個人的言語学9      ③

<個人的言語学9>  
異邦、異邦人に対する興味、あこがれがこうじてくると、その言語に目が向けられる・・・・・
ということで、方言とか言語とかについて集めてみます。
最近は仕事の関係もあり韓国語にはまって、おります。

・漢字をめぐる不毛な論争
・必死のパッチ
・第二外国語の流行り廃れ
・言語表現法講義
・137億年の物語2
・絶滅寸前の満州語

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個人的言語学8>目次
・文字を持っていた突厥帝国
・ベトナム語の悲哀
・外国語の記憶
・なぜ日本人は日本語が話せるのか
・『日本語は生きのびるか―米中日の文化史的三角関係』
・「カラカラ」を観た
・敵性米語について

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個人的言語学7>目次

・サイズと話し言葉
・関西人の話法
・関西弁強化月間みたいに
・全国アホ・バカ分布図
・漢字文化圏の成り立ちについて
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個人的言語学6>目次
・既に漢字文化圏
・「日本隠し」を続ける意地はすごいけど
・『海角七号』で日本語で歌われた「野ばら」
・漢字文化圏あれこれ

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個人的言語学5>目次
・10年後に食える仕事、食えない仕事
・英語や中国語より人生に役立つ言語を学ぼう
・翻訳とは憑依することである
・今日から始まる「100分de名著・徒然草」
・「実戦・世界言語紀行」2
・「日本語を書く部屋」
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個人的言語学4>目次
・「実戦・世界言語紀行」1
・泉州弁と河内弁の違い
・文字を得るということ(工事中)
・「すごっ」 ツッコミ語
・つれづれなるままに「徒然草」
・英語が嫌いな人にお奨めの本です

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個人的言語学3>目次
・「心臓に毛が生えている理由」
・漢字廃止で韓国に何が起きたか
・アジアの共通言語
・北方朝鮮族の女に
・孔子批判
・よくわからないけど

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個人的言語学2>目次
・関西弁の通訳
・英語公用化と絶滅危惧言語
・漢字物語
・リンガ・フランカ教育
・関西弁へのこだわり
・助詞(テニヲハ)がリエゾンする
・初等学校漢字教育反対汎国民委員会
・漢字文化圏の再興
・「日本辺境論」を読んだところですが
・exite翻訳のお手並み
・横尾さんのもの忘れ
・こんなの 序の口です
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その3)工事中
・良質なハングル入門書
・英語が出来て当たり前か?
・現存する唯一の表意文字
・日本語を愛する者の心の叫び

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個人的言語学1>目次
・ぼっけえ きょうてえ
・「ちりとてちん」が ええな~
・ガラオケ・・・なんじゃそれ?
・韓国人の英語力
・呉音が好き
・ドングリ国の公用語
・野ばら
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その2)
・カペでコピ(個人的ハングル講座 その1)
・泥縄式英会話術
・韓国のおさらい
・Yanさんの方言変換Proxyサーバ
・3都の関西弁 
・『河内弁基礎講座』文法編
・全国方言コンバータ 
・コンバータあれこれ
・スウェーデン語とノルウェー語 
・ラジオ日本
 
・アイヌ語ラジオ講座 
・excite翻訳のお手並み
・日本語あれこれ
・英語になった日本語のリスト
・バスク語 
・イディシ語 なに?  
・ムバンドウ語 なに? 
・アイルランド語とブルトン語 
・カタラン語




<漢字をめぐる不毛な論争>
韓国の報道によれば、次のような漢字論争がいまだに続いているようです。
漢字仮名混じり文の効用については議論の余地がないはずなのに、一部の強硬論者のメンツが許さないようです。


6/15漢字教育は反民族行為? ハングルだけ使うのが愛国かより
「40歳以下の若者は漢字を知らず、コミュニケーションの過程でかなり誤解が生じる。漢字は外国語ではなく、韓国語の大きなカテゴリーからみるべき。韓国文化を理解するには、漢字や漢文の教育が必要だ」

 ドイツ人の韓国学者、ヴェルナー・サシェ元漢陽大学碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は最近、本紙のインタビューで「学生たちが、韓国文化についてあまりに無知なことに驚いた」と語った。漢字を教えるべき理由は「韓国文化を十分に理解できるようにするため」だという。「ハングルだけを使って学ぶことこそ愛国」という一部の主張に、正面から反論したわけだ。

■「世宗大王もハングル・漢字を両方使った」
 「ハングルは世界で最も立派な文字であり、韓国の誇りにして宝だ。(中略)漢字の混用は、倭政時代(日本による植民地時代)に行われた植民地教育の名残であって、最近復活しつつある韓国の自主文化と『韓流』の風を遮る反民族行為」。これは、ハングル関連諸団体が昨年3月に発表した「小学校での漢字教育は絶対にいけない」と題する声明書の一部だ。ハングルだけで表記することが民族的自主性を守る行為だと主張し、漢字の早期教育に反対している。

 多くのハングル専用論者が唱えるこうした見解は、韓国文化の一部となって久しい漢字を「外来文化」という理由で排斥するもので、「被害意識にとらわれた文化鎖国主義」と批判されている。

 シム・ジェギ元国立国語院長は、この声明書に反論して「自分のことだけに固執せず、柔軟かつ開かれた姿勢で外部の文物を受け入れられるとき、その民族の発展は保障される」と語った。またソウル大学国語教育科に所属する米国人のロバート・ファウザー教授は昨年、あるメディアに寄稿した記事で「現在は、開かれた姿勢で文化的交流を行うと同時に、自国について深く理解することが要求される時代。ならばなおのこと、韓国語の文字から漢字を排除する理由はない」と主張した。

 「漢字混用は植民地時代の名残」という主張も、韓国の歴史における漢字使用の役割を無視したものだと批判されている。訓民正音が作られた当時、「竜飛御天歌」「月印千江之曲」などの歌は、漢字語は漢字で、固有語は訓民正音で、それぞれ区別して記述されていた。金昌辰草堂大学教授(国文学)は「世宗大王に始まるハングルと漢字の混用は、朝鮮王朝はもちろん開化期、植民地期、さらに光復(日本の植民地支配からの解放)後1980年代まで、韓国語の文字表記の主流だった」と語った。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者




<必死のパッチ>
おお「必死のパッチ」ボードやんけ♪・・・これは関西人向けでんな。
関西人

2013神戸マラソンの応援スナップの1枚なんですが・・・・
関西人への応援の言葉としては「必死のパッチ」が定着した感があります♪

「必死のパッチ」の由来に関して、こんな記事がでました。

【必死のパッチ】ゆるんだ心、捨ててこ!より
必死のパッチ

 「必死のパッチ」。標準語に訳すと「必死のももひき」か。意味がわからないが、これが関西弁になると「一生懸命」の最上級語とでもいうべき、熱き魂の言葉となる。

 阪神タイガースファンなら、元捕手の矢野燿大さん(43)がヒーローインタビューで「必死のパッチでいきます!」と叫ぶのを覚えておられるだろう。大阪出身の矢野さんにとって、「必死のパッチ」は幼い頃から慣れ親しんできた言葉だ。
 お立ち台で初めて「必死のパッチ」と言ったのは2008年ごろ。当時、ヒーローインタビューでこの言葉を使う選手は少なかった。「試合で追い詰められた究極の場面では、いつもこの言葉が思い浮かびました」。現在はテレビやスポーツ紙のプロ野球解説者として、やはり必死のパッチで働く日々だという。
 勝負強いバッティング、決死のブロックなど、矢野さんの熱いプレーにはこの言葉が似合う。草食系男子がもてはやされる昨今だが、やっぱり「必死のパッチ」が似合う男性の方が私は好きだ。

