卒原発について   ③

<卒原発について>
卒原発について集めてみました。
エンジニアのプライドが邪魔するのか、当事者からあまり漏れ聞かない事実があるのだが・・・・ 再処理施設ともんじゅのトラブル経緯を見る限り、これらは破綻した技術と言わざるを得ないようです。この分野に投入する技術的資源を廃炉に切り替えるのが、日本の技術というべきか。

・(けいざい深話)敗れざる男
・原発がベース電力だって?
・脱原発・卒原発の輪
・「駄目なものは駄目」という女の論理



<(けいざい深話)敗れざる男>
朝日の短期経済コラムとして「(けいざい深話)敗れざる男」シリーズが載っていたが、エリート官僚の脱官僚が興味をひいたのです。

 大使が東京に2年間出向していたとき、仕事のうえで通産省の官僚ともお付き合いがあったので、なおさらこの記事が気になるのです。


井原

10/22敗れざる男1:エリート官僚、原発を疑うより
 伊原智人(46)はいま、グリーン・アース・インスティテュートというベンチャー企業の社長をしている。直訳すると「緑の地球研究所」という大仰な社名だが、従業員は16人、2011年設立の、ささやかな会社である。

 サトウキビの搾りかすやトウモロコシの葉っぱ。食べられずに捨てられる農業廃棄物を燃料やアミノ酸に変える――。そんなバイオベンチャーだ。本社は東大キャンパス内の一室にある。

 東京駅から1時間余り。千葉県木更津市に研究所を借りた。「いまエタノールをつくっています」。伊原が専用タンクの前でそう説明してくれた。いまや作業着姿がすっかり板についた彼は、民主党政権で「2030年代に原発ゼロ」を目指した官僚だった。

 12年夏。「再稼働、はんたーい」「原発を止めろー」。官邸前の抗議行動に集う人たちの声は、伊原の職場によく響いた。彼が企画調整官を拝命した内閣官房国家戦略室は、官邸むかいの合同庁舎8号館にあったからである。

 国家戦略室は、政治主導を夢見た民主党政権が新設した部署。そこに奉職した伊原は、霞が関に手足がない政権が、原発を所管する経済産業省に頼らずに政策立案しようと、政治任用された男だった。電力業界に精通した元経産官僚だった。

 1990年春、通商産業省(当時)入省。同期の事務官28人は全員男、うち27人が東大卒。まだ中央省庁の人材に多様性が乏しい時代である。

 中高大とハンドボール部に属し、妻は東大同部のマネジャー。キッコーマンの営業マンだった父の転勤に伴い、高松、仙台、名古屋、東京と転々とした。兄弟ともに東大に進学し、兄はいま厚生労働省健康局の総務課長を務める。

 入省当時から目立つ存在だった。「役人は体力がないとつとまらないが、伊原君はスポーツで鍛えた体力がある。しかも簡にして要を得た説明ができ、なによりも誠実」と同期入省の一人。入省後、産業政策局調査課、機械情報産業局総務課、電子政策課課長補佐と歩む。「当時の重要コース。ピカイチでした」。そう後輩は言う。

 米国留学で知的財産権を学び、帰国後「ビジネスモデル特許戦略」など2冊を共著で出版。そして官民人事交流法施行に基づき、同省の民間企業交流の第1号としてリクルートへ。大学発の特許を民間企業に橋渡しするビジネスに取り組んだ。

 米国とリクルートで視野が広がった伊原が03年6月、役所に戻って配属されたのは、資源エネルギー庁電力市場整備課の課長補佐だった。

 前任の同課長の川本明は、電力会社のもつ送電網を新規参入事業者が使えるよう促す「電力自由化」に取り組み、後任に「電力会社を厳しく規制しないと新規参入は実現しないよ」と申し渡していた。川本と入れ違いの伊原が託された一つが、原発から出てくる使用済み燃料などバックエンド(後処理)費用をどう負担するか、政策立案することだった。

 総額19兆円になる後処理費用のうち約半分は電力料金に上乗せして徴収し積み立てる制度があったが、残る半分の捻出の仕方が決まっておらず、電力業界からは「新規参入組にも負担させろ」という声があがっていた。原発の使用済み燃料から再利用できるウランやプルトニウムを取り出そうと、核燃料サイクル施設の再処理工場の試運転も間近に控えていた。

 伊原は経産省やエネ庁の5人の中堅・若手と協議する。彼らはこのときまで、原発推進は国策として当然と思っていた。だが、業界や同省の先輩にヒアリングを始めるとどうもおかしい。

