2DKと京町屋

<2DKと京町屋>
『「間取り」の世界地図』という本を図書館で借りて読んだのだが・・・
「間取り」と聞いて思いつく言葉は、2DKと京町屋なんですね、大使の場合。
そのあたりを、この本から紹介します。

建築設計者もある種の職人であるが、「はじめに」の文章にも著者の建築設計者としての慎ましさが表れているのです。

<はじめに>p3~5より
 マイホームを新たにつくろうとするとき、あるいは、マンションを購入したり借りたりするとき、まず気になるのが、「間取り」ではなかろうか。
 住まいの「間取り」を見ることで、そこで暮らす家族の関係性や日々の生活のありかたが、ある程度想像できるといっていい。
 
 「間取り」は単なる平面図に過ぎない。
 しかし、そこに描かれた四角や三角の図形、その線や曲線からは、まるで<魔法のランプ>のように、その時代、その土地の人びとの生活観や家族観、価値観などをうかがい知ることができる。

 本書では、そうした変遷する「間取り」をひも解いてみた。そうすることで、過去と現在、日本と世界の人びとの暮らしの様子や生活の知恵が浮かび上がってくる。と同時に、「間取り」に込められた設計者たちの隠れた工夫も見えてくる。それを感じ取ってもらえたら、建築にたずさわる者としてこんなにうれしいことはない。


51C
カマボコと51C型のすばらしさより

<都市生活者が団地住まいに憧れた理由>p22~24より
 それでは公営住宅の「51-C型」の間取りをみてみよう。
 玄関の間は、半畳のたたきの踏み込みとして工夫され、入口から入るとすぐに板の間のDKになる。ここにキッチンセットが置かれた。ステンレスの流し台が近代化のシンボルとして鎮座することになる場所である。このDKこそが、やがてはちゃぶ台からイス座のテーブルセットへと進化していった現場である。
 
 そして、四畳半と六畳の二部屋が、ややズレたかたちでDKと隣接している。DK横の四畳半の和室は、食寝分離のための部屋である。二つの和室の区切りも襖1枚で開放できるものであったが、いささかのプライバシーが確保されるよう配慮されていた。トイレは水洗式の男女共用便器で、行水や洗濯のため、床に水を流せる場所が設けられている。また、バルコニーでは堂々と洗濯物を干せるだけの広さを確保し、入口の横には物置のスペースがあった。

 この「51-C型」というDKを持つ間取りをさらに普及させるきっかけとなったのが、1955年に発足した日本住宅公団の団地建設だった。
 住宅公団はこの間取りを標準化し、四畳半と六畳の二部屋、そしてステンレスの流し台がついたダイニング・キッチン、そして、当時はまだ珍しかった内風呂を組み合わせて、13坪(約43㎡)の2DK住宅を誕生させたのだ。

 当時の主婦にとって、DKでピカピカと光り輝くステンレス流し台は、なんとも魅力的だったにちがいない。それまでの流し台といえば、せいぜいコンクリートに御影石のかけらを入れて磨き上げた研ぎ流しの流し台か、あるいはタイル張りか、トタンだったからだ。
 さらに、それまでキッチンといえば、家の裏側にあって、あくまで裏方であり、ある地味で目立たない存在だった。それがダイニングと並んで、明るい位置に配置されたのである。ダイニング・キッチンの登場は、台所が生活の表舞台に登場する歴史的な出来事でもあったのだ。


坪庭
坪庭ゲストハウス楽座より

<通り庭を生かした町屋の工夫>p90~91より
 日本の家では必ず下足を脱ぐというのが基本だが、かつては家の中でも下足のまま移動する空間が確保されていた。土間とそれに続く「通り庭」である。
 この土間とも通り庭も、かつての日本の庶民住宅がもっていた大きな特徴である。
 農家や町屋には必ずあった土間は、家の表から裏の中庭まで通り抜けることができる空間であり、通り庭の奥には炊事や煮炊きなどをする台所、水回りがあった。農家住宅にあっては作業場も兼ねていた。

 映画「男はつらいよ」の寅さんが、故郷の葛飾柴又にひょっこり帰ってくると、オイちゃんオバちゃんの団子屋の店内を抜け、裏庭にまで出て、タコ社長が経営する印刷工場に声をかける。
 「労働者諸君!」
 もちろん、寅さんはいつもの雪駄を履いたままだ。いわば、あの通り道が「通り庭」なのである。
 かつては、通り庭を通って裏庭に出ると、隣家との境界に沿って、湯殿、雪隠、小便所などが一列につくられていた。そのため、通り庭は、人糞の汲み取りのために天秤棒で肥溜めを担ぐ人が通れる道でもあった。この通り庭を通って、秤棒で肥溜めを担ぐ人が通れる道でもあった。この通り庭を通って、貴重な肥溜めが百姓に売られるという仕組みになっていたのだ。
 もちろん、家の人は通り庭を通って、敷地の奥にある土蔵や便所に行き来していたし、商売を営んでいるような町屋には必ずあった。通り庭を持つ町屋は、わが国の都市住宅の原型の一つといっていいだろう。
 町屋は、もともと職人や町人の住居の総称だが、中世から近世にかけて、京都において発展し、江戸時代には日本各地で独自の発展を遂げている。



<日本人の「内」と「外」の感覚>p115~116より
 日本人は靴を脱ぐという行為によって「内」を感じる。上がり框を上がったとたん、あるいは玄関で靴を脱ぎ捨てたとたん、リラックスできるようで、靴を脱ぐと同時に上着をとり、ネクタイを外し、蒸し暑い夏となれば、ズボンも脱いでステテコ姿で部屋を闊歩するといった具合だ。

 もちろん、妻や娘たちからは嫌われるが、世の男性諸氏の一断面であることは確かであろう。もう「内」にいるのだから、どんな格好をしていても許されるはずというわけだ。
 そう考えても、私たちが帰宅して気楽になるきっかけは、どうも靴を脱ぐという行為からはじまっていることは確かであろう。

 それでは欧米ではどうであろうか。ドアから一歩家に入ると、服を着替えていきなり下着姿というのはちょっとお目にかからない。なにせ靴は履いたままなのだから、着替えもままならないだろう。
 彼らにとって靴が脱げる部屋、寝室に入ったときこそ、本当のリラックスできる場所になるようである。寝室こそが何でも許され、開放感を味わえる空間なのだ。そうすると、ゴロゴロとどこでも寝転べる日本の畳の部屋は、すべてベッドの代わりであるともいえる。

 こうして和室がもつ特性については、明治期に来日し、大森貝塚を発見したことで知られるエドワード・モースがすでに指摘しており、その効用を高く評価している。
 その点、欧米の住宅の居間や食堂は、日本の住宅と比べて何でも許されるという気楽さはなく、むしろ一種の公共性を有しているように思える。それは家族がともに過ごすことへの考え方のちがいが反映されているようだ。

 また、日本人の特性として、個人のプライバシーを主張するより、互いの雰囲気を大切にするところがあり、それは地域社会にあっても、近所の人たちと縁側や井戸端で気楽に交流するといった融和的な関係の中で育まれていったのである。



【「間取り」の世界地図】
間取り

服部岑生著、青春出版、2006年刊

<「BOOK」データベース>より
東京・NY・パリ…のアパートの間取りの違い。続き間・縁側・通り庭…狭い日本ならではの工夫。比べてわかる住まいの人間関係学。
【目次】
1 日本の「間取り」とその変遷(マンション、団地…集合住宅に見る、日本人の暮らしの変化/江戸の武士住宅からつづく、日本住宅の古きよき伝統/間取りから浮かび上がる、暮らしの知恵としきたり)/2 「間取り」の世界地図(比べてわかる、世界の家族観、生活観…のちがい/日・米・英…大富豪の邸宅の間取り)

<読む前の大使寸評>
手にした時の斜め読みから・・・・
著者のかもす民俗学的なセンス、職人の慎ましさが感じられたので、借りたわけです。

rakuten「間取り」の世界地図


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック