サイバーリテラシー6 ③

<サイバーリテラシー6> H25.10.19~~現在 
パソコン画面を見つめて、自分がしていることは何なのか?・・・
という思いに駆られて 考えてみます。


・私はTwitterを選び、Twitterで世界を変えていく
・つながりすぎ社会を生きる
・中華のサイバー攻撃に
・ラインによるイジメ助長
・ウィキペディアにおける“自由”
・インターネット界の「図書館」とは
・Win.XPサポート終了に備えて
・リアルとネットのボーダーレス
・IT企業が導く「ピカピカの街づくり」

********************************************************************
サイバーリテラシー5>目次
・小学校でLINE氾濫だって?
・歩きスマホの危険性
・サイバーセキュリティー対策は諸刃の剣
・急増するサイバー攻撃
・解放軍ハッカー説の信憑性
・ビッグデータの処理の最前線
・PC遠隔操作事件に学ぶ
・自衛隊の能天気なサイバーリテラシー
・電子書籍事情はどんなかな?

********************************************************************
サイバーリテラシー4>目次
・頭ん中、整理
・何でも端末の時代かな?
・「新経連」のお手並み拝見
・クラウド利用の潮目
・北朝鮮のサイバー攻撃
・手元不如意の電子商取引(工事中)
・サイバーテロ対策はどうなっているか?
・池上彰の新聞勉強術
・過激化するサイバー犯罪
********************************************************************
サイバーリテラシー3>目次
・Anonymousは正義漢or悪漢?
・オーストラリアのウォークリー賞に拍手
・中国版ツイッター「微博」の終焉(工事中)
・衆参議員にサイバー攻撃
・ウィキリークスの衝撃
・日本人ハッカー養成はどうなっているんだ!?

********************************************************************
サイバーリテラシー2>目次
・衆参議員にサイバー攻撃
・衆院にサイバー攻撃
・中華の「ネット攻撃システム」
・次世代インターネットの経済学
・クラウドの危険性

********************************************************************
サイバーリテラシー1>目次
・グーグルを攻撃するのはお門違いでしょう
・「南無八幡大菩薩」
・貧乏人はUSBワンセグチューナーを買って
・モバイルノートか?スマートフォンか?2
・ブログランキングに掛けてみた
・デジタルネイティブ
・グーグル八分とは?
・ブログあれこれ
・お奨めオープンソース
・お奨め情報サイト(有料)
・ブログで画像発信
・ITマルチキャスト
・ブリタニカ評
・サイバーリテラシーとは?
・個人が編集者
・楽天日記とは?
・現代の徒然草
・ラッキョウの皮むき
・宮台さんのメディア・リテラシー
・メディア漬けの子供たち
・本とコンピュータ
・著作権について
・青空文庫の提案
・反グローバリゼーション派のリテラシイ
・TCP/IPとは?

ウィキペディア日本語版 管理者インタビュー
Wikipedia創始者Jimmy Wales氏日本記者会見



<私はTwitterを選び、Twitterで世界を変えていく

フェイスブックが嫌いな大使だが、Twitterは別やでぇ♪

2/14「選ぶべきは、一緒に働きたい人がいる組織」私はTwitterを選び、Twitterで世界を変えていくより
 リアルタイムに世界で起こっている出来事や、興味・関心のある事柄と世界中の人々を140文字でつなぐTwitter。ときに社会を大きく変える原動力となり、ときに人々を支えるライフラインとなる。そんなTwitterの日本法人を率いる近藤氏に、同社へ参画したきっかけやキャリア形成についての考え方、同社が求める人材についてお話を伺った。

<ダライ・ラマとの出会いが、働き方を変えた>
南:キャリアを重ねる上で、大切にされていることを教えていただけますか?

近藤:それは、「世の中にあるさまざまな課題を解決できる場所に居たい」という想いです。せっかくこの世に生まれて、何かに貢献できるチャンスがあるのだから、世の中を改善するために貢献できたと思える場所に居たいと考えています。

南:なるほど。解決したい課題は、どういった着眼点で選ばれているのでしょうか。

近藤:課題はシンプルに考えていますが、自分の身の周りで起こっている事象が多いかもしれません。少し話はそれますが、今から十数年前、ダライ・ラマにお目にかかる機会があり、「仕事とは何か」について話したことがありました。

南:ダライ・ラマにお会いしたんですね!

近藤:そうなんです。彼からは「もっと真剣に仕事をしなさい」って言われて。当時、真剣に仕事をしていたのに、どういうことだろうって思いました。

南:どういう意図だったんですか?

近藤:詳しく聞くと、「世の中には苦しんでいる人や悲しんでいる人がたくさんいる。一見豊かな人でもいろんな悩みや課題を抱えている。そういう人たちに心を向けて一心に尽くすのが仕事だ」と言われました。これがきっかけとなり、世の中の課題を解決したいとより強く思うようになりましたね。

南:そのときの会話はTwitter Japanにジョインするきっかけにもなったのですか?

近藤:はい、その通りです。

近藤正晃ジェームス
Twitter Japan株式会社代表取締役会長。慶応義塾大学経済学部卒業。ハーバード大学経営大学院修士号を取得。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て2011年4月より現職。2005年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。一橋大学大学院国際企業戦略研究科の客員教授も務める。




<つながりすぎ社会を生きる>
「個であるために断ち切ろう」と説く千葉雅也さんが、ええでぇ♪


つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さんより
 電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

【接続過剰とは?】
 ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

 千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とはそういう意味です。

 接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。

 SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、これが難しい。適度に放っておかれるというのは、互いの自律性を確保することを意味しますが、どんどん難しくなっている。接続過剰でも、切断過剰(引きこもり、見捨てること)でもない共生の術を情報社会においてどう考えるかが問題です。

 今、ネットで発言すると、データベースに保存されるので、消去の操作をしなければ、時につれて「記憶が劣化し忘れられる」ことがありえない。また、拡散した情報を消去して回ることはきわめて困難です。 「接続過剰」なネット社会では、コミュニケーションの形骸化も進んでいます。常に「つながりのアピール」が求められる。メッセージが来れば、できるだけ早く返信する。相手からの返信が遅ければ、嫌われていないかと不安になる。

 最小限でも反応を返すことが「思いやり」として目的化し、形骸化する。以前の携帯メールもそうでしたが、SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、ほとんど依存症のような状態を広げています。

 浅田 「接続過剰」な社会では「無視」が許されない。店の冷蔵庫でアルバイトが寝転がった写真がネット上で公開されて「炎上」する「バカッター問題」でも、無視すればいいのに、企業がネット上の批判を配慮して本人を解雇し、さらに損害賠償を求めるなんてことが起きる。昔なら「バカだな」ですんだ冗談なのに。

【情報社会の変化】
 千葉 こうした状況下で僕は、個であるための「切断」の哲学を考えていますが、これは、浅田さんが1980年代に主張した「逃走」論をふまえてのことです。「逃走」は、フランスの哲学者ドゥルーズの言葉で、「漏れてしまう」とか「落ちこぼれる」といった意味もありますね。

 浅田 30年前、『構造と力』や『逃走論』で提案したのは、学校や企業にせよ、反体制セクトにせよ、一丸となって前進しようとする、そういうパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」でした。逃げた後で横につながればいい、と。

 千葉 80、90年代には、横の多様なつながりの方へ逃走するという希望があった。

 浅田 そのころはやっと使いものになるパソコンが出てきた時代です(マッキントッシュの発売が84年)。他方、ウィンドウズ95が出た95年が、インターネット普及の画期でしょう。それによって、実際に個人が横につながる可能性が広がった。98年に発表された東浩紀さんの『存在論的、郵便的』は、デリダの思想を「誤配」という鍵概念に注目して論じた本ですが、背景にはネットのもたらす新しい接続の可能性への期待も見て取れます。

 ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて忘れられたはずの問題発言さえ事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている。そこまで発達したネットが、千葉さんの言う「接続過剰」の病理を生むばかりか、アメリカ国家安全保障局の契約職員だったエドワード・スノーデンが暴露したように、当局が望めば裏からすべてを見られる65億総監視社会を招来しつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御すればよくなったわけです。

 千葉 ネットによって実質化された横へのつながりは、旧来のヒエラルキー(縦の権力構造)をかいくぐって広がるという意味で解放的であるけれども、今日では、その横へのつながりによって監視社会がグローバル化するに至っている。「縦から横へ」というフラット化は、抑圧的にもなる。ですから僕は、「逃走」の行方であったはずの横へのつながりが、今や過剰化してしまった状況から、部分的に「切断」されることが必要だ、と強調しています。

 浅田 「逃走」というのは縦の統合からも横の連結からも逃れることなので、大きくはそこに含まれると思うけれど、「切断」の必要については同意見ですね。

【仁義なき優等生社会】
 千葉 東さんが言う「誤配」には、メッセージが「届かないかもしれない」と「間違ったところに届く」という二つの意味がありました。ネット社会の高度化によって、後者ばかりが全面化し、何でもかんでも文字通りに蒸し返され、毎日あちこちで「炎上」している。

 深刻なのは、ことの重要性の程度を判断できなくなっていることです。バカッター問題にしても、どうでもいいことですよ。熟慮するべき問題は他にたくさんある。重要性の程度を判断する「仁義」が失われている。何でもかんでも可視化されるから、何でもかんでもを「シロ」にしないと気が済まない。これは「仁義なき優等生社会」ですね。いわば「不良」の存在を許さない社会になった。かつて「不良」は、規範から外れても「適度なグレーゾーン」で生き生きしていたのに、今日の「仁義なき優等生社会」では、システムからの単なる「落伍者」にされてしまう。

 接続過剰の状況では、過敏に「道徳」がチェックされていると言える。一方では形骸化した「思いやり」のコミュニケーション、他方では残酷なまでの落伍者の排除という両極端になっている。

 シロかクロかという単純化です。僕は、こうしたことが、かつての消費社会からの変化だと思います。90年代末の若者のコミュニケーションを「毛づくろい的」と評する見方がありましたが、その後のネット社会では、他者への配慮が形骸化し、消費の対象にまでなったかのようです。企業のカスタマーサービスのように、未然にトラブルの種を気にすることが過剰化する。現代哲学で議論されてきた「他者への応答責任」が形骸化されているともいえる。思いやりのサインを消費する社会、道徳の消費社会です。そこからの「切断」について考えたのが、10月に発表したドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』です。

【批評と接続過剰】
 浅田 「接続過剰」な社会では、相手を傷つけてはいけないという予防的な「思いやり」(それは相手に反発されたくないという自己防衛でもある)がコミュニケーションを貧しくしてしまいます。

 そこでは批評が不可能になる。「仲良くけんかしな」というルールの下でほめると同時にけなすのが批評なので、けなすとコミュニケーションが断絶するのでは批評は成り立たない。「壮大な失敗作だ」というのは最高のほめ言葉でもあるのに、そのニュアンスが伝わらなくなる。

 かわって、書店員の書く「ポップ」やネット書店の読者によるレビューが重視されるけれど、それは商品の紹介や消費者の感想であって批評ではない。

 千葉 そもそも批評は、ハラスメンタルなものですからね。

【切断と逃走】
 千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」される、部分的に隠れるということです。

 浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会をやめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーのもとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの伝達を可能にするわけです。

 グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。

【不良の哲学】
 浅田 千葉さんの「切断論」はいわば「不良の思想」であるところが面白い。例えば、デリダの責任論というのは、「責任が取れないことに責任を取る」という思弁的な議論だけれど、それを現実に適用しようとすると、おおむね優等生の生徒会長みたいな議論になる。

 千葉 もっともっと細かく気をつかいましょう、みたいな話。

 浅田 今の「若手論客」と呼ばれる人たちも総じてそんな感じでしょう。ネットを通じて、これまで無視されてきたマイノリティーの声なき声にも耳を傾けよう、うんぬん。

 そもそも、「社会や人間のラディカルな変革を構想する左翼思想はもう古い、問題があればそのつどパッチを当てて処理する部分的社会工学しかない」という前提の上で、たとえば代議制民主主義が十分にマイノリティーの声を反映できないなら、ネットでの絶えざる国民投票で補完していこうといったことを考えるわけですね。

 ちなみに、マルクス=レーニン主義のようなラディカルな外来思想への拝跪を批判し、日本なら日本の「大衆の原像」を重視したのが吉本隆明の思想だったけれど、今それに対応するのが「オタク文化論」で、そういうソフトな大衆文化論がハードな社会工学を補完する形になっている。その「オタク文化論」も、「普通」の異性愛に固執し、フェミニズムや、多様な性のあり方を肯定するクイア(変態)理論からの批判を外来思想として退ける、保守的な側面をもっています。

 もちろん、具体的には部分的情報社会工学でやれることはどんどんやったらいいと思う。しかし、それは哲学や思想の問題ではない。哲学や思想とは、可能な範囲で工夫することではなく、可能な範囲そのものを考え直す過激な試みだったはずだから。

 千葉 優等生的な議論では、他者への配慮と言いながらも、大前提として許容できない何らかの他者を考えないようにしていることが多い。グーグルの社是は「Don’t be evil」ですが、考えたくもない「悪」に対しては、アレルギー反応を持っているような印象があります。

 特定の規範に照らして「悪」と認定されるだろうことも含め、実験的に人間と世界のあらゆる姿を思考することを止めてはならないと思う。マジョリティーの思考パターンを裏切ることを止めてはならない。

 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。

【情報社会の行方】
 浅田 この30年の情報社会の発展を振り返ってみると、「べき乗」(累乗)的とも言える急速な変化にあらためて驚かされる。

 千葉 でも、行われたことは実に単純です。「情報をためる」→「検索できる」ということだけ。

 浅田 まさに量が質に転化したわけですね。

 ただ、そこで成立したネット社会は、「接続過剰」な「監視社会」であると同時に、きわめて不安定な社会でもある。かくいうわれわれも暗証番号一つで自分の財産をネットに託しているわけだけれども、今の暗号だっていつまでもつかわからない。

 千葉 世界がフィクション化されつつあるような感覚です。かつて私たちは、大地の上に立っていたけれども、今では電子の紙の上、必ず痕跡が残される平面の上に立ち、大地が見えにくくなっている。そういう情報社会の底が、突然、がらっと崩壊するかもしれないという不安。

 頻繁に繰り返されるLINEでのメッセージのやりとりは、そんな不安な社会での「祈り」のやりとりのようにも見えてきます。信じてないのに、信じたふりをし続けないといけない。

 浅田 かつてSF作家のJ・Gバラードと話した時に、彼は「社会は一瞬にして変わりうる」と言っていた。その感覚こそがSFの基礎だ、と。幼年期に中国で日本軍による占領と戦争を体験した人ならではの感覚です。その感覚を今のわれわれも必要としているのではないか。

 千葉 最近のフランスの哲学者メイヤスーは、「世界の物理法則は突然、偶然に変化するかもしれない」という過激な主張をしていますが、それもまた、情報社会の不安を反映しているように思えます。根底的に偶然性にさらされているという感覚が、広く共有されている時代です。

 浅田 過剰に接続され、すべての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、一瞬で壊れてしまうかもしれない脆弱性を抱えている。われわれの日々の生活がそんなシステムに依存していることを考えても、「切断」の思想の意味は大きいと思います。




<中華のサイバー攻撃に>
中華のサイバー攻撃に対して、政府は遅ればせながら「ウイルスで反撃」を検討しているようです。
つい最近、検索サイトの百度でも、スパイまがいの動きが見られたが・・・
中華のサイバー攻撃に、追いつかないのが実態のようですね。


12/21サイバー攻撃にウイルスで反撃、政府検討 「防衛隊」を3月発足より
 政府は、他国から政府機関がサイバー攻撃を受けた場合、自衛権を発動して発信源にウイルスを送り込むなどの反撃能力保有の可否について本格的な検討に入った。米国と連携し、巧妙化するサイバー攻撃への抑止力を強化する狙い。来年3月に自衛隊内に「サイバー防衛隊」を発足させ、まずは防御態勢を強化する。政府関係者が21日明らかにした。
 ただ実際に反撃すれば不正アクセス禁止法に抵触する恐れがあり、法的課題を慎重に協議する方針だ。2018年度までに結論を出す。

 17日に閣議決定した中期防衛力整備計画(中期防)は、サイバー攻撃への対応策として「相手方によるサイバー空間の利用を妨げる能力保有の可能性についても視野に入れる」と明記した。




<ラインによるイジメ助長>工事中

小学生がラインにはまって、イジメを助長しているんだそうです。
ミクシイ、フェイスブックが出たときはなんだか嫌な気がしたし、危なっかしい気もしたが…ラインが出たときは、明らかに危険だと思った。

ネットいじめ・学校裏サイト対策・対策の「スクールガーディアン」を読んでみます。



<ウィキペディアにおける“自由”>
毎度お世話になっているウィキペディアである。
だけど、「参照するが、完全に信用できるものではない」とするのが正しい付き合い方なんでしょうね。

ウィキペディアには、自己修正機能とでも言う機能があるのだが…その機能はうまく働いているのか?・・・この記事を読んでみましょう。

12/17「ウィキペディア」における“自由”の意味より
 世界の普通の人々が集まって百科事典が作れるなどと、誰が想像しただろうか。インターネット上の百科事典であるウィキペディアは、デジタル時代の知識のあり方と希望を具現化した存在だ。それを創設したのが、ジミー・ウェールズである。

 ウィキペディアが生まれたのは、2001年のこと。ウィキという共同作業を可能にするインターネット上のシステムを用いて、世界中の人々が寄稿し、編集し、意見や、時には議論を戦わせながら百科事典を作っていく。そのアイデアは、思っていたよりもずっと速く人々に受け入れられていった。

 現在、ウィキペディアでは287言語による3000万もの項目がアクセス可能になっている。インターネットの利用者ならば、誰でもウィキペディアを使ったことがあるだろう。知らない人名、地名、歴史、事件など、何でもウィキペディアで検索すれば、さまざまな資料を基に共同で書かれた解説を目にすることができる。すべて、編集者と呼ばれるボランティアの寄稿者らが書いたものだ。

<アダルト向けサイト運営時に着想>
 実はウェールズがこのインターネット百科事典を思いついたのは、アダルト向けウェブサイトを運営しているときだった。大学を卒業してから、数年間、シカゴで先物トレーダーとして仕事をしている間に、ウェールズはインターネットの魅力に取りつかれた。ある程度の資産を手にした後、友人らとボーミスというサイトをスタート。これは今ひとつ商売としてはうまくいかなかったが、その間にウェールズはインターネットに何ができるのかという探索を深めていったのだ。

 小さい頃から百科事典を繰るのが好きで、知識の世界に関心があったウェールズは、ウィキペディアに先立って、類似したインターネット百科事典を作っている。ヌーペディアと呼ばれるこの最初のサイトは、人々の寄稿した内容を専門家が査読するというプロセスがあった。高いレベルを保つための仕組みだったが、時間がかかるうえ、まるで試験のような専門家の査読に躊躇する人々が多く、それほど発展しなかったという経緯がある。寄稿者を博士号取得者に限っていたこともバリアとなった。

 ところが、誰でもが寄稿でき、それをまた誰でもが編集できるというプロセス、そしてそれがオープンな状態で公開されるという仕組みが導入されたウィキペディア は、話題と人気を呼び、今や8万人を超えるボランティアがコミュニティを作るほどに拡大を遂げた。

 何よりも、多くの人手のかかった知識の集積に一瞬にしてアクセスできるのは、本当にありがたい。ウィキペディアが、インターネットのアクセスランキングでほぼつねに10位以内を保持するほどの人気サイトであることも、十分にうなずけることなのだ。

<「完全に信頼してはいけない」>
 ただし、ウェールズはウィキペディアを完全に信頼してはいけないと、こんなふうに言っている。「ウィキペディアだけを情報源として使うのは、お勧めできない。いや、もっと言えば、何であっても、それひとつだけを情報源にするのはよくない」。

