金曜の夜、官邸前で

 小熊英二さんがインタビューで「政官財から無視される怒り、再稼動で臨界点に達した」と説いているので、紹介します。
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小熊英二さんへのインタビュー&ルポ <金曜の夜、官邸前で>
(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、7/19朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)

「デモの文化がない」と言われたこの国で、人々が街頭に繰り出し始めた。人々は何に怒り、抗議しているのか。小熊英二・慶応大教授と官邸周辺を歩いた。


Q:日本では人々がデモをしない、といわれてきました。それが大勢参加し始めた。官邸前デモの現場で何に気付かれましたか。
A:若者も老人も子連れの男女がいますが、30~40代で、背広を着ていない男性、子どもを連れていない女性が多い。ひと昔前だったら会社で働いているか、子育てで忙しく、いちばんデモに来なかった年齢層です。非正規雇用が増え、少子化と晩婚化が進んだという産業や社会の構造変化を反映していると思います。

Q:主催者によると毎回10万人以上が来ています。なぜでしょう。
A:20年も経済が停滞し、不満や政治不信がたまっていたところに、原発事故と再稼動で政府への不信が臨界点まで上がった。それで何か起きなかったら、その方がおかしい。それが国際常識ですよ。大使館員らしき外国人や海外メディアが、官邸前に様子を見に来ていましたね。彼らからすれば「アジアの民主化運動」と「鈍感な権威主義体制」の対立に見えても不思議ではない。

 過去数10年この種の大きなデモが起きなかったのは、デモなんて見たことがない、やったこともないというのと、生活や雇用が安定していたからでしょう。今でも反応が鈍いのは、安定雇用層と学生です。最近のデモの呼びかけ人をみると、25歳の介護労働者、31歳の内装労働者といった人々です。普段から生活で感じることがあり、こんな風に政治や経済が動いているのは許せない、と思うのでしょう。

Q:1968年の全共闘の時代とは雰囲気が違いますね。
A:60年安保は組織労働者や学生が中心。68年は基本的には学生だけでした。組織動員意外では、大学生しか自由時間がない時代です。しかし今では、雇用形態や労働時間で自由が利く層が大きく増えた。もちろんそれは、自由だけど飢えて死ぬのも自由だという、マルクスのいう二重の意味での「自由」ですが。
 60年安保は所得倍増計画を打出せば事態は収まった。68年も経済は上昇期で、就職したら運動も終わり。しかし今回は所得倍増計画を打出せない。デモの中心も卒業したら終わりの学生ではない。構造的な不満や政治不信は簡単に収まりません。

Q:人々はどういう思いから参加していると感じますか。
A:もちろん原発事故や放射能への恐れはある。政治が自分たちを無視している、という怒りも大きい。
 「やってみたら楽しい」ということもあるでしょう。同じ思いの人が大勢集まり、久しぶりで合う知人もいる、見知らぬ人と握手もできる、という空間は魅力的です。

Q:抗議に集まっている人々にとって「原発」「再稼動」は何を象徴する存在なのでしょうか。
A:米国のウォール街占拠運動も、高学歴なのに非正規労働という人が多かった。自分をそんな境遇に追い込んだのは何かと考えたとき、怒りがウォール街とワシントン、つまり金融エリートと政府にむかった。エジプトでも、高学歴でフェイスブックもできるのに職がない若者が多く、怒りの対象はムバラク体制でした。
 日本では何か。首相ではない。六本木ヒルズ族でもない。そこに原発事故があって見えてきたのが、政界・官界・財界の複合体だった。我々を無視して決定し、我々の安全を守る気もなく、内輪で既得権を得ている連中だ、と映っているのおでしょう。「再稼動反対」という声には「日本のあり方」全体への抗議が込められていると思います。

Q:官邸前の抗議の「声」を、野田首相は「大きな音だね」と言ったと報じられました。
A:フランス革命のときルイ16世の日記を思い出しました。革命派がバスティーユ牢獄を襲撃した日に、日記に「」と書いていた。彼は狩りにほぼ毎日行っていたので「」という意味なんです。社会の根底が大きく動いているのに、その認識すらなかった。
 政治家も大手新聞の政治部記者も、ある種のムラ社会で動いていると外の世界が目に入らない。ムラ社会に影響を与えない限り、大した問題ではないと思ってしまう。またはすべてムラ社会のフィルターを通して見る。あれは小沢派が仕掛けたものだ、とかね。そういう政治や政治報道は70年代以降の特徴です。

Q:それ以前と何が違いますか。
A:60年代以前なら、国会前で大規模デモがあったら「共産主義の脅威」「体制の危機」だと反応した。ところが70年代半ば以降、政治の安定期に入ると、自民党の派閥の長老を追いかけていれば政治が全部わかる、となった。長老が了解すれば党内も議会も地方議員も、その下の町内会も労組もみんな了解するという社会システムですから。どれも男性しか所属していませんが、女性は夫のいう通り投票するはずだと。
 そんな社会構造はすっかり変わった。従来のやり方では人口の3割程度しか把握できません。浮動層が5割を超える社会になり、これまでの手法は通らない。政官財と大手マスコミ、つまり旧時代の上層部がいちばん変化をわかっていない。

Q:政治や政党が人々の信頼を失ったのはなぜでしょう。
A:戦後日本で築かれた社会体制が限界にきているからです。輸出製造業が引っ張り、男性正社員が安定雇用で家族を養い、国は地方に補助金や公共事業をあてがう。そんな仕組みにノスタルジーを感じる人もいるでしょうが、もう戻りようがない。
 98年から08年にかけ、財政難から公共事業の予算は約半分に減りました。平成の大合併で地方議員も大幅に減らした。自民党が倒れたのは、早く言えばお金が配れなくなったからです。それで民主党政権になったけれども何も変らなかった。

Q:代議制民主主義の仕組みが時代に合わなくなってきているという面もあるのでしょうか。
A:確かにあります。でも、今回の大飯原発再稼動までの動きを見ていると、それ以前の問題ですね。あそこまで不手際だとは思わなかった。現実に対処する能力を失っているとしか思えません。内情を全部公開して、脱原発の具体的日程を示し、廃炉にするものを決め、きちんと審査したものだけ限定的に再稼動するというならまだしも、一部業界の抵抗でそれさえ実行できず、体制全体への不信が高まってしまった。

 再稼動決定の好意的な解釈はそうしないと電力会社が次々に赤字になって、融資した銀行が回収できなくなり金融危機が起きるかもしれない、という理屈です。ただし本当に日本経済全体が危機に陥るかはわからない、という理屈です。東京電力や銀行が経営ミス・投資ミスの責任をとればいいだけだ、という話かもしれない。少なくとも、電力が足りないという理屈は説得力がない。日本全国で関西電力の原発をたった2基動かしただけで後は足りているわけですから。
 代議制の危機を招いているのは政府自身です。デモの人たちは、もはや議員に自分たちを代表して欲しいとは思っていない感じです。ルイ16世に何を期待するでしょうか。国会議員に対しては「来るなら自分でこの場に来たらいい」という人も多いでしょう。

Q:様々な社会組織や枠組みが信頼を失った状態は危ういのでは。
A:安定を失っていることは確かです。それが危険な状態なのか。変化のチャンスなのかは対応しだいです。しかしいやが応でも変っていくと思う。今さら一億総中流社会に戻れるはずがないがないでしょう。ただどんな風に変っていくかは、まだ誰にも見えていないと思いますよ。

Q:もう、どこにも票を投じる政党がない、という人が大勢います。無党派層はどこに向かいますか。
A:無党派層というのは、政党支持に関してのみの言葉です。官庁も信頼を失った。経団連も、自分の会社の利益しか考えていないのではと思われている。マスコミは報道管制を敷いているのかと思われるぐらい感度が鈍い。だから自分でネットを見る方向に流れているわけです。
 雇用や家族、政治が不安定化して従来の政党が票を集められなくなったときにポピュリストが人気を集めるのは、どこの先進国でも見られる現象です。それと同時にドイツの緑の党のように、新しい政党が伸びるというのも共通する傾向です。

Q:では、今の日本で見え始めてきた新しい潮流とは。
A:この動きがどうなっていくか注目しています。去年の4月から毎月何回か、どこかのデモに参加してきました。担い手も場所も変化していますが、予想以上に続いていて、もう一過性のブームの域を超えている。60年安保が一番盛り上がったのは1ヶ月、パリ5月革命は2ヶ月くらいでした。ブームなら半年以上は続きません。官邸前が収まっても、またどこかで出てくるでしょう。

Q:でも、政治家はなめているのではないですか。
A:それが危機を深めていまうね。自由参加のデモに踏み切る人が一人いれば、背景には100人いると思った方がいい。東京だけで10万人集まったらどういうことか。
 3.11以降、国民の政治的リテラシーは相当上がったはずです。デモができる社会になり、政治参加がやれるという意識を持つ人が増えるのは、民主主義にとっていいことです。それを力で抑えこめた例は、89年の中国などがありますが、やはり経済が伸びていた。いまの日本でたとえ力で押さえ込んでも、不満は別の形で出てきます。

Q:新しい時代に入ったと?
A:そう思います。第1の戦後は55年までの戦後の混乱期。第2の戦後は冷戦が終わる91年までで、経済成長の時代。その後の第3の戦後は、経済成長の時期にできた仕組みから撤退できず、カネを配って無理やり維持してきた時代です。その限界線に来たということでしょう。
 70~80年代が、日本がユニークな時代だったわけですよ。経済は好調、雇用も安定、社会運動は沈滞、政治は派閥争いばかりの三流でも大丈夫。不思議な国だ、と言われていた。それが全部なりたたなくなる。失業が増え、格差も開き、社会運動も出てくる。そんな普通の国になっていくのだと思います。それで政治が三流で持つでしょうか。

Q:自由な時間をもっている層は価値観もカネではない。変化を感じます。そこが希望でしょうか。
A:この1年あまり、新しくいろいろな活動をしている人に会ってきたのですが、頭が下がります。有能で知識もあるのに、収入は低くて生活は不安定。それでも被災者支援や政府への抗議活動に走り回っている人たちが大勢いる。地の塩だと思いますよ。こんな人たちの声や力を、ちゃんと生かせない社会はよくないと思います。
(聞き手:萩一晶)

 デモではあるが、野田政権に直接「抗議」する行動。デモ行進はしない。狭い歩道が人で埋まると警察は下流で次々に封鎖を始め、参加者はいくつもの固まりに分散させられる。多くの参加者は官邸も見えないはるか遠方で、「再稼動反対」を繰り返す。
 小熊さんは「分散されても負けていない」とうなづく。「中心がある運動は分散すると致命的だが、この運動には中心がない。指導者もいない。それぞれ楽しそうじゃないですか」


ま~なんといっても、日本を診る小熊さんの切り口は鮮やかですね♪
大手メディアの記者は、ツイッターに負けている場合ではないようです。

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