熱闘!日本美術史

<熱闘!日本美術史>
図書館で『熱闘!日本美術史』という本を借りて読んだのだが、冒頭に次のような前置きがあり…ボクシング試合の前口上を聞くみたいやで♪

その昔、日本には「絵合せ」という優雅な遊びがあった。貴族たちが左右二手に分かれ、持ち寄った自慢の絵巻を1番、2番…と組にして優劣を競ったさまは、源氏物語「絵合」の巻に詳しい。ここにご披露するのは、その現代版。「芸術新潮」誌上で21回にわたってくりひろげられた、過激なるニュー「絵合せ」の成果である。・・・・とのこと。

では、「こわいかわいい」に着目した絵合せ15番を見てみましょう。

<絵合せ15番・長沢芦雪:辻惟雄>よりp105~107
 中国・朝鮮に生息して日本では見られない虎は、美しさと恐ろしさを備えた異国の霊獣として、武家の邸宅や、彼らの寄進する寺院の襖絵の画題に好んで用いられた。
 昨年(2010)秋、名古屋城の天守閣で催されていた「武家と玄関 虎の美術」展では、中国・朝鮮の虎の絵と、それをモデルにした日本の中世・近世の虎図が、名品・珍品とりまぜて会場を賑わせ、実に興味深いものだった。

 それを見て思ったのだが、せいぜい毛皮くらいしか見てなかった日本の画家が描く虎には、どうも実在感がない。竜のような架空の動物と違い、今なら動物園やサーカスなどで見られるだけに、リアリティの欠如が気になるのだ。装飾画としての効果はさておき、ハリボテの虎ではしまらない。

 その中で、一番魅力的に映ったのは、無量寺の「虎図襖絵」だった。襖いっぱいに描かれた虎が、前脚を揃えて獲物に襲い掛かる、その刹那の躍動が見事にとらえられている。右方へ走るような岩のかたちが、虎の躍動感をいっそう強める。
(中略)

芦1

芦2

 言いたいのは、芦雪がここでいくつものモデルのすり替え・変身を行っていることである。描かれたモデルが虎から猫に変身していることもわかるだろう。大きさにまどわされないでよく見れば、柔軟な肢体を持つこの可愛らしい動物はまごうことなき猫なのだ。
(中略)
 カメラをズーム・アップさせ、対象を眼前に迫らせる―映画が得意とするこうしたクローズアップの手法を、日本の画家はすでに17世紀から襖や屏風のような大画面で試みていた。海北友雪の妙心寺鱗祥院の襖絵では、竜の頭が画面いっぱいに拡大されている。芦雪と同時代の曾我蕭白が描く「雲竜図襖絵」では、思い切り巨大化された竜の出現が、怪獣映画さながらの劇的効果を収めている。ムラカミさんが、これの現代版として制作した横幅18メートルの超巨大な竜の絵は、先日ローマで公開された。あちらの人はさぞたまげたことだろう。芦雪の無量寺の虎も蕭白の巨大竜の同類だが、このように、まるで映画のスクリーンから寅が跳び出るような3Dのイメージは、芦雪の前にも後にもあるまい。さらに、この猛獣が、実は猫だったとなると―芦雪の機知と遊び心(プレイフルネス)の横溢を感じさせるのだ。

 見る者をアッと言わせる驚きの演出―これこそが芦雪が、絵に求めてやまないものだった。



<絵合せ15番・虎子図:村上隆>よりp108~109
 この作品を現代に蘇らせ、村上隆流に描くにあたっての着目点は、この「こわいかわいい」部分だと思いました。
 私の虎図は、芦雪のふすま絵と全く同じサイズに描きました。構図的に大きな虎が前に出てくる左の構図と、画面右側の岩と笹のスピード感あふれる構図の流れを、かわいらしいキャラクターで摸倣したかたちになっています。

村上

 現代人の我々が俯瞰して江戸時代の絵をみる時に、どこか価値観にズレがあるな、と思います。例えば浮世絵のキャラクターたちは目が細くて瓜実形の顔をしていますが、それがかっこ良かったり美しさの象徴だった訳です。

 なので、今、われわれがかわいいにゃ~と、ハローキティやプリキュア、ポニョやトトロを感じてますが、未来の世界の価値観だと、気持ちの悪いデザインになっている可能性大です。

 かわいいの基準、法則が、100年200年後に通用するわけでは無い。竹取物語の時代の美人の法則と現代では全く違うように、かわいらしいと思えるような法則も時代によってどんどん変遷していきます。
 なので、今回の虎の図は私的にはかわいく描いたのですが、200年後には実は本気で恐ろしい虎そのものに見えるかもしれませんね。


猫好きの大使としては、どうしても芦雪の虎図の可愛さに目が行っていまうのです♪
村上さんの虎図も、それなりに可愛いけど。

もう一つ、村上春樹の絵合せ17番を見てみましょう。

<絵合せ17番・村上春樹ほか:辻惟雄>よりp118~119
かけはし1
 ずいぶん長い間、文芸書の類から遠ざかっている。が、村上春樹だけは例外だ。
 『ノルウェイの森』を読んだのが最初で、それから『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』…。ほかに何を読んだか忘れたが、これだけ読めば、私も、世界中にゴマンといる村上春樹ファンの一人といってもよいだろう。
(中略)

 以前一度、ほんのちらりと、氏を見かけたことがある。たしかな記憶ではないが、1995年、『ねじまき鳥クロニクル』が出て評判になったころ、場所は京都の国際日本文化研究センター。ちなみに氏がリスペクトする故河合隼雄氏は、以前同センターの所長だった。
 大勢に囲まれた人気作家の姿をのぞき見て、この人は相手の顔を見ながら物をいうタイプではなさそうだ、と思った。考え事をしているのか、言葉を反芻しているのか、空想に浸っているのか、相手の話に受け答えしながら、心はここにあらず、に見えた。なぜか私はそのとき、野間宏のことを思い出した。戦後まもなく、ブリューゲルの絵からの連想を長々とつづって有名な『暗い絵』を書いた人。遥か以前、この人が「アカハタ」に頼まれて、展覧会場で私の友人の画家にインタビューしていた、そのときの顔が浮かんだのである。相手に質問しながら、一方で自身の心の中の誰かと絶えず対話している牛のような顔つき。

“風のように自由”な村上の文体と、限りなく重い野間の文体とは、あまりにもかけ離れすぎている。二人を連想のまな板にのせる私のやり方は、ただの素人の思い付きかもしれない。だが両者の間には、たしかに共通するものがあると私は思う。それは、文章がイメージを喚起する力の強さ、とでもいうべきか。

<絵合せ17番・2つの月の出る世界、高速道路くものかけはし:村上隆>よりp124~126
かけはし2

 僕は村上春樹のファンです。でも、世間的な村上春樹ファン濃度との比較を考えれば、その資格は無い。うむむ。
 幾つかの短篇と、『風の歌を聴け』『ダンス・ダンス・ダンス』『ノルウェイの森』と『1Q84』しか、読んでいない。
 それと加藤典洋さんの『村上春樹イエローページ』を読んだりして、なんか「へぇ~」とか思ったりして。
 薄いですね。
 でも、勝手に、作品の世界に僕自身の問題意識を投射させてもらって、一緒に生きてる時代を考えたりさせてもらってる。近作の『1Q84』は凄い作品だと思う。なので、オマージュというか、その世界をイメージにしてみました。



【熱闘!日本美術史】
熱闘

辻惟雄×村上隆著、新潮社、2014年刊

<Amazonの商品説明>より
辻が意中の絵師たちについて書けば、村上はそれを換骨奪胎・新作を描きおろす。美術史家×アーティストの奇想天外二十一番勝負!

<大使寸評>
辻惟雄×村上隆、30歳の歳の差があるお二人だが、意外に噛み合っているのです・・・
奇想の絵画発見の元祖のような辻さんの資質に負うところもあるんでしょうね。

rakuten熱闘!日本美術史


この記事も村上隆アンソロジーに収めるものとします。

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