プレハブ住宅で良かったのか

<プレハブ住宅で良かったのか>
 阪神大震災の後、2世帯用の注文住宅を建てようと計画を進めた大使は・・・
木質系の従来構法が好みであったにもかかわらず、大手(Sハウス)の鉄骨系プレハブ住宅を建てたわけです。
決め手は、大震災の後でもあり、災害に強いだろうということでした。

しかし、トータルで判断した場合、最適のチョイスだったのか?
現在は主流であるプレハブ住宅は、ある時期いっせいに陳腐化するようなことはないか?・・・という視点で読み進めたのです。


【箱の産業】
箱

松村秀一, 佐藤考一編著、彰国社、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
 プレハブ住宅産業はこうして生まれた!その揺籃期、1960年前後から1970年代までの動きを、当時の若き技術者たちのオーラルヒストリーで生き生きと構成。技術者一人ひとりのものがたりをもとに歴史を紡ぐ技術社会史の労作、ここに成る。

<大使寸評>
技術者として読むと、産業史として面白いのだけど・・・・
プレハブ住宅業界の苦労話あるいは手柄話のような内容になっていて、文化論にはほど遠いのです。
当然かもしれないが、プレハブ住宅のマイナス面は語られていません。

rakuten箱の産業


はじめに、プレハブ住宅の歴史や勘所を見てみましょう。

<はじめに>p10~12より
 もう一つ期待を裏切ったのは、プレハブ住宅の価格の高さだった。発売当初は在来工法による木造住宅よりも高いものだったが、多くの関係者が量産規模を確保できればその価格は下がるものと期待していた。しかし、ある程度の量産規模が確保できるようになっても、期待したほどの価格低減は実現しなかったのである。
 日本の住宅市場の中心は注文住宅であり、多様な注文の内容に応えることが求められ、販売量を増やそうとすれば、部品の種類を増やしたり、現場作業への依存度を上げざるをえないという事情がその背景にあった。

 こうした実情に対する反省もあって、1970年ごろには再び新しいプレハブ住宅の開発が盛んになる。それまでのプレハブ住宅は、押しなべて躯体部分を幅1m程度のパネルで構成する方式を採っていたが、このパネルの幅を3~4m程度にした「大型パネル構法」や、さらには工場で床、壁、屋根に内外装や設備まで取り付けた「ユニット」と呼ばれる箱を製作する「ユニット構法」が1970年前後に生み出された。
(中略)
 その後、この業界を大きく変えたのは1970年のオイルショックである。オイルショックの影響は日本経済全体に及び、高度経済成長期はここに完全に幕を閉じたが、同時に1973年という年は、日本のすべての都道府県で住宅の戸数が世帯数を上回り、数の上での住宅不足が解消された年でもあった。住宅は「量から質へ」と言われる時代に突入したのである。
 これに伴い、住宅産業においても、商品化の時代、空間と部品が開発の中心になる時代に転じ始め、構法を問わない時代を迎えることになる。そしてプレハブ住宅メーカーにおいても、1980年代以降の中層分野への展開等を除き、かつてのような構法開発の熱は冷め、時代の要求に合わせる改良は継続的になされたものの、1960年代に開発された構法が、基本的には各社の中で在来構法化していった。
 
 事実、今でも大手プレハブ住宅メーカーの構法の基本形は、多くの場合1960年代前半の第1段階、あるいは1970年前後の第2段階に仕込まれたものである。だからこそ、現在住宅産業に関わる多くの人にとって、かつての若者たちの証言を聞くことは、今の自分の活動の土台とそれが形づくられた物語を知ることでもある。本書の中で披露される昔話は、そういう今日性を持ち合わせている。


我が家の作りは鉄骨系プレハブなので、そのあたりを見てみます。

<部材寸法とモジュール>p81~82より
石本:60×30っていう鉄骨はC形鋼で一番ちっちゃいんですよね。工場建築の胴縁なんかはそれまで75×45が普通だった。これは僕のせせこましさですね。「これでもたせぇ。鉄というのは丈夫なんだ」と。ラーメン構造は硬いというのと一緒でね。鉄は大きくなくていいって、思い込んでいたから。

Q:60×30というメンバーは、石本さんが決めたんですか。

石本:そうか。今まであんまり考えたことがなかったけど、僕の貧乏くささのせいですね。それが日本のプレハブ住宅をリードしたわけや(笑)。

福井:そうや。石本さんのセンスでだいたい行っているわけや。

Q:それと、日本のプレハブ住宅は、在来木造と同じように、900mm程度のモジュールを設定して、部材をそのモジュールの間隔で設定されたグリッドに合わせて配置するわけですが、積水ハウスのモジュールはB型から一貫して1mですよね。なんで1mにしたんですか。

石本:福井さんなんかと話し合ってね、「これからはメーターモジュールじゃないか」って。あのころは、建築学会でも3尺に代わるものという討議がされていたんじゃないですかね。
(中略)
 それでも、社内では「900モジュールの開発をしてくれ」とうるさかった。「同じ平米数やったら900モジュールの方が、部屋数が増える」って。でも、その時に田鍋さんが、「ほんなら、その分、今のB型の売上げよりプラスがあるのか」って聞いたら、みんな「うん」とよう言わんかった。

福井:田鍋さんていうのは面白くてね。B型システムにこだわったのも田鍋さんですね。
石本:メーターモジュールは、同じ間取りだったら面積単価が安くなるという気持ちもありました。

<直販方式と提携ローン>p82~84より
Q:営業や施工ですが、初めは現在のように自社で販売する直販方式ではなく、代理店方式ですよね。

福井:A型をやっている間に顧客、代理店、メーカーで責任のなすり合いになるようなトラブルが起こって、「自分でやったほうが早いで」と直接販売、責任施工の方向に進みました。パナホームの小林さんからはうらやましがられました。初めに集まった代理店は一旗あげようかって人が結構多かったんですね。

石本:昭和38年に田鍋さんが社長になって、すぐ代理店方式から直販方式に転換しました。

Q:直販にすると、営業などの社員がたくさん必要ですよね。

石本:営業担当で川崎さんという有名な人がいるんです。日本で一物一価の住宅営業を始めたのは、積水ハウスの大阪営業所だと宣言されました。僕は田鍋さんの功績の一つは川崎さんを引っ張ってきたことだと思っているくらいです。「販売戸数は営業マンの数で決まる」というのが口ぐせでしたが、その川崎さんが住宅販売の要点を三つ挙げているんです。土地支配、お金、それと人間関係。

 土地支配というのは、やっぱり土地を仕入れてお客さんに紹介したことが大きかった。結構、積水ハウスは土地を扱っていまして、ある時期、日本で土地扱い量が一番多かった。住友不動産とか三菱地所とかよりも。
 お金というのは社史にも書いてある提携ローンの問題。提携ローンというのは住宅会社が保証するわけですから、経理上は債務なんですね。もしお客さんが払えなくなりゃ全部負債になっちゃいますから。まあ、そうした提携ローンで伸びたんですが、これは会社が債務保証能力を持っていたからできる。工務店にはできないですもんね。

福井:ここだけの話やけどね、プレハブ住宅には、それぞれ賢い人がようけいて一生懸命やったけども、在来構法と比べて品質・価格で先導的であったかというと、どうですかねぇ。僕は怪しいんちゃうかなぁと忸怩たるものがありますわ。

石本:しかしそういう時代を経て、今は立派に日本の住宅産業をリードしているんじゃないですか。

福井:それだけに責任も重いということですね。 

この本を図書館で借りたのは、我が家の行く末が心配だったわけですが・・・・
当然かもしれないが、プレハブ住宅のマイナス面は語られていませんでした。

工務店方式のシェアをかなりの割合で奪ったプレハブ住宅であるが・・・
住宅の質では在来構法に優るとは言えないと、当事者が述懐してしているのが意外というか、悔しいのである。(笑)
でもまあ、空間デザインに優れた構法ということで、結構気に入っているし♪

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック