辛亥革命って

辛亥革命を描いた「1911」という中国映画が昨年公開されたようだが、あんな漢族の宣伝のような映画は見る気がおきないのです。
日本ではわりと評価されている孫文であるが・・・・
孫文の唱えた三民主義すなわち民族・民生・民権はどれ一つとっても、今の中国では実現にほど遠いお題目のようなものである。

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共産中国にとっては迷惑な存在ともいえる孫文が牽引した辛亥革命って、如何なるものだったのか?・・・・知りたいと思うのです。
まず、wikipediaで辛亥革命の予備知識を仕入れて・・・・


wikipedia辛亥革命より
 辛亥革命は、1911年から1912年にかけて、中国で発生した革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。

 清朝が打倒されて古代より続いた君主制が廃止され、共和制国家である中華民国が樹立された。勃発日の10月10日に因んで、「双十革命」「ダブル・テン(Double Ten)」とも称される。また民国革命のなかで辛亥革命は第一革命とされ、袁世ガイに鎮圧された第二革命、さらには護国戦争が第三革命として続く。
 辛亥革命のスローガンは「駆除韃虜、恢復中華、建立民国、平均地権(打倒清朝、回復中華、樹立民国、地権平等)」。

 狭義では、1911年10月10日夜に発生した武昌起義から、1912年2月12日の宣統帝(溥儀)の退位までの期間を指す。広義では、清朝末期からの一連の革命運動から中華民国成立までの、比較的長期間の政治的運動を示す。辛亥革命の理念と成果は、袁世凱を中心とする北洋軍閥により撤回され、地権平等も実現しなかった。この革命はアジアで初の共和制国家を樹立し、古代より続いた君主政の伝統を終わらせ中国の歴史に画期をもたらした。辛亥革命により元号は改められ、民国紀元が採用された。

<新興知識人>
 1900年代、清朝では日本留学熱が高まり、辛亥革命直前には数万人が日本で留学していた。日本で学ぶ留学生の周辺には革命思想が浸透し、1905年の中国同盟会が東京で成立した際には90%以上の会員が日本で学ぶ留学生であった。また日本で軍事教育を受けていた同盟会会員による丈夫団も結成されている。日本留学した学生達は辛亥革命の中で大きな役割を果たし、指導者の孫文を初め、黄興、宋教仁、胡漢民、廖仲ガイ、朱執信、汪精衛等の革命指導者の殆どが日本留学の経験者であった。
 


「王朝から国民国家」という本を図書館で借りたのだが、内モンゴル出身の楊海英さんが辛亥革命についてきつい見方を述べています。

<まえがき:楊海英>p4~16より
 2011年の今年を「辛亥革命100周年」と表現して盛りあがっているところがいくつかあります。日本と台湾、それに中華人民共和国の一部地域です。昨年は私も中華民国台湾に遊学していましたが、「来年は漢人たちが満州人の命を革った(とった)節目のときですね」ともちあげますと、「建国100周年になりますが、さしあたりどうということもありません。中華民国は偏安王朝ですから」と知識人たちは冷静に話していました。偏安王朝とは、たいてい北方民族の契丹人の遼朝や女真人の金朝の圧迫から逃れて、中国大陸の東南僻地に存命をはかった小さな南宋を指します。華やかな内向きの文化をもっていましたが、国防に弱く、やがてモンゴルの元朝に呑みこまれました。
(中略)
 いわゆる「孫文支援」も「大陸浪人の蜂起参加」も個々の日本人の暴走であって、そこには近代化が実現されたばかりの日本の「国家的なビジョン」が欠落していた事実を現しています。というのも、ほぼときを同じくして別の日本人たちは孫文によって追放された満州人の廃帝を支援したり、モンゴル人の独立運動に身を投じたりしていました。国家としての日本は統一的行動がとれずに、のちに南進とか北進とかの議論、海軍と陸軍の争いにまで発展していった結末を想起させてなりません。そして、こちらは完全に想像でしかないですが、国家としての日本が孫文を支援していたら、中国も国をあげて日本を敵視することはしなかったかもしれません。

 日本人が支援した孫文は、日本(りーべん)というマークと同じくらい、共産中国にとっては迷惑な存在です。民族・民生・民権のどれ一つとっても、中華人民共和国では実現にほど遠い空想です。それは、近代的な知識と思想、そしてそれらをあらわす語彙などすべて日本から導入しているがゆえに、みずからを「天下の中心」と尊大に思う人々の心を痛く歪めています。有史いらいずっと教えてやった側から近代化を逆輸入せざるを得なくなった中国人は心理的なバランスが崩れています。ですから、孫文を支援した事実があっても、小日本はずっと「悪」でなければなりません。辛亥革命を過度に首を突っこんだにもかかわらず、正統な評価が得られない日本なのです。こうした歪みは日本側にも心理的なアンバランスをもたらしているようです。
 今日でも日本が度を越して辛亥革命に熱心な姿勢を示しているのは、「教師たる日本」の目の前で、「弟子分のシナ」があらゆる面で遅れているにもかかわらず、日々尊大な態度をとるようになり、GDPも追い抜かれたことへのコンプレックスではないでしょうか。「教師」に感謝しないばかりか、尖閣諸島という師の庭先にまで土足で上がりこんできて草刈りをしているのではないか、と。

 中国大陸と異なり、台湾は近代日本の「良き弟子」と言えましょう。日本経由の人権思想と民主の理念がすっかり定着し、金儲けの面でも国際社会のルールにのっとっています。中国と比べると、台湾の中華民国の対日観は健全なものです。台北市内の「忠烈詞」には日本軍と闘った国民党軍の将校たちが200人以上も祭られていますが、大半は日本留学組です。同窓生同士が戦場でまみえあっていた事実を物語っています。それでも、「以徳報怨」の精神が打ちだせたのは、孫文の正統な後継者たる蒋介石ならではの決断と言えるでしょう。ひるがえって、「抗日の果実」を横取りした中国共産党には道義性がまったく欠けていますから、孫文についても、「師たる日本」についても、黙殺するか悪魔化するか、のどちらかでしょう。歴史を「仮に」という前提で研究するわけにはいきませんが、「もしも」という発想で今日の歴史観を分析する必要はあります。孫文の三民主義が中国大陸で根を下ろせていたら、反日のナショナリズムが吹き荒れることもなかったにちがいありません。
 したがって、台湾の中華民国が大陸に向けて「民主化いまだ実現されず」と批判し、共産中国が海峡の対岸の住民をも「中華民族の大家庭にもどろう」と招いていても、所詮は中国人=漢人同士の内紛劇でしかありません。日本は対岸の火事として見ていればいいでしょう。
 このように考えて、私は「辛亥革命」なんて表現はやはり客観性に欠けているし、その役割を誇大に強調するのにも疑問をもっていまっす。そして、「辛亥革命中心史観」のみで現代史を語っていると、中国とそれ以外の世界の形成が見えてこなくなる危険性があると危惧しています。むしろ「清朝崩壊100周年」のほうが適切であろうと見て、この特集を組むことになりました。
(中略)

 私は1989年春に日本に留学してきましたが、直後に胡耀邦元書記が死去したことで若い学生たちが天安門広場に集まりました。6月4日に人民解放軍が武力で北京を制圧し、血腥い虐殺のシーンがテレビの電波を通じて世界に伝えられていました。そのような「革命時」に、日本の知識人やマスメディアがどのように中国の異変を見ていたかを私は体験しました。乱暴な言い方ですが、100年前の辛亥革命時とさほど変わっていないな、というのが馬場公彦氏の著書と論文を読んだ率直な意見です。くどいようですが、100年の光陰が経ったにもかかわらず、中国を対象とした公論に質的な変化が生じていないことは、隣国の性質が不動のものであることがまざまざと示されたことと同時に、日本も、近代国家として「いまだ成熟せぬ部分」があると言わざるを得ません。
(中略)
 安源炭鉱といえば「偉大な領袖の毛沢東が労働者運動を指導した地」というイメージです。「中国共産党はプロレタリアートにリードされている」とか、「プロレタリアートは共産主義の先鋒」だとかのようなスローガンは宗教信条のように叩きこまれました。
 今日、中国共産党は世界最大の金持ちの地位を獲得できたし、共産党員が最大の搾取階級と化して労働者と農民を抑圧している事実が、「革命いまだ成功せず」の実態をそのままさらけ出しています。
 安源炭鉱の労働者を「日本の買弁も搾取した」という言説が中国にあります。その真偽は別として、現在、中国に進出した日本企業の営利活動は中国共産党の経済的搾取を側面から支えているのも事実です。日中経済関係、少なくとも経済思想も100年のなかで変わっていないのを中国人は「腑に落ちない」と見ているでしょう。だから、彼らはときとして日系企業を襲撃して、政府に対する不満を間接的に吐き出しているのでしょう。もっとも、「愛国無罪」の青年たちのナショナリズムを上手にコントロールできているのも、そこに「都合のいい日本」が存在しているからです。日本は遠い蓬莱にあるのではなく、中国人たちの愛国思想のなかにまで溶けこんでいます。近代化と革命が日本を中国の大地に移植したのです。

 「対岸の火事」を日本は「敏感に見ているだけ」ですみますが、陸続きの満州人とモンゴル人は巻きこまれるので、主役にもなります。私はモンゴル人ですが、モンゴル人や満州人、それにチベット人とウイグル人はそもそも孫文の「駆逐の対象」だったのはれっきとした事実です。辛亥革命の真髄は、韃虜を駆逐して中華を回復することで、元朝を自壊に追いこんで明朝を建てた朱元障の素朴な理念と何ら変わりはないのです。韃虜を駆逐して革命を成功させる。のちに広大な領土と地下資源に垂涎するとまた「五族共和」に舵を切る。政治は無節操なのが常ですが、それにしても中国人政治家の変身ぶりはみごとなものです。
 駆逐する側にだけ焦点が集まる台湾と中国、それに大方の日本ですが、やはり駆逐される側の見方にも視線を転じる必用があるのではないでしょうか。中国人によって駆逐されるまでの満州人とモンゴル人はまちがいなくユーラシアというスケールで政治運営をしていたし、今日においてもその歴史的な遺産は国際関係にも投影されています。一例を挙げますと、ロシアがユーラシア国家として振る舞っていることと、中国が広大な領土を擁するようになったことなど、すべてモンゴル人と満州人がその基礎を創ったからです。言い換えれば、今日の中国人=漢人たちが胸を張って「中国の偉大さ」について熱っぽく語れるのも、じつは自分たちが駆逐した相手の功績を形を変えて宣伝しているにすぎません。(中略)

 清朝の崩壊後に「100年目の鎮魂」の鐘を鳴らすのは、やはり満州帝国の主人公だった満州人と日本人に譲りましょう。モンゴル人の主たる関心は国民国家の再編と再々編にあります。では、なぜ国民国家の再編が必要なのかについても、モンゴル人からの立場を示しておきたいと思います。
 「辛亥革命」という迷惑な出来事に正統性を付与したのは、第2次世界大戦の終了時に大国同士で勝手に交わされた「ヤルタ協定」だ、と私は思います。ドイツ人と朝鮮半島の住民だけでなく、モンゴル人までもが分断されて、複数の異なる国家に暮らさなければならなくなりました。分断民族はほかにもあります。戦後にできた国家内で民族問題が突出して現れているのも、戦後体制が不平等であるからです。
 この不平等な戦後体制が見直され、国民国家の枠組みも今一度再編されるまでのあいだ、寛容と植民地統治の中止を求めたいのです。具体的に言いますと、革命という大義名分のもとで漢民族の優越性を強調しないこと、開発と発展との名目で少数民族地域の地下資源を略奪しないことと、同化などの文化的なジェノサイドを中止することでしょう。
 欧州をさまよっていた共産主義という幽霊が、東遷して「革命」という悪魔に化けてから、東アジアで騒ぎが絶えませんでした。平和裏に国民国家の再編と再々編を期待していますので、悪魔を賛美するキャンペーンの負の影響を心配しながら、この「まえがき」をまとめました。

世界に今も残る分断国家は朝鮮半島のみと思っていたが、モンゴルも分断国家なんですね。チベットの抵抗運動が頻繁に報道されているが、内モンゴルの資源略奪もそうとうに酷いようです。


【王朝から国民国家】
辛亥
楊海英編 、勉誠出版、2011年刊

<「BOOK」データベース>より
辛亥革命は中国史のなかでどのような意義をもち、何を変えたのか。三民主義を唱えた孫文は、現在の中国にとっていかなる存在なのか。その革命を、当時の日本人たちはどのように見ていたのか。革命後、中国は「国民国家」に変貌したといえるのか。そして、私たちの革命イメージのなかで、辛亥革命とそれに続く中国という国家はどのように受容されているのか。辛亥革命から100年。日本、モンゴル、満洲といった周辺の国々の視点に立ち、「革命」の歴史的意義とそれがもたらした功罪を再検討する。

<大使寸評>
中華の民が、最近「1911」という辛亥革命の映画を作ったようだが、「辛亥革命とはそんなに誇れる歴史なのか?」という疑問があって借りた本なんです。
あくまでも、大使の見る目は漢族に対して厳しいのです。

Amazon王朝から国民国家




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