海ゆかば

<海ゆかば>
 この歌は賛美歌がルーツと朝日beが延べているが・・・シンプルでも深いメロディーが、なるほど、賛美歌だなあと思いあたるのです。

 だが、戦後長いあいだタブーのように忌避されてきた歌でもあるわけで・・・
カラオケ大好きの大使であっても、酒の席でこの歌を歌うことはないのです。

朝日beのサブタイトルが「深いところで人を鼓舞した」となっているが・・・
この歌が流れると、思わず「気をつけ」のスイッチが入ってしまう大使である。
大使のツボを突くこの歌が、軍国日本と直結するのがなんともやる瀬ないというか。
いい歌なんですけどね。

海ゆかば

10/20の朝日beの「海ゆかば」を紹介します。

10/20賛美歌がルーツだった 信時潔作曲「海ゆかば」より

海ゆかば みずくかばね
山ゆかば 草むすかばね
大君のへにこそしなめ
かえりみはせじ

 作曲家の信時潔が1937年に作った曲。歌詞は万葉の歌人・大伴家持の作で、代々天皇家に武をもって仕えてきた大伴氏の言い伝えを、家持があらためて歌ったとされる。

 津山藩出身の吉岡は戊辰戦争で官軍として戦い、維新後は外務省に勤務、国交を求めて朝鮮半島の釜山に渡りました。ここでキリスト教に出合い、煩悶の末、信者になり官を辞しました。後半生は各地の教会の牧師を務めました。
 1887年、大阪北教会の牧師の時に、三男の潔が生まれました。昭和の戦争の時代に第2の国歌ともいわれた歌「海ゆかば」の作曲者、信時潔(のぶとききよし)です。

 北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した1937年夏以降、日本は本格的に戦時体制に入った。日本放送協会は国民精神総動員運動の一環として、万葉集から大伴家持の歌を選び、信時潔に作曲を依頼、この年の10月、放送された。
 信時の戦後の回想によると、首相か大臣かの「おえら方」の放送の前に「聴取者の気分を整えるために何か歌がほしい」と依頼されたという。つまり、放送式典のための音楽で、本人も「ごく小さい仕事です」と述べている。
 その楽譜が「国民唱歌」として全国の小学校に配られ、国民統制組織である大政翼賛会が、意識高揚に向け式典などで歌うよう強力に指導した。音楽が国策に利用される時代だった。

 この歌がにわかに「特別扱い」になったのは、潜航艇でハワイの真珠湾をめざした特別攻撃隊の戦死報道(42年3月)で放送されたあたりからだった。
 さらに、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、アッツ島玉砕などの悲劇的なニュースには、この歌がきまって流された。敗色が濃くなるにつれ、この歌はいっそう、鎮魂歌の意味合いが濃くなった。
 「本来の目的と違って、鎮魂歌として歌われたのは、本人も不本意だったようです。この歌は時代の空気にあったのでしょう」と信時の孫で信時潔研究家の信時裕子さんは指摘する。

戦時中、国民学校の校庭で級友を疎開地に送り出すときに歌ったという「わだつみのこえ記念館」館長の高橋武智さん(77)は「ぼくは歌いたくないし、聞きたくもない」とはっきり言う。
「確かに美しい曲だ。だが、人を駆り出す装置だった。軍艦マーチよりも、もっと深いところで、人を鼓舞した。旋律と詞を切り離せる人はいいが、ぼくは切り離せない」

 信時は戦後、公職につかず、ひっそりと暮らした。「海ゆかば」が、結果として若者を戦場にむかわせたことに、自責に似た思いがあった、といわれる。


この歌もうたの旅人シリーズに収めておきます。

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