 そんな男たちに会いたくて大阪・岸和田を訪ねた。神社であっただんじり祭の安全祈願祭には、パッチをはいた男たちがねじり鉢巻きで勢ぞろいしていた。あぁ、格好いい~。 「普段はTシャツに短パン姿ですが、パッチをはくと気が引き締まります。お祭りはどんな場面でも必死のパッチ。最後まで気を緩められません」。警備担当の千亀利連合青年団長、弥園吉生さん(27)は言う。

 さて本題だ。そもそも「必死のパッチ」の言葉の由来は何か。パッチをはく暇もないぐらい必死とか、パッチ姿を忘れるほど必死とか、諸説ある。パッチに意味はなく、韻を踏んだだけともいわれ、真相は謎に包まれている。

 「ルーツは将棋にあるのかもしれません」と武庫川女子大言語文化研究所の佐竹秀雄所長(64)。子どもの頃、将棋を指し桂馬で両取りをかけられると、相手から「桂馬のパッチやな」と言われたそうだ。進路が二股に分かれる桂馬の駒の動きは、確かにももひきのように見える。

 「必死のパッチは、関西らしい言葉遊びでもあります」。佐竹さんによれば「おまえの話は真っ黒な犬や(尾も白くない=おもしろくない)」「風呂屋ののれん(ゆ~だけ=言うだけ)」と同じようなものだという。「一生懸命やって結果が出なかった時、『頑張ったのに』より『必死のパッチでやったのに』と言う方が、救われませんか」

 よし、今日から「必死のパッチ」精神でいこう。笑ってしぶとく、熱く生きるのだ。「マジだりい」とは、もう言うまい。(田中京子)




<第二外国語の流行り廃れ>
報道によれば、第二外国語の流行り廃れのスパンは短いようです。
就活にあまり影響の無い第二外国語こそ、多様な文化や人びとと接する窓口としたらいいのに♪と思うのだが。

1/8独仏の影薄く、中国も陰り……いえ、第二外国語の話より
ただ、NHK外国語講座(テレビ)のテキストの売れ行きをみると、英語以外では韓国語が一番人気だ。13年度でこれまでに中国語が最も売れた月でも14万部だが、韓国語は24万部。

 早稲田大教育学部では、07年度に中国語を学んだ1年生は541人とドイツ語やフランス語の倍近くいたが、09年度は400人を割った。中国語教育を担ってきた村上公一・同学部長は「冷凍ギョーザ事件やチベット暴動の影響で、尋常じゃない減り方にショックを受けた」と振り返る。

 ■日中関係悪化、履修者が減少
 10年度に500人台に戻ったが、13年度は400人台。村上学部長は日中関係の悪化が原因だとみており、「中国語の履修者数は政治・経済情勢に影響を受けやすい。離れた学生はスペイン語に流れている」。13年度にスペイン語を学んだ1年生は前年度比4割増の342人で、ドイツ語やフランス語を上回った。

 京大でも12年度に中国語の履修者が減りドイツ語に抜き返された一方、スペイン語は右肩上がり。13年度に履修した1年生は10年前の3.7倍にふくらんだ。

 京大の西山教授は言う。「学生はそのときの気分や実利面で第二外国語を選ぶ傾向が強くなったが、多様な文化や人びとと接する窓口として第二外国語を学ぶのだと考えてはどうか」




<言語表現法講義>
文章読本のたぐいは、言語学のジャンルに入れていいものかとも思ったけど…
加藤さんの「言語表現法講義」という本がユニークなので、紹介します。

著者のお名前だけは知っていたので、図書館でこの本を手にしたところ・・・・
内容が単なるハウツー本と違っていて、気になるので借りたわけです。

帰ってから、ウィキペディアで著者の履歴を眺めて見ると・・・
癖があるけど、なんかすごい。
なんといっても、高橋源一郎や村上春樹との関係が目を引くし、先鋭的ですね♪
それから、よくわからないけど、柄谷行人や浅田彰等のポストモダン系の思想家と仲が良くないようです(笑)


【言語表現法講義】
言語

加藤典洋著、岩波書店、1996年刊

<内容紹介>より
言葉を書くということは,どんな経験だろう.それは技法の問題ではない.よりよく考えるための,自分と向かい合うための経験の場だ.このことは,同時に批評の方法へとつながっていく.経験としての書くということの意味を,考えるということの1つの方法として位置付ける,これまでの文章教室とは異なったユニークな講義.

<読む前の大使寸評>
 「書くことを、考えるということの1つの方法として位置付ける」という著者の発想がいいですね♪

amazon言語表現法講義

この本が1997年の第10回新潮学芸賞を受賞していることも、後で知ったのです。
(ところで、新潮学芸賞ってなんやねん)

この本から、気になるあたりを紹介します。

<教材について>よりp17~19
 ところで、僕はここで『文章読本』は使いません。なぜなら小説家の名文撰は、いまの世の中から言うと、少し甘やかされている、と思うからです。皆さんのように、文学なんて関係ないな、という人を相手に、もっとタフに考えようとしたら、文学好きな人を対象にした『文章読本』は、ちょっとヤワ、なのです。
 それで、見つけたのがこのアンソロジーで、これは、文章読本とは銘打っていますが、別に小説家が作ったものではなし、文章読本と言うより、とても自由で生き生きしたアンソロジーなのです。
 余り、ほかの本を宣伝しても仕方がないから、少しだけにしますが、この本が出たのは1986年でちょうど10年前です。そこに、高橋源一郎、別役実、村上春樹、つげ義春、淀川長治、武田百合子、なんて名前が見えます。名文撰、アンソロジーというのは、こういうものだと思うんです。自由に、広く、よい文章を集め、そして、新しいスタンダードを作る。もう、いつも、芥川龍之介や志賀直哉を読んで、という式のアンソロジーでは、困る。それじゃ、まるで…中学校じゃないか、と僕なら思うかも知れません。作っている人が学校の温室にいて、すっかり文章に冷たい外の世界から取り残されているのですね。
(中略)
 元気づけに、というと変ですが、このアンソロジーが面白いぞ、といっている文章が二つあるので、紹介しておきましょう。一つは、高橋源一郎の『文学がこんなにわかっていいかしら』。これは、文芸雑誌に連載された文芸時評をまとめたものですが、その文芸時評に高橋氏は、この『高校生のための文章読本』を取り上げています。
 たとえば、このアンソロジーに付された、
 【創造的な文章は既成の文章の観念や形式にとらわれない自由な発想からのみ生まれ   る。良い文章とは、
  1.自分にしか書けないことを
  2.だれが読んでもわかるように書く
  という二つの条件を満たしたもののことだ。】

 なんていう言葉が、引かれています。


「文間文法」とは、鶴見俊輔氏の造った概念であるが、著者はもちろんで、井上ひさしさんも強い関心を示したそうです。

<文間文法>よりp86~88
 それから、終わりのほうで、「ハングリーな状態を経験すればするほど、ハネ返そうというエネルギーが湧き上がるものだ」とある。私はここからパッと飛んで、「大学入試に親子連れでくるような若者にとっては、『自分のキバは自分で磨け』と厳しく教えるもうひとつの教科書として最適だろう」と続けたほうが、はるかに印象がはっきりしてくると思う。
 その前の、「食わんがための不本意な仕事に就いている時の葛藤さえ、肥料になったのだろうか。高平氏のインタビューは、そのあたりまで立ち入ってない点に不満が残る」というところは、モタモタしていて、これは抜いたほうがいい。次のパラグラフへの飛躍がハッキリします。
 これは文間文法の問題です。一つの文と文の間をどういうふうにして飛ぶか、その筆勢は教えにくいもので、会得するほかない。その人のもっている特色です。この文間文法の技法は、ぜひおぼえてほしい。

