日本文化って

<日本文化って>
クールジャパンで喧しい昨今であるが、お役所の食いものなのか、クリエーターの味方なのか?・・・立場が違えばまったく別の顔が見えるクールジャパンである。
そもそも、日本文化って何?

本屋で與那覇先生の『日本人はなぜ存在するか』という本を見かけたので、中も確かめずに購入したのです。(事前に書評を読んでいたもんで)

で、ラジカルな與那覇先生の説く日本文化のあたりを紹介します。

<「文化になる」のはいいことか?>p102~104より 
 あるものが「文化」と認定されるのは、本当に喜ぶべきことなのでしょうか・

 この問題をカルチュラル・スタディーズでは「有標」と「無標」という対概念で分析します。実はあるものを「どこそこの文化」と呼ぶのは、それを文化というラベルによって「有標化」する営為なのですね。たとえば西洋人が「畳は日本の文化だ」というときには、「フローリングの方が普通だけど」という価値基準がセットになっている。この場合、あまりにも標準的なのでむしろ文化と呼ばれない、フローリング=西洋風の暮らしの方が「無標」です。

 つまり文化として認定される=有標化されることは、「スタンダードではない特殊なもの」として、世界の中心から一段下がった価値づけをされることと表裏一体なのですね。あらゆる現象において、中心的な地位を占めるものはつねに無標であり、周縁に位置づけられるものの方が有標です。

たとえばヒップホップを「黒人音楽」と言っても、ベートーベンは「白人音楽」とは呼ばれない。女性の著述家を「女流作家」と言うのに、男性の物書きは「男流作家」ではなく、単に「作家」。チャイナドレスやチマチョゴリは「アジアの民族衣装」なのに、スーツにネクタイは「欧米の民族衣装」ではなく、「普通の格好」と言われます。

 渡辺氏が宝塚の変遷を描く際に「東京帝国主義」という言葉を用いたのは、まさにこのような問題を意識するがゆえでした。一国の内部では、その首都がしばしば無標のものとして中心にあり、地方の方が有標化されているからこそ、「地方文化」や「地域の個性」を求められる。それは、世界全体の構造の縮図なのです。

 特に近代においては、西洋・白人・男性の価値観が無標のスタンダードとして中心の位置を占め、それ以外のものが「民族文化」のように有標化されてきました。実際、国内ではフレンチ・レビューを導入して以降の宝塚歌劇団も、欧米での公演ではむしろ、「日本的な」な歌舞伎風な作品を上演しています。海外での彼女たちは、欧米人と同様の「普通のミュージカル」を演じる存在ではなく、「日本の劇団」という有標化されたブランドにすぎなかったからです。同じことは、昨今のクールジャパン現象についてもあてはまるでしょう。

 近代という時代において、欧米から見れば日本はつねに、有標の存在でした。本書の後半ではまず、世界で日本がどのように「見られてきたか」を振り返るところから、議論を始めたいと思います。


なるほど・・・中華文明に対する反発、東京に対する関西のコンプレックスなどを考える上で、おおいに啓蒙される与那覇先生の講釈でした♪


朝日デジタルの書評がこの本を取り上げていたので、紹介します。

日本人はなぜ存在するかより
日本人

<歴史の見方の「殻」を破る:原真人(本社編集委員) >
 通説にとらわれない新鮮な日本史観を提示してきた気鋭の歴史学者が、こんども多くの読者が興味をそそられるであろう「日本人とは何か」というテーマに迫った。ありがちな日本人論を想定して読むと、その先入観はことごとくひっくり返されるだろう。

 まずは「集団主義的な日本人」というイメージ、「日本の伝統文化の起源は奈良や京都」といった常識を次々と覆す。それも心理学や社会学、文化人類学などの研究手法をあの手この手で駆使してだ。

 過去に「本当の日本人」を見つけに行っても見つかるわけがない、最初から実在していないのだから、と著者は言う。では“日本人”とは何か。著者が探ろうと試みるのはそれが存在するかのごとく人々を信じさせた「物語」がどうやって生まれたか、だ。
 まるで哲学入門を読んでいる気分にさせられる本だ。そうか、歴史をたどるとは哲学的な作業だったのだ。歴史の見方の殻をまた一つ破ってくれた。與那覇潤、恐るべし。
    ◇

『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤著、集英社インターナショナル、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
日本人は、日本民族は、日本史はどのように作られた?教養科目の人気講義が一冊の本に!
【目次】
1 入門編ー日本人論を考える(「日本人」は存在するか/「日本史」はなぜ間違えるか/「日本国籍」に根拠はあるか/「日本民族」とは誰のことか/「日本文化」は日本風か)/2 発展編ー日本人論で考える(「世界」は日本をどう見てきたか/「ジャパニメーション」は鳥獣戯画か/「物語」を信じられるか/「人間」の範囲はどこまでか/「正義」は定義できるか)


<読む前の大使寸評>
與那覇先生の日本人論とあれば、読まないといけないでしょうね♪

rakuten日本人はなぜ存在するか


日本人はどのように「作られた」のか?で与那覇先生へのインタビューを見てみましょう。

次に、日本人の性癖あたりを紹介します。
大陸とは文明の衝突というか、面子の張り合いのような昨今ですが・・・
与那覇先生の論説から紛争を避ける知恵を知りたいわけです。

<「日本人論が好きなこと」が日本人の個性>p118~119より 比較思想の研究者だった藤田雄二氏が「近世日本における自民族中心的志向」という論文で優れた指摘をしています。
 私たち人間には誰しも自尊心があるので、どんな人々もしばしば自分たちの文化を「優れたものだ」とみなしがちです。しかし藤田氏の区分では、そのようなエスノセントリズムにも、ふたつのタイプがある。
 片方は「自分たちは人間として普通のあり方をしており、多民族にはそれが欠けている」と考える「文明型」。もう片方は、「自分たちは普通のあり方をしていないがっゆえにこそ、優れている」と考える「選民型」。前者が暴走すると、自分たちのやり方を他の国にも押しつける帝国主義になり、逆に後者は、みずからの特殊性ばかりを強調して他国からの影響を排除しようとする、鎖国志向や排外主義に陥ります。

 文明型の思考法をとる国は、世界というものを自身と対立するものとはみなさず、むしろ自国のあり方を広げてゆくべきフィールドとして捉えるでしょう。今日ではアメリカ、前近代では中国の行動様式が典型ですね。逆に日本は典型的な選民型の自己意識を持つ国で、いつの時代も「グローバルスタンダード」は自国の内部ではなく、よそから来るものだと考えて、その対応に悩んできた。そしてどうにも適応できないとなると、「日本人にはあわない」「日本には日本のやり方がある」といって、牙をむくのです。

 今日の日本でも「グローバル人材」の育成が叫ばれる一方で、日本独自の「国家の品格」を守れと主張する人もいます。近日の2020年東京オリンピック招致成功の際にも、それを単なるイベント誘致以上に、「国際社会が日本を認めたことの証明」とみなして、国の命運を左右するかのように扱う雰囲気がありましたね。しかし、そのように標準を外部に求めてしまうこと自体が、周辺地域にありがちな思考の癖であることも、比較文化は教えてくれるのです。


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