日本軍を見ていますと、論理的、分析的な人物が中心にいなくて、声が大きいとか、一見度胸がいいとか、直感型の人が重視される傾向にあって、組織の中で知を生み出す対話が起こらないということを強く感じました。

 『ノモンハンの夏』(半藤一利著)を読みまして、ノモンハン事件を引き起こした関東軍作戦参謀の辻政信は、本当のエリートだったのだろうか、とあらためて思いました。彼は極めて頭のいい人物でしたが、本当の意味で対話のできるリーダーではなかった・・・・。
半藤:辻政信だけでなく、この場合は同じく作戦参謀だった服部卓四郎とのコンビを考えたほうがいいんじゃないかと思います。

 日本の軍隊は個人では動かず、集団で動く。集団をリードするのは個人なのですが、その時に強力なコンビが存在しますと、思いのほか集団をリードしてしまうことがある。
 インパール作戦でもビルマ方面軍司令官の河辺正三と第15軍司令官の牟田口廉也がなコンビを組んでいるんですね。実は盧溝橋事件もこのコンビがやっているのです。

野中:つまり同じ失敗を繰り返した、と。

半藤:ええ。盧溝橋の時、河辺は旅団長、牟田口は連隊長でした。これ以上拡大してはいかんと、河辺が止めに来るのですが、牟田口と睨み合ったまま、顔面蒼白のまま河辺は何も言わずに去るのですね。以来あ・うんの呼吸と言いますか、肌の合わない二人なのに、コンビになると妙に呼吸があった。

野中:暗黙知は共有していたわけだ(笑)。

半藤:そうなのですよ。その二人がインパールへ行く。「閣下、私たち二人が太平洋戦争を引き起こしたのだから、私たち二人の手でこの戦争の最後、見事に花を飾りましょう」というのがインパール作戦の基本なのです。日本人というのは非常に知的な人がいても、もう一人の強硬論者とコンビを組みますと妙に突出してしまう習性があるように思います。

野中:非常におもしろいご指摘ですね。

半藤:私はノモンハンのあとが特に大事だと思っています。辻政信と服部卓四郎の二人はもうこりごりだったのでしょう、北へ出るのは。それで二人は南へ南へと思考を転回させるのです。ノモンハン後、辻はただちに台湾に行き、南方作戦を研究していますからね。

 ノモンハンの1年後、服部卓四郎は陸軍参謀本部へ戻ります。そして作戦班長になっちゃう。その上の作戦課長はロシア通の土居明夫、部長は田中新一でした。

(中略)
以後、復活したコンビは南へ、南へと対米英戦争必至の南方作戦計画を推し進めていくのです。

野中:半藤さんは司馬遼太郎さんとお親しかったと思いますが、『坂の上の雲』を例にとっても、明治維新の頃の人々は非常に深く考えていますね、謙虚に。ああいう深さというものはどこから来たのでしょうね。

半藤:当時、国民の知的レベルが相当に高かったからではないでしょうか。
 私がなぜ『ノモンハンの夏』を書こうかと思ったのかと言いますと、もしあの時点で反省し、教訓を学んでいれば、その後日本を滅ぼすようなことはなかったのではないか、と思ったからです。ところが、実際に本を読まれた方々はそうした教訓よりもむしろ、現在の日本と似ていると思われたようなのです。

 戦争の時代にはなぜ、いい意味のインテリゲンチャがいなかったのだろうか。リーダーの中に知性の欠けている人が多いのはどうしてか。現在もリーダーに本来の意味での知的人物がいないのはどうしてだろうか、と聞かれることが多くなりまして、それで私も考えました。

 その結果、国民全体の教育レベルが低い時には、どうしてもいいリーダーがでないのじゃないか、と。幕末から明治維新にかけての国民の知的レベルは相当に高かった。それでいいリーダーが出て、明治維新も成功したのではないかという気がします。

野中:太平洋戦争の頃は、新聞、マスコミの知のレベルも低かったのですね。逆に戦争を煽っていますからね。極めてプリミティブな攻撃性と申しますか、情緒的な知が支配していた、ということが問題ですね。

半藤:そう、情緒的な知、いまとあまり変わりませんな(笑)。

野中:もう一つ感じましたのは、『坂の上の雲』などでは、本質を見抜く哲学的な思想が身についている。しかも彼らは美しい言語で概念と言いますか、コンセプトを出せる。
(中略)
 単なる直感を超えた自覚と言い換えてもいい。この自覚に至るためにはどうしても経験知が形式知と相互作用しなくてはいけません。そこで日本の軍人、とくにノモンハンなどの失敗を見ていますと、経験を積んでもそれを言語とか概念に捉え直すということがないのですね。言語にしませんと私たちの経験を自覚的に捉えることができませんから、反省を欠きますね。

半藤:なるほど、たしかにそうですね。正確な言葉にして教訓を残していない。

野中:真珠湾攻撃というのは艦隊決戦から航空主兵へと移ることになった新しい概念なのです。ところが発案者である山本五十六の書いたものを読んでも奇襲というアイデアはあっても、これまでとはまったく異なる理論が背後にある、本質的に「機動部隊」という概念があるのだということを言っていない。
 そこで源田実参謀に会いに行ったんですよ。「あの時、機動部隊というコンセプトははっきりしていたのでしょうか」と。もうかなりお年でしたが、「どうもはっきりしていなかったな。ただ、俺は航空主兵ということは論文で書いた」とおっしゃってはいましたが。
 
 逆にきちっとっしたコンセプトを形式知化し、ハード、ソフトに落とし込むシステムを構築したのは米国海軍でした。

半藤:おっしゃるとおりで、日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による自己改革。さらに言語化。これができないんです。


丸谷才一氏との対談の中で満州国建国あたりを、見てみましょう。

<戦争と艶笑の昭和史>p210~213
丸谷:満州国建国というものがどうしてあんなふうにうまく成功したのかという疑問があるわけです。なぜ列強の干渉を受けずに、見逃されたんだろうか。

半藤:いちばん初めに文句を言うはずのソ連が、一言も言ってないですからね。極東には関心がなかったんですよ、もう。昭和の初めの時点では欧米列強は、ソ連も含めて・・・・。

丸谷:ニーアル・ファーガソンというアメリカの学者の『憎悪の世紀』という20世紀論によると、大恐慌が1929(昭和4)年に起こる。するとイギリスもアメリカもみんな対外政策を自粛して、国内政策にやっきになった。それで1931(昭和6)年になると、スターリンは極東への関心を捨てちゃって、1935(昭和10)年に日本に東清鉄道を売った。そしてソビエト軍をアムール川まで引いちゃった。

半藤:ウォール街の暴落以後、欧米列強の眼がアジアのほうまで向かなくなったのはたしかなんです。

丸谷:だから僕はね、ここのところまで読んだとすれば、石原莞爾ってのはやっぱり頭がよかったのだなあと。

半藤:そこが問題なんです(笑)。まあ、いくらかどさくさ紛れの感はありますがね。ただ、アメリカはそれほど文句はつけなかったもののやっぱり初めから睨んでましたからね。石原莞爾が思うように最初はうまくいきましたけど、やっぱり最終的には・・・・。

丸谷:ねえ。しかも、ファーガソン先生に言わせると、満州は要するに場末だからみんなが放っておいたと。しかし上海となると、これはそうはいかなかったんだと。上海事変をやったのは石原莞爾じゃないですけど。

半藤:ほんとに満州事変だけでやめておけば、日本はよかったんですよね。こう言うとなんか帝国主義者になっちゃうけど(笑)。あそこぐらいまでなら手を出したって文句はないだろう、他の国もやってるのだからというぐらいの、じつに単純な考え方だった。

丸谷:それがあっちにも手を出す、こっちにも手を出すという、下手な碁みたいな話になった。日本は結局1930年代になっても、1890年頃のイギリスの真似をしてたわけですね。

半藤:それで通用すると思っていた。

丸谷:不戦条約があったでしょう。

半藤:昭和3年ですから、1928年か。あの前後からすっかり世界は変わっていたのに、それを日本は理解してなかったのですね。

丸谷:うーん、そこがねえ、不思議なんだなあ。つまり、不戦条約なんてものは要するに言葉の上だけのもの、という気持ちだったのでしょうね。

半藤:だから、石原莞爾たちが満州事変を起こすのも、長期的な構想があってやったのかというと、そうでもない。何か障害にぶつかるとその都度、さあ、どうしようかと。

丸谷:おもしろい話があるんです。昭和6年の9月20日過ぎ、ハルビンの甘粕正彦のところに和田勤という予備中尉が乗り込んできて、「奉天では急いでいるんだ。まあ、ここはオレに任せろ」と甘粕に言った。和田は甘粕と二人でホテルの三階の部屋から満鉄の事務所のほうを見て、「よく見ていろよ。満鉄事務所が吹っ飛ぶから」と言ったんで、甘粕は愕然として慌てて日頃世話になってる満鉄事務所長の宇佐美寛爾という人に電話をかけて、「至急来てください」と呼びつけたんで、彼がふうふう言ってやってきた、ちょうどそこへ、トランクを持った和田の手下がやってきて、「大将、時限爆弾が故障でダメです」と・・・・。

半藤:要するに、ハルビンで事件を起こして、防衛という形で軍隊を進めようとしたのですね。でないと侵略になってしまいますから。しかし、甘粕が工作したけどうまく行かなかった、という話は知ってますが、そんな計画があったというのは初めて聞きましたよ。満鉄の社史を見たら出てくるのかな。

丸谷:先程の話は、『満州裏史』(太田尚樹)という本に書いてあるのです。それで、満鉄の宇佐美氏はカンカンになって怒ったと。「すんでのところで、あの世に送り込まれるところだったのだから、怒るのも無理はなかった。この事実は、ほとんどの満鉄社員の間に知れることになった。当然のことながら、彼らは恐ろしさに震え上がり、それが収まると、こんどは怒りに震えたという」と書いてあります。呆れ返ってしまうね、これを読むと。

半藤:日本人がいかに場当たり的に動いていたか。浅はかというか・・・・。

丸谷:ファーガソンの本には、こう書いてある。イギリス帝国主義は、現地の事情に通じているビジネスマンがやった帝国主義である。で、日本の帝国主義は、空想的な軍人がやった帝国主義である。

半藤:それは当ってますね。だから、満州国をつくったのも軍人が中心で、経済人はぜんぜん関与していません。いわゆる経済人が向こうに行くのはずーとあとですからね。日本が「遅れてきた帝国主義」と揶揄される所以です。


昭和史をどう生きたか(その1)

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