『千と千尋の神隠し』を読む40の目

<『千と千尋の神隠し』を読む40の目>
図書館で『『千と千尋の神隠し』を読む40の目』という本を手にしたが・・・
インタビューや対談のメンバーが、立花隆、養老孟司、岩井俊二、山田洋次、大林宣彦、他と豪華なんで借りたわけです。

養老孟司さんへのインタビューを見てみましょう。

<インタビュー2:養老孟司>よりp35~39
ハク

<余計なことを考えずに楽しめる作品>
Q:ご覧になった印象はいかがでしたか。
養老:これまでに比べて色々な意味で一般的になったと思いました。主人公の千尋は魔法が使えるとか何か特別な能力を持った少女ではない。

 筋立てもそうです。登場人物はどこかで見たようなものが多い(笑)。西洋の魔女のような湯婆婆が出てきたり、ハクは「ネバーエンディングストーリー」の竜にそっくりだしね。番台蛙やお多福も出てきて、あれは大和絵というか、もっといえば河鍋暁斎から水木しげるにつながるような日本型の妖怪。それから坊ネズミは「ムーミン」のキャラクターにちょっと似ています。
 そういう意味では世界中の人が観ても違和感がないものだと思います。これだけ色々なキャラクターが登場したのは、受けを狙ったというよりもサービスでしょうね。

 この前、僕が宮崎さんにお会いしたのは「もののけ姫」が終わった後で、次回はどうしようかなと考えていらしたけど、それがこうなったんだな思いました。ひとつはエンタテイメントになったということ。主張より楽しませることに重点を置いていますね。

 それはあれだけのスタッフを食べさせていくためということもあるでしょうし、年齢的なこともあると思いますが、逆にいうと主張を抑えたことで品が良くなっています。
 不躾に主張すると品が悪くなりますが、主張を抑えてヒントを出して読んでもらったら読んだ人は自分の考えだと思いますから、むしろそれに固執します。そうすると効果が大きい。でも、これまでのようにものをはっきり主張してしまうと賛否両論になってしまうわけです。

 それにこの映画は様々な文化の人に見せて反応を聞いたら面白いのではないかと思います。それこそ韓国の人にも、主張を抑えてエンタテインメントに徹したことで深読みできなくもないし、何重にも読めるわけです。僕は今回は余計なことは何も考えずに本当に楽しんで観ましたけれども。

Q:神様も骨休みに二泊三日くらいの慰安旅行をするというアイデアは秀逸だと思いましたが、日本の神様や妖怪の図像はたくさん残っているのでしょうか。

養老:僕もあれでストンと納得しましたよ(笑)。僕がこの映画を観てすぐに思い出したのは先ほどもいった河鍋暁斎です。今回の映画のキャラクターの絵柄は明治以前からあった非常に日本的なものです。もちろんもっと遡れば「伴大納言絵詞」や「鳥獣戯画」ですよね。

 実際に宮崎さんにどの程度の影響があるのかわかりませんけれども。ただ影響を受けていないにもしても、やはり日本的だと思います。色使いもそうですし。暁斎の方が原色を使っていて派手なくらいです。

Q:なるほど、今回のキャラクターの色使いはかなりはっきりしていて、どぎついくらいですが違和感がないのは私達が古来知っていた色使いで、それを忘れていただけなんですね。

養老:色を地味にしていったのは江戸時代です。僕は岡山で能の衣装を見てびっくりしたことがあります。ものすごくモダンで派手でした。室町時代は両方の流れがあったわけでしょう。
 茶の湯や墨絵、禅といったものがあって、一方に婆娑羅のようにものすごく派手なものもあった。安土桃山時代についていえば利休の茶の湯と秀吉の金の茶室に代表されるように、その二つが両極端にある。それが江戸時代になるとくすんできます。

 派手なもので江戸時代にも生き残っていたものに九谷焼がありますが、ただあれは北陸地方のものですから雪に閉じ込められた冬に蝋燭の光で見るわけです。すると派手さがむしろ地味とはいえないまでも、ずっと落ち着いて見える。九谷焼はそういうことも想定した、とても凝ったものなんですね。

<今の日本人を強烈に風刺したカオナシというキャラクター>
Q:主人公の千尋が迷い込んだお湯屋は会社組織だと宮崎さん自身がおっしゃっていますが登場人物も多種多様で、西洋の魔女あり日本の妖怪、八百万の神、そういうものが一緒くたになって登場して、特にカオナシは現代を象徴するような重要なキャラクターだと思いましたが。

養老:あのごちゃごちゃになった世界は今の日本そのものだと思いました。僕はカオナシというキャラクターはいいなあと思いましたけど、それを理屈にすると面白くないんだよね。

 あの声がなんともいえないでしょう。何を聞かれても何も答えない。誰かを飲み込むとその人の声でしゃべって自分の声がない。蛙を飲み込んだら蛙の声になるし(笑)。あれはものすごい風刺ですね。今や自分の声のない人ばっかりだから。

Q:少女がトンネルに入る前と後で何かが変ったのかなあ、いや何も変らないのかなあというあの設定も良かったですね。

養老:何気なくていいんじゃないですかね。現実に子供が育っていくときもそういうものでしょう。特別なことが起こるわけではない。

Q:今回、カオナシがあらゆるものを飲み込んで、また吐いて。どんどん巨大化してゆくお湯屋のシーンにはびっくりしました。色も極彩色で。

養老:あれは見せ場ですね(笑)。印象に残りました。飲み込むとか吐くとかというのは人間の感覚の中では内臓の感覚です。「飲み込めない」とか「腹を割る」とか「腹の底が知れない」とか。ありとあらゆる表現があります。そういうものは理屈にして面白いことでもないんだけど。

Q:名前を盗られてしまう。すると記憶も薄れていってしまうというアイデアは意味深いくてすごいと思いました。

養老:あれはもっとも神話的なものなんです。カンといわれるもので、諸葛孔明も本名は諸葛亮で孔明は字でしょう。本当の名前を親しい人にしか教えないというのは世界中にある習慣です。もっと原始的な文化といわれる所では本当の名前はその親しか知らないというようなこともあるようです。

Q:「となりのトトロ」のキャラクターは洋の東西や識字率の高低も問わず、すっと受け入れられて、アフリカの人たちは猫バスをすぐ理解して大好きになったというようなことも聞きましたが、宮崎さんの作品にはそういうところがありますね。

養老:そういうものを日本では感性といいます。感性に訴えるということでしょう。けれども日本語の感性に相当する言葉が西洋にないので非常に定義しにくいんです。ただの感覚ではない。視覚とか聴覚のように我々が医学的にきちんと分けることができるようなものでもなく、もう少し抽象化された、もう少し広い意味でいう感覚。そのしかも受けとり方なんです。

 感性というものは完全な意識の段階までは抽象化されないけれども直の感覚よりはもう少し抽象的で、そのちょうど間のところにあるものです。そういったものに相当する言葉は西洋にはまだないので西洋風な切り口と折り合わないところがあって、はっきり定義できない。非常に曖昧な言葉なんです。
(中略)

Q:「もののけ姫」のときもそうでしたが、宮崎さんはこの「千と千尋の神隠し」がご自身の最後の長編アニメーションだとおっしゃっています。長編アニメーションは3年も4年もかけて作るものですから肉体的なこともあるのでしょうが。

養老:いつも最後だと思って作っているんだと思いますよ。最後というよりも最後になってもおかしくないという思いで。一作完成する度にアイデアをすべて出し切ってしまうんでしょう。今回は僕も何も考えず、ひたすら楽しんで観ました。宮崎さんが随所で遊んでいますし。これまでと大きくは違いませんが、随分変わってきていると思いました。特有のわかりにくいメッセージが消えて、年齢的なこともあるのでしょうが、品が良くなってきました。まあ悪くいえばぼかしが入ってきているといういい方もできるけどね(笑)。
 これまでは、そこまで不躾にいわなくてもいいじゃないかというような主張もありましたけど、精神性とかそういうものって不躾に出すと八紘一宇じゃないけど、わけがわからなくなって嫌らしくなってしまいますから。何しろ本人が楽しんで作っていて、たいした教訓がないところがいいですよ。

 どちらにしても作品としては相当に完成していると思います。これこそアニメそのものだと思いましたし、今後なかなかこれを超えるものは作れないでしょうね。



【『千と千尋の神隠し』を読む40の目】
千

ムック、キネマ旬報社、2001年刊

<「MARC」データベース>より
宮崎駿4年ぶりの監督作品「千と千尋の神隠し」。その世界観やストーリーをわかりやすく紹介。立花隆、養老孟司などのインタビュー、寄稿、対談を収録するほか、宮崎駿とスタジオジブリ作品のデータを掲載。

<読む前の大使寸評>
宮崎監督の作品では、『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』が双璧だと思うわけで…
ちょっと古い本だけど借りた次第です。
作画&映像技術考というアプローチもあったりで、なかなか多角的なムックです。

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この本も宮崎駿の世界に収める予定とします。


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