 ウィキペディアは知識への探索をスタートするのにいい場所で、どう課題にアプローチすればいいのかを知るためのヒントが、そこにはたくさんある。しかし、普通の人々が寄稿しているのだから、間違いもあれば、意見の違いから公平に記述されていないこともありうるということだ。ほかの多くの資料も参考にしなければならない。その意味では、ウィキペディア は現代のインターネットとのつき合い方の基本、そのものを教えてくれる存在と言ってもいいだろう。

 ウェールズは、1966年にアラバマ州に生まれた。父は食品店のマネジャー、母は教師だった。小さい頃から読書が好きで、高校も16歳で卒業してしまった。大学院で金融学の博士号に進んだが、博士号を取る前に金融会社に就職を決めた。

 ウィキペディアは当初、ボーミスの資金で運営されていたが、現在はウィキメディア財団というNPOに移り、ほかの財団の支援や個人の寄付金で賄われている。インターネット・サイトと言えば、通常は広告が主な収入源なのだが、ウィキペディアのボランティア編集者たちはそれを拒んで、何ものにも影響を受けない中立性を守ろうとしてきた。政府や企業に左右されない、自由な存在。ウィキペディアはある種のユートピアでもあるのだ。
<ウィキ独特の、運営方針>
 現在、ウェールズは日常的な運営からは離れ、さまざまな場所でインターネット上の言論の自由を語るなど、大きな意味でウィキペディアを支えるシンボルとなっている。しかし、これまでウィキペディア構築のために盛り込んできた仕組みは、ウェールズの力によるところが大きい。

 たとえば、寄稿する編集者たちの間で意見が合わなかった際の調停の方法は、何段階にもわたって設定され、民主的な方法で相互了解が得られる可能性を重視している。また、運営方法はコミュニティが積極的に参加して決定する。

 ウィキペディアのテクノロジーやコンテンツもオープンにして再利用を可能にし、より幅広く開かれるような基盤を築いている。コミュニティの人々は「性善である」という信頼をウェールズは持っているという。そんな信頼が、ウィキペディアという前代未聞のプロジェクトを成り立たせているのだろう。

<創業者自ら、ルールを破るものの……>
 とは言え、ウェールズに対する批判がないわけではない。彼は認めないが、もうひとり共同創設者とされるべき人物がいるというのは、よく知られた話だ。その人物が、最初にウィキの仕組みを百科事典に使えるとウェールズに教え、ウィキペディアという命名をしたのだった。

 また、自分に関する項目に自ら手を加えてはならないというのがウィキペディアのルールだが、ウェールズはウィキペディア創設に関する記述を自分で書き直したとされている。だが、面白いのは、そんな書き直しの記録や、書き直したという記述までが、今やウィキペディアの「ジミー・ウェールズ」の項目には含まれている点である。知識を得る際の透明性がどれほど重要なのか。それをウィキペディアは体現している。

「地球の誰もが、全人類の知識を集めた宝庫へアクセスできる。それがウィキペディアだ」(ウェールズ)。

 もしNPOに託されなければ、今やウィキペディアの価値は50億ドルに上ると言われる。壮大な人類の実験を皆のものとして世界に手渡したウェールズは、それだけでも現代的リーダーと言えるのだ。



<インターネット界の「図書館」とは>工事中



12/4インターネット界の「図書館」はどこへ行く?より
今までわれわれは、町の図書館をよく利用してきた。図書館には、無数の書籍や雑誌がある。必要とあれば、別の図書館から本を取り寄せたりもしてくれる。自分が望みさえすれば、無限の知識世界にアクセスできる場所が図書館だった。図書館は人々のために運営されてきたのだ。

デジタル・テクノロジーやインターネットの時代になって、われわれはコンピュータやモバイル機器を手にするようになり、居ながらにして知識にアクセスできるようになったと思っている。ところが、ケールはこれに危機感を覚えているのだ。

かつてのようにパブリックな図書館と違って、現在の知識はテクノロジーを持つ企業によってアクセスが提供されている。グーグルの検索エンジンを使ってウェブの中を探したり、ヤフーのニュースで時事問題を知ったりする。

今は何の問題もないように見えるのだが、営利目的で活動する企業は、必要とあらば、完全にパブリックの利のために機能しなくても構わない。だからこそ知識は、そうした状況から独立した場所に確保しておかなければならないというのが、ケールの思いなのだ。最初は私財を投じて、そして今は自分の多くの時間を使って、インターネット・アーカイブに取り込んでいるのは、そのためなのである。

<18歳までに芽生えた「壮大な目標」>
実は、ケールは営利事業でも大きな成功を収めた人物だ。マサチューセッツ工科大学を卒業したケールが1992年に創設した会社ワイス(Wais)は、インターネットに接続し、それを通じてデータベースを検索するように考えられた最初の仕組みで、出版社や新聞社などに利用された。ワイスは1995年にAOLに買収されたが、その買収額は1300万ドルと言われている。

その後、ケールが創設したのはアレクサ(Alexa)という会社。これは、ウェブ利用を追跡できる技術を開発した会社で、サイトのラインキングなどにも使われている。アレクサは1999年にアマゾンに買収されたが、その額は2億5000万ドルだった。

ケールはテクノロジーおたくで、世界で求められる技術に関する先見の明を持つ人物。それと同時に、ごく普通の人々が自由を束縛されることなく、あらゆる知識にアクセスできるよう守られなければならないと訴えるアクティビストでもあるのだ。

彼は、幼い頃からコンピュータいじりが好きだったが、18歳のときにはすでに自由、プライバシー、知識といったことに対する意識を芽生えさせていたようだ。誰かに、「将来どんなことをしたいのか」と問われて、「電話で通話のプライバシーを守れるようなチップを開発したい」とか、「アレキサンドリア図書館のような電子の知の殿堂を作りたい」と答えていた。そのひとつが、ケールのライフワークになったのだ。

<グーグルとの決定的な違い>
さて今、インターネット・アーカイブのサイトに行くと、過去のウェブ・ページが3680万ページも保存され、多様なビデオが約150万本集められ、コンサートなどライブ音楽の録音が12万イベント以上集まっている。

この中には、コンサート中に観客が録音することを止めなかったバンド、グレートフル・デッドのコンサートをファンが録音した9000本も含まれている。アーカイブのために膨大な数のサーバーを自前で抱えている。

書籍についても、自社でスキャナーを多数保有し、時には図書館へ出掛けるなどして、トラックの移動式のスキャナーで世界の本の電子化を進めている。議会図書館などと提携して、古い本のデジタル化を進めているのは有名だ。

同様のことはグーグルも行っているが、グーグルとの違いは高品質のスキャンを行っていることと、電子データを図書館が安く利用できるように努めている点だ。ケールの目的は利益ではない。「すべての知識へ、どこからでも等しくアクセスできること」は、グーグルの社是にも共通しているのだが、ケールはその仕組みにわたるまで、パブリックのための自立したかたちを求めているのだ。

<「人々のため」の新たな挑戦>
ケールは今また、もうひとつの取り組みを始めた。きっかけは、本をスキャンするインターネット・アーカイブのスタッフが、高騰し続けるサンフランシスコの家賃が高くて生活が苦しいと訴えたことだった。非営利組織の給料は高給とは言えないだろうが、テクノロジー関係者が多いサンフランシスコは、普通の人々にとってますます住みにくいところになっている。

彼らに限らず、苦しい生活を強いられている人々は多い。そうした人々の手助けとなるために、ケールは金融業界の経験者と共に、インターネット・アーカイブ信用組合を立ち上げたのだ。相互扶助のかたちで、普通の人々が生活を支え合う方法をこれで探ろうとしている。

「人々のため」。テクノロジーのもうひとつのあり方を、ケールは具現化しているのである。




<Win.XPサポート終了に備えて>工事中


Win.XPサポート終了に伴うセキュリティのリスクより
2014 年 4 月 9 日に迎える Windows XP と Office 2003 のサポート終了はあなたの IT システムに大きなセキュリティ リスクを引き起こし、ひいては経営上の問題まで起こす可能性があります。最新のデスクトップ環境への移行をお勧めします。



<リアルとネットのボーダーレス>

昨今のメディア状況が一覧できて、よくわかりました(礼)

10/16リアルとネットのボーダーレスより
 リアルとネットのボーダーレスのIT社会は自分が主役。活字文化で育った者より生まれたときからのネーティブデジタルの若者にはその境界はないのだろう。小説の虚構と新聞のノンフィクションからテレビやスマホの即時性には適いっこない。

 HP MS インテルのPC三強はグーグル アップル アマゾン フェイスブックの新BIG4のモバイル端末に覇権をとられた。電話カメラゲームカーナビなど分野は拡散して3Dプリンターまでハードばかりでなくアプリのソフトまで定着してきた。

 SNSは小規模で地域限定の個人商店の電子出版社で、ブログでは自己表現、Facebookは実名で同窓会や異業種交流サイト、ツイッターはニックネームで愚痴の連続、ラインはグループ間のイジメのなど自由に楽しめば是幸いなのだが、なんでも光と影はあり気をつけたいところも多い、 なう、、、。



<IT企業が導く「ピカピカの街づくり」>
日経BP社の 「Tech-On!メール」というメルマガからソーシャル・デバイスに関する次のような記事がとどきました。

果たしてIT企業が導く「ピカピカの街づくり」とはどんなだろう?

■“ソーシャル・デバイス”でピカピカの街づくりを
 「The Social Web of Things」というビデオ画像をご存知だろうか。数年前にスウェーデンの通信機器メーカー、エリクソンが制作した、近未来社会のイメージ映像である。いろいろな機器がソーシャル・ネットワーク(SNS)にユーザーとして参加し、特定の人をフォローして、その行動やスケジュールに合わせて生活を支援するというものだ。

 これを支えているのは、もちろん、ICT(情報通信技術)や、センサーをはじめとする電子デバイスである。外からでは見えない部分に多数のセンサーが配備され、そこから収集した情報を自動的に記録したり、その情報をきっかけとして何らかの動作をしたりする。これらは、今の社会に潜んでいる課題を解決し、安心・安全で、より過ごしやすいライフスタイルを実現してくれる「ソーシャル・デバイス」である。いわゆるスマートシティ(以下のURL参照)を支える仕組みでもある。
 http://scw.nikkeibp.co.jp/

 最近話題の自動運転も、ソーシャル・デバイスを活用した代表的な例だ。ほかにも、カメラで人を判別して施錠・解錠するゲートやドア、侵入者があると自動追尾するロボットなど、様々な新しい仕組みが、ソーシャル・デバイスの普及とともに現実のものに近づいている。

 (文字数制限により省略、全文はここ

 社会的な課題解決や、ライフスタイル変革は、もっと幅広い範囲で起こり得る。「生産から輸送、流通段階までの品質管理を徹底する」「天候の変化をタイムリーにとらえて、消費者に喜ばれる商品を的確に店頭に並べる」「顧客に納めた機器の状態を常に遠隔監視し、“壊れない”機器を実現する」といったものだ。必ずしも社会的な課題を解決するものとは限らないが、それぞれの企業の顧客側の視点に立つと、従来とは違う、安心で便利な新しい社会、ライフスタイル、ビジネススタイルが実現されていると見ることができる。

 変革のヒントは、消費者/住民や企業に潜在する不満や不安の声に隠されている。その意味では、ピカピカの街づくりに向けては、業種・業態に関係なく幅広い分野からのアイデアが必要である。自治体、住民、幅広い範囲の企業を含めた、日本のオープンイノベーションが試されることになる。


確かに、ソーシャル・デバイスの活用範囲が拡大していくことは間違いないだろう。
でもね・・・
ソーシャル・ネットワーク(SNS)といえば、LINEにはまってそこから抜け出せない小学生というニュースもあり、必ずしも良いイメージばかりではないわけで・・・・
安っぽい「ピカピカ」という言葉がぴったりしないでもないな~。

国交省のスマートシティ構想を見てみましょう

国交省のスマートシティ構想より
国交省スマートシティ構想は、所管の関係から企業優先であり、当然として貧者というものは視界にいないわけです。

スマート
スマートシティに活用される最新技術概念図


大使のようなアナログ老人にとっては、そんなお節介な街づくりより、もっと他にやることがあるのではないかと、思ったりするのだが(笑)


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック