産業遺産あれこれ

<産業遺産あれこれ>
かつて訪れたとか、ドングリ国に近いとか、個人的に関心のある産業遺産を集めてみました。
産業遺産に目を向けるということは、先人たちのスキルとか、汗と涙を忘れることなく顕彰するということなんだろう♪

・千種鉄山遺跡
・ヤスキハガネの記念館
・玉鋼復興を目指して
・明治村の機械館
・御坂サイフォン
・竹中大工道具館(新館)
・竹中大工道具館(旧館)
・琵琶湖疎水
・生野銀山(構想中)



<千種鉄山遺跡>
ドングリ国近くの千草町、作用町あたりは備前長船の原材料として珍重された千種鋼のふるさとでもあるのです。

鉄山跡播磨北部の製鉄遺跡


『日本の産業遺産300選(1)』<干種鉄山遺跡>よりp158~159

 中国山塊部で発達した近代たたらの、東限に位置するのが干種(千種とも書く)たたらである。
 しかし、干種たたらの歴史は古く、播磨風土記に「・・・宍粟郡の敷草の村鉄を生ず」と記載されている。また嘉歴2(1327)年、備前長船景光、景政合作の鉄剣を広峰山に奉ずるとか、長亨2(1488)年、備前長船の刀匠上洛に際し、干種鉄20駄(1駄は約16貫)持参などの古い記録がある。さらに、古今鍛冶備考巻之一「鉄山略弁」には、「中古天文の頃より発る播州宍粟郡千種の鉄山において白鋼を吹く法」はじまるとの記録がある。白鋼を吹く法とは、炉中でできた製品を、そのまま空冷で冷却させる方法で、出雲地方の「水鋼」(水冷式)と対比している。

 1630年、千種屋初代が、鉄山経営にのり出してから、千種屋はこの地方で120年鉄山経営にたずさわった。しかし、宝暦8(1758)年、千種屋瓦解、あと鳩屋孫右衛門が肩代りし、高羅山、鍋ヶ谷、内海山、天小屋山その他鉄穴流し場などを経営した。千種屋以外に、湊屋徳兵衛、鍛冶屋喜兵衛、泉屋(大阪の住友家の一族)、塗師屋善蔵など商業資本によって経営されたのが特徴的である。明治10(1874)年、洋鉄の輸入の圧迫をうけ、この地方のたたらは、もっとも早く中止した。

 現地には、つぎのような産業遺跡が現存する。
(1)天児屋鉄山跡:最後まで操業がつづけられた同地方の代表的鉄山の一つ。現在県文化財に指定されている。昭和56年に発掘調査が行われた。勘定場跡は、現在廃屋となりつつあるが、高殿跡、鉄池跡、大とお場跡などが整然と配置しており、お城の石垣のような巨石を配した石垣が築かれており往時の盛大さをしのばせる。東西・南北いずれも500メートルに及んだ規模の大きな鉄山跡である。最盛時には、120戸、約600人にのぼる山内住人が住んでいた。この鉄山近くには、山内の人たちを埋葬した郡墓がある。町役場には、明治9~12年と記入された「西河内村之内天児屋鉄山」戸籍が残っている。
(2)鉄穴流し跡:この地区には、ほぼ原形をとどめている鉄穴流し跡が数ヶ所現存している。
(3)町立資料館:千草町は、役場の前に立派な町立資料館を建設し、たたら関係の古文書、道具、製品などの展示をおこなっている。
(4)その他:この地方で古代・中世のころ製鉄が行われた高保木遺跡屋や、また近世たたら製鉄が行われた高羅鉄山、荒尾鉄山など高殿跡や、街道わきの供養塔、金屋子神(岩野辺内海)、たたら関係者の墓、砂鉄採取跡など、多くのたたら関係遺跡・遺物が多数、現存している。


この鉄山跡の画像や詳細な説明がたたらのふるさと西播磨天児屋たたら公園で観られます。

また、中西さんの千種岩鍋 古代製鉄発祥の地の伝承と西播磨佐用・宍粟の主要製鉄遺跡分布が素晴らしい。



<ヤスキハガネの記念館>
日立金属(株)安来工場付設和鋼記念館といえば、ヤスキハガネの記念館のようなものなんですね♪


『日本の産業遺産300選(1)』<和鉄、和鋼生産用具>よりp124~125

 安来市の中央部国道沿いに校倉造りの大きな木造建築が見える。これが「たたら」製鉄に関する資料館の日立金属(株)安来工場付設和鋼記念館である。館内中央には写真に示すように内寸法で長さ288cm、幅70cm、高さ118cmの「たたら」の炉と天秤〇の実物が据えられており、この周囲を9コーナーに分けてたたら製鉄技術の工程順に従って実物、模型、写真、作業用具、資料を適宜配列して、理解度が深められるように配慮してある。また和鉄、和鋼生産用具250点は文化財保護委員会の「重要民族資料」に指定されている。

 これら製鉄用具は昭和8年、日本刀を作る完全な技術を後世に残したいと東京九段に日本刀鍛錬会が生まれた。日本刀の原料である玉鋼の貯蔵量を主産地であった出雲地方について調べたところ、当時すでに底をついて無きに等しい状態であった。そこで日本刀鍛錬会としてはたたら製鉄を復興し、玉鋼の生産を思い立った。

 しかし、大正末期で消えた「たたら」の火はその設備も廃絶しておりその復興は非常に困難と思われた。そのころ安来町には明治32年に設立された日立金属安来工場の前身である株式会社安来製鋼所があった。同社は八岐大蛇伝説のある船通山の麗鳥上村に良質の雲伯産砂鉄を原料とする木炭銑溶鉱炉を持ち、ヤスキハガネの原料鉄はここから供給されていた。

 所長の工藤治人は最高の原料で優秀な特殊鋼生産に取組むかたわら、中央刀剣会の評議員でもあり、刀剣の焼刃の顕微鏡組織の小冊にあるごとく刀剣には造詣が深かった。また氏自身として古来からの神秘な鉄作りに興味をもっていたこともあって安来製鋼所に委嘱が決まり、鳥上工場敷地内に建設することとなった。さっそく設計にかかろうとしたが参考になる文献が少なく困ったが、幸いに市原たたらの経営経験のある松浦弥太郎、福留たたらを経営した越河助作、それに20歳で村下になりケラ押し「たたら」を34年余り手懸けている細木文之助がおり、彼らの協力によって図に示す地下構造物ができあがった。

 たたらは水気を嫌うので、これが完全でないと「なんぼ上で火を焚いても鉄は」との口伝がある。そこで各段ごとに入念な床焼きが終わると「灰すらし」という本床上面の整地作業、続いて「下灰造り」これが終わるといよいよ築炉に入る。重要民族資料の内訳をみると築炉関係150点、操業関係31点、大鍛冶関係42点でいかに築炉作業が複雑であるかがうかがえる。
(中略)
 また操業に使用された各種用具を写真に示す。第一回目から申し分のない玉鋼ができ、以後終戦になるまでの12年間に118代吹き、玉鋼5万710kg納入した。
(中略)
 左下場と本場の脱炭作業後「」打して仕上げる各種用具を写真に示す。この年(昭和14年)には原料5646kgを用いて和鉄2625kgが作られた。1回の失敗もなかった地下構造物は日刀保たたらとなって今も活躍を続けている。




<玉鋼復興を目指して>
「職人―伝えたい日本の魂」という本を図書館で借りて読んでいるところです。
一般的に職人技といえば、伝統工芸として細々と生きているという感がありますね。
でも、今でもその職人気質がじゅうぶん通用するものもあると思うわけです。


<たたら吹き・村下>よりp56~60
 出雲風土記の舞台でもある島根県横田町。この土地では神話として伝わるほど、遠い昔からたたら吹きが行われていた。たたらとは、粘土で築いた炉で木炭を燃焼させ、砂鉄を溶解、純度の高い鉄を生産する日本古来の製鉄技術だ。たたらで作られた鉄=玉鋼は日本刀に使用される。また、たたら製鉄の長(おさ)を村下(むらげ)という。製鉄法の近代化に伴い、途絶えていったたたら製鉄だが、昭和52年、日本美術刀剣保存協会によって復活した。木原明さんは、国無形文化財に認定された日本でただ一人の村下だ。
 そしていま、たたら製鉄は新たな技術をつくり出す土台としての熱い注目を浴びようともしてきている。

たたら
ヤスキハガネとたたらより
<玉鋼復興を目指して>
●:なぜこの道に進まれたのですか。
木原:私は昭和10年、山口県宇部市に生まれました。工業高校卒業と同時に、島根県にある日立金属の安来工場に入社しました。
 そこで冶金研究所に配属され、中村工学博士のもとで砂鉄精錬の製鉄の助手を務めたのが、鉄との出合いのはじめであり、また、たたらの村下になるきっかけとなりました。それから46年間、砂鉄の道一筋に歩んできました。

●:終戦までは、たたらが細々として残っていたんですか。
木原:明治時代に入ると、洋鉄が輸入され洋式製鉄法が始まることで、たたらは衰退していく。そして、大正末期に経営的には閉鎖されてしまいます。
 そしてまた、戦争需要になって、昭和に入るとたたらが復活するわけです。日本刀、軍刀用の玉鋼としての供給です。

 しかしそれも終戦と同時に完全に途絶えてしまいましたから、日本刀の原料である玉鋼が、底をついってしまって、全国の刀匠は玉鋼がないので、古い釘とか、たたらで作った昔の製品を使っていたんです。
 が、これもなくなると日本刀の製作技術の継承に支障が生じるため、昭和52年に日本美術刀剣保存協会によって、伝統技術の保存伝承と刀匠に玉鋼を供給するために、たたら製鉄が復元されました。

●:この場所を選んだという理由は、何でしょうか。
木原:当地方は、古代から製鉄が盛んで、昭和20年までここでたたら製鉄が行われていました。そして、その技術を身につけている故・安部由蔵村下さんが高齢(75歳)でしたが健在で、引き受けてくださったおかげです。

 それに、他の所では難しい、原料である良質の砂鉄と木炭の確保ができることです。しかし、これらを実行に移すのは並たいていのことではなく、苦労の連続でした。
 最初、村下の下で働く者が10人ほど選ばれましたが、私は42歳で、そのなかでも年少のほうでした。その話を聞いたときは、我々も関連する製鉄の仕事をやっていましたから、これは興味があり、その技術を習得して目的を達成したい、ということで、受けさせていただいたんです。

●:たたら吹きの作業を操業というようですが、どれくらいかかるのですか。
木原:操業の前に準備がありますが、その準備に3日はかかります。下灰や炉を作る作業があります。
 その後、操業に入ると、三日三晩、3昼夜、責任をもってやりとげて、優れたケラ(鋼)を作る。それが村下の技術であり使命です。
 だから、安部由蔵村下さんに教わりながら、完成するまではほとんど寝ずにやってきました。最近は、上級養成員のなかから、村下の代行ができる後継者ができたので、休みながら作業を続けております。60歳、還暦を迎えるまでは、三昼夜で数時間寝る程度で、操業を続けていました。

●:えっ、一日ではなく、三昼夜で数時間ですか。
木原:2日目の夕方から少し、数時間ほど休み、あとは通しでずっとやります。

たたら吹きで木原さんの作業場面が見られます。



<明治村の機械館>
明治村の機械館は工学系学徒にとって、見所満載でんがな♪

蒸気機関霧信号用蒸気機関


『日本の産業遺産300選(2)』<単筒型蒸気機関>よりp38~39

 明治村機械館(犬山市内山)には、工作機械、蒸気機関、蒸気ハンマー、コンプレッサー、紡績機械、ガラ紡績機、印刷機、水車発電機など明治時代に輸入された外国製機械や国産機械が展示されており、産業遺産の宝庫といえよう。

 機械館の建物も旧鉄道寮新橋工場である。明治5年新橋-横浜間に日本最初の鉄道が開通したが、日本の鉄道はイギリス人の指導と機械によって建設された。鉄製の工場で柱は鋳鉄製、リバプール・ハミルトン・ウィンゾル鉄工場製の陽刻銘がある。
 外装は鉄板張り、ガラス窓枠も鉄製である。屋根は銅版ぶき、工場は大正の初め大井工場内に移築されたが、その際2倍に拡張され「明治15年製、東京鉄道局鋳造」の陽刻銘のある柱も使用された。明治村に移される時に半分に縮小され、イギリス製と国産の柱が使用されている。

 機械館の入口に横置単筒型蒸気機関が展示されている。簡素にまとめられ、蒸気機関の構造が理解しやすい機関である。
 イギリスの産業革命は紡績機の発明が先導し、蒸気機関の発明によって本格的に加速されたといわれるが、地理的・気候的な制約の多い水車動力とちがって、蒸気機関は制約のない汎用動力として機械制工場生産とともに普及した。日本においても蒸気船や陸蒸気など文明開化の象徴であった。工場動力も水車がなお多く利用されていたが、しだいに蒸気機関が用いられた。

 初期の紡績工場でも水車が使用されたために、河川沿いに立地し、水量不足によってしばしば工場を休むことがあった。明治16年に完成した大阪紡績の三軒家工場では、初めて蒸気動力を採用し、夜間操業を行って高い作業能率をあげた。

 明治村機械館の蒸気機関は富岡製糸工場に設置されていたものである。明治政府は品質のよい生糸を生産するために、フランスから技術者を招へいし、製糸機械を輸入して上州富岡に官営模範工場を建設した。製糸機械を動かしていた機関はフランス人技術者ブリューナの名をとってブリューナエンジンと呼ばれていた。昭和44年(1969)明治村機械館に移され、モーター駆動による動態展示が行われている。一個のシリンダー、ピストン、連結棒・クランク軸・スベリ弁・調速機・フライホイールなど蒸気機関の基本構造を簡潔にまとめた機関である。
 単筒型蒸気機関がモーター駆動で静かに動いているのを眺めていると、富岡製糸工場と工女たちの賑わいが想像できる。




<御坂サイフォン>
淡河川・山田川疎水は稲美町、神戸市、三木市の灌漑用水として利用されているが、明治期に造られた歴史的な事業でもあったようです。
ドングリ国のお隣の三木市で御坂サイフォンが見られます。


ドングリ国の産業遺産より
 明治11年9月、魚住完治外5名が県令へ山田川疏水事業を申請し許可が下りた。内務省より田邊技師が派遣され調査した結果、地質が悪く当初予定の工事費で収まらず、また完成しても長期の使用は難しいことが判明した。山田川にダムを築く方法もあったが、やはり工事費が増大してしまう。そのため水源を山田川から淡河川に変更し、志染川の上を逆サイフォンで横断、谷越えさせる工法が用いられることになった。このサイフォンが御坂サイフォンである。しかし、当時は、鉄管で川の上を横断し、さらに50m上の山へ灌漑用水を噴き上げるという工法は例がないことから、水利関係者達は工事予算の議決に躊躇した。それでも郡長の説得もあり明治20年6月、変更案が決議された。

御坂サイフォン現在の御坂サイフォン

 この疏水計画において最も難しいとされた御坂サイフォンの設計をした人物が、内務省土木局名誉顧問だったパーマー少将である。
通常、送水管は鋳鉄管を用いるのが一般的だが、彼は御坂サイフォンで錬鉄管を使用した。仮に鋳鉄管を使用した場合、計画事業費を上回るうえ各管の重量がほぼ2tになり、輸送や急勾配の現地での作業が困難になる。しかし錬鉄管を用いることで重量の軽減が可能となった。
 
 工事は隧道など難工事もあったがついに完成し、明治24年4月11日、初の通水が行われた。記録によれば「結果甚だ良好にしてサイフォンの如き一滴の漏水なく」と記されている。水源門を開いて5日後、4月16日、ついに念願の水が20km先の練部屋分水へ到達した。




<竹中大工道具館(新館)>
お天気よ~し♪
4日に竹中大工道具館(新館)がオープンしたようだから、8日に満を持して新神戸駅に向かったのです。

事前に見た以下の新聞スクラップも持って出かけるという、入れ込み具合でおました♪

今と昔の匠の技が集合 竹中大工道具館オープン
道具
 
 国内唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」(神戸市中央区熊内町)が4日、オープンした。奈良・唐招提寺の一部を実物大の模型で再現。江戸時代の大工道具などの展示に加えて、道具館自体にも現代の匠の技がちりばめられている。
 県庁近くにあった道具館の旧館が手狭になったため、竹中工務店の竹中統一会長の自宅跡地に移転、新築された。


新聞情報では駅前に出来たとあるが見あたらない・・・・・・
かなり探し回ったあげく、交番で場所を教えてもらいました。

入口の門から和風建物と庭園の全景が見えるが、地上1階立て(地下2階)で威圧感のないモダンな数奇屋風である。
このあたりに建築会社としての力の入り方がうかがえるが・・・これはかなり期待できそうです。
全景

観る角度を選べば、六甲山を借景にして緑の中に道具館が見えるわけで、都会の中の静謐なオアシスという趣きもあるのです。

館内の展示は充実していて、門外漢のような大使にとってもじゅうぶん面白いが・・・
展示のコンセプトは、伝統や匠の技を誇り高く保存することにあるわけで、なかなかのもんやと思った次第です。
事実、この建物は関西いちえんのトップ級の職人たちによって作られているそうです。

館内展示の一部です。
木挽き木挽き

茶室茶室の木組み


ドイツの工具ドイツの道具

レースのように見えるのが鉋クズです。神業の領域でんな♪
鉋クズ鉋クズ


大工や建築プロの訪問にも耐えられる内容かと思うが・・・
これだけの内容があれば、常設展だけでもリピート訪問をもよおす大使でおます。
なによりも、入館料がシルバーで200円というのが、ありがたいでぇ♪

「日中韓 棟梁の技と心」という企画展が11/1~12/28に予定されているので、また来ようと思います。

竹中大工道具館HPにアクセス、展示詳細などが見られます。



<竹中大工道具館(旧館)>
竹中大工道具館の新館が新神戸駅前に、10月4日にオープンするようです。

オープン早々に観に行こうと思っていますが、もう見られなくなった竹中大工道具館(旧館)のレポートです。

竹中大工道具館にてより
元町駅から観光地図を頼りに竹中大工道具館を探したのだが・・・・
大使の縄張りだからと軽く見ていたのが悪かった(笑)。
通りがかりの人に聞いても要領を得ないわけで、ウロウロと歩きまわってやっとたどりついたのです。
外観

神戸のとなり、三木市は金物の町として知られているが・・・・
昔も今も、大工道具では全国トップレベルの技を維持しているようです。

鍛冶屋の作業場を展示しています。
鍛冶

畔挽鋸の形が今までは意味不明だったけど・・・なるほど、階段の溝を引いたりするのか♪
ノコ

大使が一番興味を惹かれた展示としては、継ぎ手の構造なんです。
数種類の継ぎ手があったけど、そのうちの2種類を紹介します。

【台持継ぎ】離れた状態の実物大モデル

台持1

【台持継ぎ】閉じた状態の模型
台持2


【台輪留め】離れた状態
台継ぎ1

【台輪留め】閉じた状態
台継ぎ2

ま~良くぞ構想したものですね♪ これぞ日本の職人技!ではないか。
日々の改良がこの形を生んだと思われるが、3Dで構想するセンスが凄いですね♪




<琵琶湖疎水>
サクラの頃には、大津や山科まで足を延ばして、琵琶湖疎水の花見にでかけるのです。
また、モミジの頃には南禅寺の水路閣もいいですね。


琵琶湖疏水 南禅寺の水路閣とインクライン 近代化産業遺産を行くより
インクライン蹴上インクライン

この運搬船の上に船を載せて、山を登ったり下ったりのインクライン。その復元された運搬船がこれ。背後に見える蹴上船溜から船を台車に乗せて山を超えるというダイナミックな発想もすごい。
当時船が山を登るという光景は観光名所になったとのことですが、そりゃそうでしょう。私も見てみたい!

船溜南禅寺船溜
今回のゴール、蹴上インクラインの下側にある船だまりである”南禅寺船溜”に到着しました。中央の噴水は疎水の高低差の水圧だけを利用した噴水なんだそうです。

 京都への船の運搬、発電、水道水の供給などの多目的用途で、100年以上前に作られたこの琵琶湖疏水。21世紀になった今でも豊富な水量で京都の生活を支えるインフラの一つとして機能し続けている事を、設計施工を担当した田辺朔郎は想像していたでしょうか。
そんな気軽に明治時代の近代産業遺産を楽しめる、琵琶湖疏水のぶらり散歩でした。




<生野銀山>(構想中)

追って記入

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

地球環境直球勝負(機械工学)
2017年07月17日 12:27
島根大学の客員教授である久保田邦親博士らが境界潤滑の原理をついに解明。名称は炭素結晶の競合モデル/CCSCモデル「通称、ナノダイヤモンド理論」は開発合金Xの高面圧摺動特性を説明できるだけでなく、その他の境界潤滑現象にかかわる広い説明が可能な本質的理論で、更なる機械の高性能化に展望が開かれたとする識者もある。幅広い分野に応用でき今後48Vハイブリッドエンジンのコンパクト化(ピストンピンなど)の開発指針となってゆくことも期待されている。

この記事へのトラックバック