 で、鶴見氏は、この文間文法の駆使の「ものすごくうまい人」として、小説家のスターンをあげます。「一つの文章から他の文章に移るときに、また一つの分節からもう一つの分節に移るときに、なんともいえない快感がある。太宰治もうまい。スーッと行く感じがあります」。それに続き、こういうなるほど、ということを書いている。

 一つの文と文の間は、気にすればいくらでも文章を押し込めるものなのです。だから、Aという文章とBという文章の間に、いくつも文章を押し込めていくと、書けなくなってしまう。とまってしまって、完結できなくなる。そこで一挙に飛ばなくてはならない。ここで言えば、「…エネルギーが湧き上がるものだ」から「大学入試に親子連れでくるような…」へ、すぐに移ったほうがいい。

 たとえば、今日の朝何をしたか、かきなさい、と言われる。
 朝、7時に起きました。それから顔を洗い、歯を磨きました。それから…
と書くのと、
 いつもと同じ、変わりなし。起きて、来ました。
と書くのと、それが同じことを語ろうとしていることを思えば、「一つの文と文の間」には、深遠があることが、わかるはずです。「起きて」から「来ました」の間に原稿用紙50枚分でも100枚分でも入ることがわかるでしょう。ジョイスの『ユリシーズ』という小説は「意識の流れ」を追った、ハロルド・ブルームという男の1日の話です。一つの文と次の文の間、それは怖い。一回、そこに入り込んだらもう出られない。なぜなら、そこから出る理由はないから。いいですか。書いても無駄だ、ということはないでしょ、書こうと思ったら、書けちゃう。だから、飛ばなくてはいけない。そこが悪いところだからそこから一刻も早く外に出なくちゃいけない、というんじゃないんです。そこから外に出る理由なんて何もないから、だから、飛ばなくちゃいけない。出る理由なんて、いつまでたっても出てこない。理由を待っていたら、いつまでも飛べない。だから、飛ぶんです。理由なしに。「高飛びだ!」なんて、よく映画の犯人が叫ぶでしょ。あのタイミング。理由ができたときにはもう遅い。警察が迫ってきた段階ではもう高飛びじゃなくて、逃亡なんです。その前に、なんの必用もない時に、飛ぶ。文間文法は高飛びの呼吸です。
 この呼吸、会得しろ、ということなんです。
 僕の知る限り、この鶴見氏の文間文法という言い方に強い関心を示したのは、井上ひさし氏です。氏はその『自家製 文章読本』で、一章をもうけ、この問題について論じています。


著者独特なくせが感じられるけど、言語表現とか思考にまでさかのぼったユニークな文章読本だと思うのです。



<137億年の物語2>
この本は多元的な視点で書かれていて、どこから読んでも面白いのだが・・・・
昨今は開戦前夜のようにきな臭い中国の歴史について、アットランダムに読み進めたのです。

今では、世界の嫌われ者となった中国であるが、歴史をさかのぼれば、世界一の文明を誇っていた時期もあるわけで・・・・どこで、どう間違ったのか?という気がするんですね。

大使の関心は印刷からさかのぼって、漢字に向かうわけです。

<殷王朝>よりp193~194
 殷(紀元前1766年~同1050年)は、たしかな考古学的証拠をはじめて残した王朝である。それ以前の歴史は魔術や伝説に彩られ、「三皇五帝」と総称される8人の帝王が支配したといわれている。
 三皇五帝の物語を知ることができるのは、『竹書紀年』という古代中国の歴史書のおかげだ。この書物は、紀元前299年に没した魏の襄王の墓から発見された。この時代のことを教えてくれるもうひとつの書物は、130巻におよぶ『史記』で、紀元前109年から同91年にかけて、司馬遷がひとりで書きつづった。
(中略)

甲骨甲骨文字

 中国の支配者に関する最古の証拠は、紀元前1600年ごろに誕生した殷(商)の時代のものだ。1920年代、殷王朝の遺構の発掘作業をしていた考古学者たちが、11基の王家の墓と宮殿の土台を発見した。そこからは、青銅器や、翡翠などの玉で作られた工芸品が数万個も出土した。それらの遺物からは、殷の文化が非常に高度なものであったことがわかる。彼らは、完成された文字システム(甲骨文字)を持ち、さまざまな儀式を行い、強力な武器を所有し、広い地域を支配していた。人間を生贄にすることも多かった。
(中略)
 華北の王たちは、専門的で複雑な占いの儀式を、自ら執り行った。彼らは、神官やシャーマンのような呪術師を必要としなかった。天井の神々の意向をうかがうのは、王の仕事だったからだ。
 その方法は奇妙で独創的なものだった。熱した金属の棒を、カメの甲羅か雄牛の骨に押し付けると、ひび割れができる。王は、手相占いのように、そのひび割れの長さと方向を見て、自分と臣民からの問いに対する神の答えを読み取ったのだ。神に問うたのは、「いつ雨が降るか」「次の戦いに勝てるか」「今年は豊作になるだろうか」といったことで、そのような問いを、象形文字(甲骨文字)で甲羅に刻むこともあった。甲骨文字は現代の漢字にとてもよく似ているので、楔形文字やエジプトのヒエログリフとは違って、ロゼッタストーンやベヒストウン碑文のようなものがなくても簡単に解読できた。そのこと自体が、中国の歴史がどれほど遠い過去に根ざしているかを示しており、また、中国で古代の文明が途切れることなく今日まで続いてきた証ともなっている。


ソフトパワーの伸張をはかるべく、中国政府は世界各国に孔子学院を建てているが、如何せん。文革で一度壊れた公徳心は、いっこうに復活しないようです。

<春秋戦国時代と諸子百家>よりp195~197
 戦国時代には、諸子百家とよばれる、さまざまな思想家や学派が次々に登場した。賢者や思想家たちは各国の宮廷を巡って、どうすれば正しく生き、賢く国を治め、国を繁栄させることができるかを、王や貴族に説いた。こうした思想家のひとりが孔子である。後にその名は西洋にも伝わり、「コンフューシャス」とよばれるようになった。言い伝えによると、孔子は、紀元前551年ごろに生まれ、同479年に没した。その教えは、今でも、中国はもとより、日本、韓国、ベトナムまで、東アジアの社会に生き続けている。
 孔子は魯という国の法務大臣を務めていたが、55歳ごろにその職を辞し、徳のある生き方と国を治める最善の方法を説くために、北部諸国をめぐる旅に出た。権力争いと軍事的衝突に明け暮れる社会にあって、孔子は、社会の調和を取り戻すには、人々が目上の者にしたがい、正しく行動し、礼儀を重んじることが肝要だと考えるようになった。しして、王が臣民に手本を示せば、臣民は自ずと王にしたがうだろう、と諸国の王に説いた。もっとも、今日、孔子の教え(儒教)として伝わっているものは、必ずしも孔子自身が説いたものとは限らない。彼の弟子たち、特に孟子と荀子は、孔子の思想をより完全なものへと発展させたが、それは本来の孔子の教えとは異なっていた。
(中略)
 孔子が編纂したとされる書物は多くあるものの、実際に孔子が書いたかどうかは不明である。とはいえ、2000年にわたって中国では、官僚、法律家、軍人、役人になろうとする人は、『四書五経』(そのいくつかは孔子が編纂したと伝えられている)を読むことを義務づけられた。このように、教育、賢人や思想家の教え、調和、従順を重んじる伝統は、中国社会の特徴として、今日まで脈々と受け継がれている。
 孔子は、社会秩序の安定と平和を願ったが、中国ではその後も戦乱が続いた。紀元前221年、秦(Chinaの語源となった)がついに中国を統一した。秦の台頭は、血も凍りそうなほど残酷な逸話に彩られている。


世界最大の帝国を築いた始皇帝は、焚書坑儒で知られるように、圧政についても半端でなかったようです。

<始皇帝の中国統一>よりp197~199
 秦は、中国の北西の端にあった王国で、人びとは馬にまたがって狩猟をしていた。すぐれた馬を選んで交配するうちに馬は大型化し、兵士たちは扱いにくい戦車を捨て、馬の背にまたがって戦場に向かうようになった。騎馬兵を擁する王は圧倒的な優勢を誇った。
 しかし秦は、軍事力だけでなく、残酷さでも群を抜いていた。白起という秦史上最強の将軍は、100万人以上の敵兵を殺し、70以上の都市を略奪した。紀元前278年、彼は秦にとって最大のライバルだった長江の南に位置する楚と戦って勝利を収めた。続いて、「長平の戦い」で、趙を倒した。この戦いでは、40万人以上の捕虜を生き埋めにしたといわれている。
(中略)
 まもなく、秦はかつてない強国となり、戦国の七雄の中で頭角を現していった。第31代君主、エイ政が王座に就いたとき、その力は頂点に達した。七雄のうち最後まで残っていた斉を紀元前221年に倒すと、エイ政は、中国全土を支配する最初の君主となり、「始皇帝」(在位:紀元前221~同210年)と名乗った。
 始皇帝は、宰相の李斯に助けられながら、秦を強大な中央集権国家に作りかえていった。地方の豪族を倒して新たに36の郡を設け、それぞれに民政を司る郡守と、軍事を司る郡尉、監察を司る郡監を置いた。郡守は、任地で権力基盤を築くことのないよう、数年ごとに異動させられた。これらの改革は、100年以上前に商オウがはじめた改革の流れを継ぐものだった。
 紀元前213年に、始皇帝は、焚書坑儒を命じた。焚書は書物を焼くこと、坑儒は儒学者を生き埋めにすることで、思想や政治的意見を統一するために言論の自由を弾圧したのだった。無数の書物が焼かれたが、その多くは、諸子百家の思想に関するものだった。医学・占い・農業などの実用書以外は、すべて禁止された。

(中略)
 始皇帝の治世の残虐さは、強い憎悪と反感を招き、皇帝の死後数年で秦は崩壊した。それでも、始皇帝は偉大な業績を残した。七雄を統合して世界最大の帝国を築いただけではなく、統治の大原則から細々とした規則まで、すべてに皇帝の意思が反映されるという、強力な中央集権体制を完成させたのである。
 米と絹と鉄は、領土拡大への野望と、征服するための手段をもたらし、史上最大にして最も長続きする国家を作り出した。古代中国の人々は、自然を支配することにより強大な力を得、独創的で力強い文明を築いていった。その文明は、その後数千年にわたって続くことになる。



<日本の発展と中国の停滞>よりp452~420
 ペリー提督の黒船に突然目を覚ませられた日本でも、驚くべき変化が起きた。アメリカとの通商条約を将軍が受け入れたことを不満に思った、藩士や公家たちが、1868年に王政復古を断行したのだ。新たに生まれた明治政府は、古くからのライバルであり師でもあった中国と同じような屈辱を受けることは、何としても避けたいと考えた。1868年に制定された「五箇条の御誓文」には、「知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」とある。日本政府は外国政策を180度転換して、外国から3000人もの専門家を招き、国民に西洋の法律や制度、科学技術を教授させ、その一方で、日本の研究者をヨーロッパやアメリカに派遣した。三井や三菱といった総合商社もでき、絹糸の生産を皮切りに工業化もはじまった。いわば「日本版ランカシャー」が築かれ、西欧をモデルとする「素晴らしき新世界」が極東ではじまったのである。
 日本政府は、産業をおこして軍事力を高める「富国強兵」政策を掲げ、積極的に領土拡大をはかりはじめた。1894年から95年にかけて、日本軍は朝鮮半島を戦場として中国と戦った(日清戦争)。中国も、ヨーロッパ列強に屈辱をなめさせられた後、国力を増強しようと「洋務運動」を推進していたが、この戦いでは日本が勝利を収めた。今や日本は、西欧諸国によって独占されていた領土拡大ゲームに参加するようになった。中国に、韓国の独立を認めさせ、台湾を日本に割譲させ、多額な賠償金を銀で支払わせた上、沿岸地域での通商権と製造業営業権を獲得したのである。
 その10年後、ロシアが太平洋岸の不凍港を手に入れようと南下してきたとき、日本はロシア軍を破って、世界を驚かせた(日露戦争)。1905年5月27日の日本海海戦では、日本海軍がロシア艦隊を壊滅させ、ついに日本が真の強国になったことを世界に示した。


中国という多民族国家は、歴代の皇帝によって統治されてきたわけですが・・・
圧政に苦しむ大衆の革命や夷荻によって皇帝をすげ替えた歴史を持っています。
現在は、共産主義というデマゴギーをお題目にして、チャイナセブンを統治主体として仰いでいるが、今後どう変わるんでしょうね?


【137億年の物語】
137

クリストファー・ロイド著、文藝春秋、2012年刊

<「BOOK」データベース>より
137億年の歴史を42のテーマで語る。歴史を点ではなく、つながりで考える。西洋が中心ではない。アジア、南アメリカ、少数民族、イスラム、等々多元的な視点で理解する。地球的な規模で人類の文明も相対化する。豊富なイラストと写真で旅するように歴史を感じる。科学と歴史、その接点を考える。

<読む前の大使寸評>
わりと高価な本なので、こういう本を借りる時に、図書館のありがたさを感じるのです。中国に言及している部分が思ったよりあるので、楽しみです。

<読後の大使寸評>
訳者のスキルによるのかもしれないが、わりと物語風に書かれた訳文が明瞭で簡潔なことです。
著者は「自分の子どもに、この地球の歴史をどう教えたらいいか、それがヒントになってこの本が生まれた」と言うが・・・なるほど読みやすくて面白い本でした。

それから、横文字がなくても日本語になっているということは・・・
つまりは漢字語彙の多彩さを物語っているわけで、漢字文化圏の中でも日本文明の優位が証明されたわけですね(笑)

rakuten137億年の物語


NHKスペシャル「中国文明の謎」2
137億年の物語1


<絶滅寸前の満州語>
6日の朝日新聞によれば・・・
満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。
言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。


9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより
 かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。

 ■人材育て歴史解明目指す
 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。

 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。

 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。

 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。

 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。

 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。

 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。

 ■発祥地でも継承難しく
 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。

 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。

 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。

 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。

 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。

 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。

 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。

 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎)

◆キーワード
<満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。


新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。
でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。

wikipediaによれば、満州族は固有の文化を失いながらも、民族意識はとても強いともいわれているそうです。
果たして、満州語の今後はどうなるでしょうね。


wikipedia満州民族より
■現代の満洲民族
第二次世界大戦後に成立した中華人民共和国は、民族識別工作を行って少数民族を中国の内部で一定の権利を有する民族として公認した。この過程で、かつての旗人(八旗に所属した者)の後裔にあたる人々が満族(満人)とされる。

満族の人々の間では、現在はごく少数の老人を除いて満洲語を話す者は殆どおらず、伝統宗教のシャーマニズムの信仰もほとんど残っていない。このような状況から、満洲民族は、言語的・文化的に中国社会に同化され、失われつつある先住民族であるとも見なされうる。1980年代以降は政府の少数民族優遇政策から積極的に民族籍を満族に改めようとする動きがあって、満族の人口は10年あまりのうちに3.5倍以上に増加しているが、これは満族になる事で少数民族として優遇措置の恩恵を受けようとする人が多いためといわれており、満洲語を学習しようとする人が増加している訳ではない。しかし一方で、固有の文化を失いながらも満洲民族の民族意識はとても強いともいわれている。


満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。

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