 伊原ら2人が東京・新橋の料理店で大手電力会社の担当幹部と会食すると、相手はこう切り出した。
 「本当に核燃料サイクル施設を動かすんですか。やめられるのならやめたいですわ」
 耳を疑う言葉だった。

 省内で「ピカイチ」と評されたエリート官僚の人生はこの後、大きく変わってゆく。



10/23敗れざる男2:世論に止めてもらおうと…より
 原発の使用済み燃料を再利用する核燃料サイクル施設を見直せないか――。2003年、資源エネルギー庁課長補佐の伊原智人ら6人の耳に入るのはそんな声だった。

 核燃工事は多くのメーカーやゼネコンが絡み、電力業界には施工面に不安を抱く人がいた。それを裏付けるように水漏れなど不正工事が見つかる。「運転後の事故を心配していたんです」と6人の一人。

 ひとたび使用済み燃料を用いて再処理工場を試運転すれば、工場は高濃度に汚染される。その後撤退が決まれば費用がかさむ。だからその前に立ち止まりたい。伊原たちは電力業界の事情をそう受け止めた。

 自由化対応を迫られる電力各社の企画部門は特にその意向が強かったが、各社の原子力部門は核燃推進派が多い。電力の中は割れ、それゆえ経済産業省内も「見直し」支持の自由化派と様子見の技官が混在する。

 省中枢の官房総務課を伊原たちが訪ねると、応対した先輩は「上も『止めろ』だ」と、事務次官村田成二の意を忖度(そんたく)して伝えた。伊原たちは励まされた。「俺たちは正規軍だったんです」と当時の若手は振り返る。

 電力業界は内部に推進派の原子力部門を抱え、撤退を言い出しづらい。さりとて国策として核燃を推進してきた同省も大転換を唱えにくい。だから伊原は「国民に決めてほしかった」と世論に訴えたかった。

 伊原ら数人は04年、上司の電力ガス・事業部長の寺坂信昭を居酒屋に呼ぶ。「国民的議論をおこしたいんです」「やらせて下さい」。寺坂は「足跡を残さない程度にな」と認めた。

 3,4人が渋谷のデニーズに深夜集まり、世論喚起のため「19兆円の請求書」と題した25ページの資料を作成。費用面と安全面で警鐘を鳴らし、「立ち止まり、国民的議論が必要」と記した。説明を受けた自民党衆院議員の河野太郎は「経産省の上の人が了承したな」と思った。

 やがて河野が青森県で「核燃はコストに合わない」と講演。週刊朝日は「19兆円の請求書」を「上質な怪文書」と称して大きく報じた。次第に核燃事業を疑う見方が広まってゆく。

 だが、そこまでだった。

 電気事業連合会の原子力担当幹部が「お宅の若手がこんな紙をまいている」とねじ込み、立地する青森県も猛反発した。「村田さんが中川昭一経産相に見直しを説得できなかった」と当時の若手は打ち明ける。

 エネ庁長官の日下一正は04年3月「再処理しない場合のコストを試算していない」と国会答弁したが、実は再処理しない方が安上がりという試算は存在した。ロッカーに隠されていたこの極秘の試算結果が流出し、各紙が報道。中川は「知っていた者を処分しろ」と激怒、彼らに理解のあった上司が豹変する。

 伊原たちはそのあおりで処分されたり、左遷されたりした。伊原は04年7月、経産省情報経済課の課長補佐に異動。やがて「もっと別の経験をしたい」と退官を決意。仲間はそれを伊原の「美学」と受け止めた。



10/24敗れざる男3: 原発ゼロへ、トップ動かすより
 経済産業省を退官し、再びリクルートに転じていた伊原智人は2011年5月、民主党の玄葉光一郎から昼食を誘われた。玄葉はこのとき菅直人政権の国家戦略担当相。東京電力福島第一原発事故から2ヶ月、菅は新しいエネルギー政策「革新的エネルギー・環境戦略」の立案を玄葉にゆだねていた。

 玄葉はかつて伊原から「19兆円の請求書」を示され、核燃推進を考え直そうと思った政治家の一人。だから「ゼロベースで見直す以上、これまでのことを知っていて、かつ批判的に見ることができる人がほしかった」。伊原はまさに適任だった。

 都心の高級ホテルでランチをとりながら「手伝ってくれないか」と玄葉。それを伊原は二つ返事で引き受けた。「大臣秘書官がいいかい。それとも……」

 結局、国家戦略室が任期つき職員を募り、伊原はそれに応募。玄葉から「エネルギー政策の担当管理職をやってくれ」と言われ7月、課長級の企画調整官に就任した。6年ぶりに霞が関・永田町で働くことになった。

 ところが直後に菅政権は崩壊寸前に。玄葉とはわずか1ヶ月しか重ならない。約40人の同室は各省出向者と民間出身者の混成部隊だった。伊原は「居心地の悪さは感じなかった」というが、経産省は当然警戒心をもつ。資源エネルギー庁の課長補佐は「伊原さんと共有する資料は上司と相談のうえ、限定していました」と打ち明ける。

 伊原が最初に任されたのが、電源別コストを明らかにする「コスト等検証委員会」の運営だった。委員の人選は伊原が担い、「できるだけ従来の人ではない人」を起用した。これまで考慮されていなかった事故費用や立地対策の補助金もコスト算入し、原発は過去の試算より5割も割高とはじき出した。やがて「国民的議論に関する検証会合」にかかわり、過半数の国民が脱原発を望んでいるという検証結果を導き出してゆく。世論を喚起し、その力を背景にして政策変更したかった。

 玄葉の後任大臣の古川元久は初めて会う伊原になぜか見覚えがある。「私の兄は大臣の母校の旭丘高校卒で……」。そう切り出す伊原に「えっ」と古川。「キミはあの『天才伊原』の弟か」。伊原の兄は高校、大学で古川の1年先輩。急に打ち解けた。「そこが伊原さんのすごいところ。あっという間に信頼を得た」と元同僚は指摘する。

 経産省は12年5月、30年に原発ゼロ、15%、20~25%の選択肢を提示。政権内で15%を現実的とする見方が広まる。「経産省から上がってくるのを覆しにくい。下に任せるとこっちの思いと違う方向に行く」と古川。「だから、トップダウンでもっていこう、とね」。このころ伊原も記者に「総理が無縁ではない」と言及していた。

 菅の後を継いだ首相の野田佳彦は12年8月6日、平和記念式典出席のため広島市を訪れた。野田は式典後の記者会見で「原発ゼロの際の課題と克服策を検討する」と表明し、古川ら4閣僚に指示。トップダウンでゼロにむけて動き出した。



10/25敗れざる男4:ゼロの議論、反映できたより
 国家戦略担当相の古川元久は2012年8月22日、「一緒に食事でも」と伊原智人たちを高級ホテルの中華料理店に誘った。そこで古川は、自分で書いた1枚の紙を見せ、「こういう方針で作ってくれないか」と切り出した。原発ゼロ、新増設せず40年廃炉の徹底など古川自ら「高めのボール」と呼ぶ内容が箇条書きになっていた。

 伊原はそこにある「核燃料サイクル施設の中止」という文言に釘づけになる。「ホントにできますか」と誰かが尋ねると、「少なくとも目指すべきでしょう」と古川。伊原は「これが書けたらすごい」と思った。

 集められたのは伊原やTBS出身の内閣審議官下村健一ら6人。経済産業省出身の官僚は外された。元大蔵官僚の古川は自身の官僚経験から「政策起案は最初のドラフト(草稿)が骨格を決める」と考えた。だから「伊原さん中心に第1ドラフトをつくってほしかった」。

 同日夜、元官房長官の仙谷由人ら政治家が合流。古川の紙を一見すると、仙谷は「市民運動をやりたいなら、菅(直人)と一緒にやれ」と怒鳴り上げた。たちまち空気が凍りついた。

 伊原たちがつくったドラフトは各省協議の過程で経産省や文部科学省から修正が入り、次第に骨抜きにされてゆく。核燃中止の文言は消えた。それでも「30年代に原発ゼロをめざして政策資源を投入する」と「ゼロ」は残った。「あれが精いっぱい。でも、ゼロにしたい国民的議論を反映できた」。伊原はそう自己評価する。

 野田内閣は9月19日に閣議決定したが、同年暮れの総選挙で民主党は大敗した。同党の下野が確定すると、伊原は任期を半年残し「僕は2度負けました」と霞が関を去った。

 そんな伊原を東大エッジキャピタル社長の郷治友孝は放っておかない。郷治は元経産官僚で、同じ課にいた伊原は尊敬する先輩だった。大学発ベンチャーを支援する東大のファンドに転職していた郷治が「会わせたい人がいる」と誘った。

 引き合わせたのが、グリーン・アース・インスティテュート創業者の湯川英明。渡米したがっていた伊原を、湯川は「一緒に夢のある仕事をしようよ」と引き留めた。伊原は「自分が唱えてきた政策を、実現する側にまわりたい」と13年1月に入社。のちに社長に就任した。来年には農作物の廃棄物由来の洗剤の材料を商用化する予定。17年3月期に黒字化と株式公開をめざしている。

 あれから2年。霞が関・永田町の空気はすっかり変わった。原発ゼロの目標は消え、再稼働が秒読みとなる。伊原は「あのときの政策がまるでなかったようにされている」と言う。

 「民主党政権は確かに未熟な政権だったかもしれない。でも国民的議論を反映した。原子力政策は国民的議論という裏付けがないと立ちゆかない」。伊原は確固たる口調で語った。 =敬称略(大鹿靖明)

原発推進という国策に疑問をはさみ、美学を貫いた伊原さんであるが・・・
未熟な民主党政権に仕えたのが、運の尽きだったようです。

でも、伊原さんには7転び8起きのバイタリティがあるわけで・・・
出世レースから降りて、バイオベンチャー事業を手懸ける井原さんに、幸多かれと望む次第です♪



原発がベース電力だって?
福島第一の廃炉の目処がついたとは言えない状況で、13日の報道によれば、政府と経済産業省は原発の必要性を強調しているようです。
これって、公約違反ではないか?

一般的に、お役所は継続性、整合性で動くので変革が不得意である。
これを慣性力が働くと形容されるが、案件の規模が大きい程、この慣性力が大きくなる。原発の場合は、政官業学が築きあげた原子力ムラが控えている。
原子力ムラの廃村には、抵抗が大きいわけで・・・スキが有れば復活さえ目論んでいるのだろう。

とにかく、自民党には脱原発という公約を守ってもらいましょう。

12/13エネルギー基本計画素案:原発は需給支える重要電源と承認より
総合資源エネルギー調査会(経済産業相の諮問機関)の基本政策分科会(会長・三村明夫日本商工会議所会頭)は13日の会合で、国の中長期的なエネルギー政策の指針となる新たなエネルギー基本計画の素案を承認した。素案は原発を「エネルギー需給の安定性を支える基盤となる重要なベース電源」と明記。前回会合の案に「基盤となる」との文言を加え、原発の必要性を一段と強調した。素案は一般からの意見公募を経て、正式案となり、政府は来年1月にも基本計画として閣議決定、その後、原発比率などを議論する方針だ。

 安倍政権は新たな基本計画で原発を重要な電源と規定することで、民主党前政権が目指した「2030年代の原発稼働ゼロ」の方針から決別する考え。ただ、東京電力福島第1原発事故がいまだ収束しない中の原発回帰方針には批判も出そうだ。

 承認された素案が「基盤となる重要なベース電源」と原発の必要性を一層強調する内容となったのは、前回の会合後に委員から「(必要性を)よりはっきり示すべきだ」(西川一誠・福井県知事)などと求める声が出たためだ。

 さらに、素案は原発稼働停止などに伴う電気料金上昇が日本経済に与える影響について「国内事業の採算性悪化による海外への生産移転、廃業などの悪影響が生じ始めている」と踏み込んで指摘した。その上で、原子力規制委員会の審査で安全性が確認された原発は「再稼働を進める」と明示した。

 原発比率については、再生可能エネルギー導入などを通じて「可能な限り低減させる」とした。ただ、一方で「(原発の)必要とされる規模を十分に見極めてその規模を確保する」とし、中長期でも一定規模の原発は維持していく方針を鮮明にしている。

 経産省は了承される前の段階の案について、6日から意見公募を開始。年明けの1月4日に募集を締め切るとしていたが、一部で文言が変わったため、締め切りを延ばす方針。




脱原発・卒原発の輪
脱原発・卒原発ツイートを1/10~1/15のツイッタ-に見てみましょう。
残念ながら衆院選で自公が圧勝してしまったが、脱原発・卒原発にはしつこく反対することが肝要ではないでしょうか。なお、新エネ推進の輪も含めています。



【1月13日】
@masaru_kaneko: 国会同意なき原子力規制委員会が安倍政権のために原発再稼動に向けて新安全基準作りを急ぐ。11日に「有識者」会合を開き、過酷事故対策の骨子案を示した。新冷却施設だの第2制御室だのと言っていますが、そもそも国会で事故原因さえ議論がないのに…。 http://goo.gl/7Ae7O

【1月12日】
@masaru_kaneko: 日本原電が発電せずに、今年度上半期に最高益を記録していた。東海第二、敦賀1,2号機が動いておらず、再稼働も困難なのに、電力5社が私たちの電力料金で支えています。ここにカツマタ前東電会長が天下っています。安倍首相も茂木経産相もダンマリです。 http://goo.gl/9lJqF




なお、脱原発・卒原発で私がフォローしている方々です。
@masaru_kaneko: 金子先生

@mdonguri: 不肖ドングリです



「駄目なものは駄目」という女の論理
選挙公約に、何年後になるとしても脱原発あるいは卒原発と掲げる以上は、「核燃料サイクルの廃止」は織り込み済みであったはずである。
それでは、安部新政権はこの公約を今後どのように具体化するのでしょうか。

しかし、原子力政策の根幹ともいえる「核燃料サイクルの廃止」は事が大きすぎて決めきれないのではないか?
いや最初から「核燃料サイクルの廃止」は考えてもいないのが本音かも知れないのです。

ここで、公約について考えてみましょう。
「脱原発あるいは卒原発」であるなら、日本未来の党のHPに書いてあるように「もんじゅと六ヶ所再処理工場の廃止」とまで具体的に公約するのが潔いというか、論理的な約束というものです。
以前「駄目なものは駄目」という女の論理を公言した党首がいましたね。アレですよ。

NHK-ETV特集アーカイブ「核燃料サイクルの道程」に、問題点を見てみましょう。

“不滅”のプロジェクト~核燃料サイクルの道程~ より
 日本の原発から出た使用済み燃料は1万5千トン。行き場のないまま原発敷地内などに保管されている。ゴミである使用済み燃料の処理方法が無いまま稼働を続ける原発は、トイレの無いマンションと揶揄される。この問題を一挙に解決する方策として模索されてきたのが「核燃料サイクル」だった。その夢のサイクルが、福島原発事故をうけて原子力行政が問い直される中、根本的に見直されようとしている。将来に向け、私たちはいまどのような選択をすべきなのか。それを考える前提として核燃料サイクル60年の足取りを知っておくことは必要だ。

 日本では、原発開発が始まった当初から「核燃料サイクル」が目標にされた。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料として利用する「核燃料サイクル」は、資源小国のエネルギー問題と、放射性廃棄物というやっかいなゴミ問題を一石二鳥で解決してくれる夢のプロジェクトとしてスタートした。サイクルの要となる高速増殖炉は、プルトニウムをウランと混ぜて燃やし、使用前よりも多くのプルトニウムを作り出すことができるというもの。これを確立することができれば、理論上、千年はエネルギー問題から解放されると期待されてきた。

 この「核燃料サイクル」の計画からその後の経緯までの内幕を、赤裸々に記録した録音テープがある。日本の原子力政策を中枢で担い続けてきた、政・官・財・学の中心人物が、非公式で開いていた「島村原子力政策研究会」の会合を録音したテープだ。国家プロジェクトとして始まった核燃サイクルがさまざまなう余曲折の中で迷走していった過程が語られている。

 日本の核燃サイクルは「トリウム」という軍事利用できない燃料を使ったものが研究された。しかし、実現を急ぐ政界の意向から英米から既成技術を輸入することに方針転換された。英米で開発されていたのはトリウムではなく「プルトニウム」を使った核燃サイクルだった。プルトニウムは核兵器の材料になる。1960年代に中国やインドでの核開発に脅威を感じたアメリカは、70年代に日本の核燃サイクルに待ったをかけてきた。この圧力は日本に「焦り」と「意地」を生じさせ、冷静な開発を困難なものとしていった。

 計画開始から半世紀以上が経過した今、まだ核燃サイクルは実用化されていない。そして使用済み燃料の問題は依然として解決していない。「一石二鳥」どころか「二兎を追う者、一兎も得ず」の状態になっている今、核燃サイクルという夢を追ったプロジェクトの経緯を検証し、問題の所在を明らかにする。

核燃料
原発敷地内の使用済み燃料プール。国内各地の原発敷地内などに、こうした状態で1万5千トンが保管されている。


選挙では惨敗に近かったけど、未来の党の公約を見てみましょう。

日本未来の党:未来への約束より
● もんじゅと六ヶ所再処理工場の廃止、世界最高水準の安全規制、大間原発など新増設の禁止、使用済み核燃料の総量規制と乾式暫定保管からなる「卒原発プログラム」を定める。


そういえば、この日のETV特集「不滅のプロジェクト」 を見てブログにも書いていたことを、すっかり忘れていたけど・・・・
プルトニウムの軍事利用(核オプション)の話まで出てきて、かなり物騒な内容になっていました。

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