「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#7

<アホ・バカの語源>
これまでに、アホ・バカ分布図の中心は、京の都であることが証明されたが・・・
アホ・バカの語源は、依然として謎のままであった。
シロウト集団を率いる松本プロデューサーは、語源追求の旅を中国にまで広げたが、この歴史的かつ空間的な広がりが気宇壮大なんですね(アホやで)♪


<「馬家」と「阿呆」の日本文化>p455~459
 「アホ」と「バカ」の語源についての考えを、いよいよ百田君に話す日がやってきた。このふたつの言葉の語源がわからないかぎりアホ・バカ表現研究にも意味が乏しい、自分はこのふたつの言葉にしか興味を持てないといい続けてきた百田君を、果たして満足させることができるだろうか。
 百田君と日沢君のふたりをステーキハウスに誘った。百田君は少年時代、肉というと鯨肉しか食べさせてもらえなかったので、牛肉には異常なあこがれを持っている。日沢君も肥満を気にしながらも、牛肉には目がないのである。
 注文を済ませると、私は天神蔡の夜から始まる「バカ」と「アホ」の語源追求の旅について、懸命に語りだした。

「バカ」は白楽天の風諭詩「君見ずや馬家の宅は尚お猶お存し、宅問題して奉誠園と作す」、ここからきている。奢りたかぶった末に没落した馬さんの家。馬家のようなやつという意味で「バカモノ」が生まれた。つまり「バカ」は本来、人の徳、人としてあるべき精神の美しさについて問いかけた言葉であった。罵倒語として、この言葉が日本を広く覆っている意味は大きい。裏を返せば、日本人は古くから、清廉な人生を生きたいと願い続けてきた、とも考えられるからである。

「アホ」は、もとは中国・江南の「阿呆(アータイまたはアーガイ)」。「呆」という字の意味は「ぼんやり。間の抜けていること」で、この字の頭に親しみの「阿」がついて、「呆ちゃん」つまり「おバカさん」のこと。中国の江南から日明貿易の船でやってきた。
 わがままな奢りへの戒めとしての「馬家」、そしてまるで「惚れ者」や「惚け者」の単純な言いかえのような、「呆ちゃん」こと「阿呆」、どちらも婉曲的で、すでにくり返し見てきたように、いかにも日本人が好みそうな表現である。
 「なるほど、なるほど」
 と百田君は何度も頷きながら、私の長い話を聞き終えた。
 「ついに、やりましたね」
 と、百田君は確信に満ちて言った。
 「ぼくもその考え方で、間違いないと思います。馬家と阿呆の説は『バカ』と『アホ』という言葉の持つ意味の微妙な色合いの違い、なんとなくそれまで納得させてくれそうな気がしますわ」
 「助教授の先生が、僕につき合って飲めないビールを飲んで、こんなこと言うてくれはった。『その説は、いずれ定説として辞書に載るでしょうね』と」
 「おお、すんばらすー」
 と日沢君は喜んでくれた。
 「それにしても、中国の影響力は思った以上に大きかった」
 と、私は改めて説明した。
 「古代から室町末にいたるまで、日本はやはり、中国から圧倒的な影響を受け続けた。もちろん日本固有の言葉も少なくないけれど、地理的分布に大勢を占めるのは中国渡来のもの。馬家・阿呆だけと違う。本地なし・虚仮・安居(鮟鱇)・田蔵田もまた、中国の存在なしにはあり得なかった。それは中国が、世界一の文明大国として君臨していた時代・・・」
 「言葉は、京都から日本を東西に旅したけれど、それ以前に、はるばる中国から、あの東シナ海の波濤を越えて、京に旅してきたというわけですね」
 と、日沢君は感慨深げにつぶやいた。
 「そのとおり。日本人は、この世でいちばん優れた良きものを、中国から巧みに取捨しては吸収し、独自の工夫を施して日本文化を築いていった。つまりこれら京の流行りことば、すなわち日本のアホ・バカ表現は、世界最高の文明と同時代的に直結していた。その結果として成立した『全国アホ・バカ分布図』、これが描く多重の円こそは、日本人の尊い精神文化の年輪でもあった」
 黙って聞いていた百田君は、やがて真剣な表情でこう言った。
 「今までの話を聞いて、ぼくは『アホウ』だけが他の全てと違う、別格の言葉だという気がしてきましたね」
 「たしかに、発音は別にして、これだけが中国・江南の方言をそのまま真似た言葉や」
 「いや、ぼくが言いたいのは、ちょっと違うんです。『阿呆』の『呆』、その一字だけで、すでに意味をなしている。つまり『阿呆』は、ムダをすべて削ぎ落とした表現であるという点なんです」
 「なるほど」
 私は聞き入った。
 「他のアホ・バカ表現は、全部、たとえなんですよ。惚れ者・惚け者と、わざわざ熟語を形成させてぼんやり者にたとえたり、鮟鱇・田蔵田といったように間抜けな動物にたとえる。また、本地なし・虚仮と、中身の空虚さにたとえる。『うとい』や『とろい』などの形容詞は、たとえそのものです。馬家もまさにたとえですよね。つまり、アホ・バカ表現は、すべて理屈なんです」
 「そう。そのとおり」
 「しかし、ただひとつ『阿呆』にだけは理屈がない。『呆』であること、すなわち『間の抜けていること』そのものを一音で示す単純明快さなんです。原始時代から中世にかけて日本人はさまざまなアホ・バカ表現を考えてきた。そして考えに考えつくした果てに、ついに中国から『阿呆』を手に入れて、もうこれ以後、新しい表現を考える必要がなくなったのです。それは『阿呆』こそまさに、何千年もかけて日本人が捜し求めてきた、究極のアホ・バカ表現だったからではないでしょうか!」
 「なるほど、面白いなあ」


【全国アホ・バカ分布考】
アホ
松本修著、新潮社、1996年刊

<「BOOK」データベースより>
大阪はアホ。東京はバカ。境界線はどこ?人気TV番組に寄せられた小さな疑問が全ての発端だった。調査を経るうち、境界という問題を越え、全国のアホ・バカ表現の分布調査という壮大な試みへと発展。各市町村へのローラー作戦、古辞書類の渉猟、そして思索。ホンズナス、ホウケ、ダラ、ダボ…。それらの分布は一体何を意味するのか。知的興奮に満ちた傑作ノンフィクション。

<大使寸評>
番組に依頼した人の着眼がよかったのか、それを採用し追及させた松本修プロデューサーが偉かったのか♪

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ノンフィクション100選★全国アホ・バカ分布考|松本修


全国アホ・バカ分布図
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