孔子批判6

<孔子批判6>
儒教は体制としては「礼教」という瑣末な形式主義にすぎず、人間を一原理でもって高手小手に縛りあげ、それによって人間の蛮性を抜き、統治しやすくする考え方であると説いているとおり・・・・司馬さんは儒教がかなりお嫌いな様子である。

東アジアの辺境の民としては、中国を抜きにした「アジア辺境連合」を目指すのが、いいのかも?

孔子学院
儒教とは帝国の御用ドグマとまで言っている司馬さんは、儒教がそうとうにお嫌いな様子である。

・少数民族ニュース3
・良くも悪くも中国人は嘘をつく
・「難治の国」あるいは「20世紀の迷惑」
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孔子批判5>目次
・少数民族ニュース2
・「日本と道教文化」
・中国の「治安維持費」
・中国の北朝鮮ミサイル支援に対するメディアの対応
・中国共産党の尊厳にかかわる事件
・利益集団による集団指導体制(工事中)
・中国嫌い 見っけ♪
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孔子批判4>目次
・中国が中国である限り 真の民主はありえない
・頭を巡るふたつの言葉
・東シナ海ガス田「樫」から炎が見える
・中国の皮算用
・自国の暴力漁船を取り締まってほしい
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孔子批判3>目次
・少数民族ニュース
・自称右派の人権感覚
・ブータンの国民総幸福量
・中国がネパールを呑み込む?
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孔子批判2>目次
・魯迅だったら共産党を憂えるのでは?
・はずかしい「孔子世界平和賞」
・中華の平和度
・中華のレトリック
・一人っ子政策のつけ
・中国政府が孔子思想復活
・日本の山林買い占め
・体制批判が始まった(工事中)
・宦官を導入しなかった日本
・中国とのWin-Winは成り立つか?

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孔子批判1>目次
・昔からチャイナフリーだった
・汚職にまみれた中国高速鉄道事故
・中華の規範
・日本の復興を見つめる中国人
・沙耶可の降伏
・「東方礼儀ノ国」
・孔子批判

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・中国包囲網ニュースを様変わりの人民解放軍2に載せています。
「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
新田環の‘中国’ カテゴリーのアーカイブ
「中国の『核心的利益』をどう解釈するか」
海国防衛ジャーナル



<少数民族ニュース3>工事中
儒教、体制あるいは孔子的なものに弾圧される少数民族が居ると思うので、注視しています。なお、日本も少数民族としてとりあげます。


6/1ラビア・カーディル総裁に聞くウイグルのいまより
<日本、日本人との連帯への決意>
 ラビア総裁は続ける。「今、中国政府が、日本政府や日本の国会議員に対し、世界ウイグル会議を開かせたことへの抗議などを行なっています。これは明らかに日本に対する内政干渉ですよね。私たちはこれまで、米国やヨーロッパでも会議を開いてきましたが、今回の日本に対してのような激しい反応はなかった。なぜこうまで反応するのか? それはおそらく、中国政府が、ウイグル人と日本人が連帯することを恐れているせいだと思います。日本のような、力のある、しかも中国に近い国の国民の多くがウイグルの問題に気付き、中国に対し何かを言い出したら困るということなのでしょう」

 筆者がここで思い起こしたのは、ラビア総裁の実の息子2人が今も獄中にある、という事実である。総裁自身も投獄された経験があるので、中国の刑務所がいかに恐ろしいところであるかは身にしみてわかっているはずだ。今回の北京の「激しい反応」の矛先はそのまま、総裁の息子らへと向かうのではないか?

 「中国政府の激しい反応を見ても、私がここで怯むことはありません。むしろ今回の状況を見てはっきりと決意し直しました。今後、皆さん(日本人)との連帯をいっそう強めていきたい、と。日本における活動を強化することはもちろんのこと、世界中の日本人コミュニティとの連帯を強めていきたいと考えています」
 とラビア総裁は言い切り、冷静な表情のままさらに続ける。

 「2009年のウルムチ事件の後、中国当局は獄中にある私の息子のみならず、孫までもテレビに引っ張り出して、『私の母(祖母)は悪い人だ』と言わせるというようなことをやりました。彼らがどういうことをやるか、はもうわかっています」




<良くも悪くも中国人は嘘をつく>
 権謀術策の中で生き抜いてきた漢族の生き方が、日本の島国根性よりグローバル・スタンダードに近いのは確かではあるが・・・・
経済的関係が無いならば、できるだけ漢族とは付き合わないのが日本人としては幸せなようです。
福島香織さんが説く、(大人としての)漢族との付き合い方を拝聴してみましょう。

7/11良くも悪くも中国人は嘘をつくより
 日本人と中国人はなぜ嫌いあっているのか、という質問を受けた。そこで、私は「よく相互理解の不足だという人がいるが、違うと思う。むしろ日本人が中国を嫌いだと感じる傾向が右肩上がりなのは、中国理解が進んできた結果だ」と答えた。

<嘘は過酷な社会を生き抜く知恵>
 中国人の嘘は悪意の嘘ではない。それは過酷な社会を生き抜く知恵だと言っていい。本当のことを言うとデメリットを被る経験を何度もしてくると反射的に嘘をつく習慣が身に付く。メリットを得るために嘘をつくのは、処世術だ。日本では「嘘つきは泥棒のはじまり」と嘘を戒めるが、大盗賊が王朝を打ち立てる国では、この言葉自体が別の意味を持つだろう。

 処世術としての嘘と言う点では欧米人もなかなかのものだと、外交の内幕などを見ていると感じるのだが、キリスト教国の人々はどこか嘘を負担に感じていて、死ぬ間際に回顧録などで洗いざらい暴露したりする。しかし中国人は墓の中まで嘘を持ってゆく。なぜなら、祖先の不利益は子孫に波及する。あの世の自分たちを祀り救ってくれるのは、子孫であり天上の神ではないのだから、子孫を守るためにも嘘は死んでもつき通す。誠実を通せば相手も誠実に対応してくれるという性善説で生きて来た日本人と、嘘もつき通せば真実という過酷な社会の中国人が同じ場所で仕事をし、暮らせば、確かに軋轢が起きる。信用ならない、という気持ちも出てくる。

 もう一つステレオタイプを承知で中国人の特徴をいえば、自分たちの利益のために衝突を恐れない人たちである。日本人は互いが遠慮して衝突を避け、その間にできる暗黙の緩衝地帯をはさんだ人間関係を構築する。だが中国人は緩衝地帯などお構いなく、衝突するまで相手の利益に食い込んでいく。相手が一歩譲れば、二歩進み、反撃されてやっと進撃を止めるのが中国式の交渉であり、政治であり、人間関係だ。それは尖閣諸島などの領土問題も同じだ。「棚上げしましょう。平和の海にしましょう」と口では言っても、それこそ自分のメリットのためにつく嘘である。

 そういう文化や国民性や習慣の違いを日本人が身を持って体験し始めているからこその、嫌中感情の上昇だと思うので、中国・中国人の国民性が変わらない限り、あるいは日本人の国民性が変わらない限り、日本人の対中感情が大幅に好転する可能性は小さいと思う。

<嫌悪感を丸出しにしてメリットがあるか>
 問題は日本人の中国嫌いかもしれないが、正直、嫌ってもいいのだ。要は嫌悪感を丸出しにして敬遠することが自分自身や日本社会にメリットかデメリットかを考えることだ。当たり前のことだが、メリットがあるならば、不愉快な人間とも正面から向き合って付き合わなければいけない。比較的貧富の差も小さく、教育レベルも価値観も均一的だった日本では、自分と全く違う異質な人間との付き合いに慣れてこなかった。しかし、これからもそうなのかというと、そうじゃないかもしれない。反論もあるだろうが、日本は中国の存在感を無視しては、国際社会で生き残っていけないと私は感じている。

 なにも日本人が中国式の嘘をつく必要はない。でも相手の嘘を見破りながらも素知らぬ顔をして自分の利益を追求する、国際社会を渡っていくための日本人らしい作法を編み出してほしい。意外に真正面からつきあうと、どんな嫌な奴でも尊敬できる部分を見いだしたり、嫌なとこも面白いと感じるようになったりするものだ。私の経験では。




<「難治の国」あるいは「20世紀の迷惑」>
中ロが対シリア協調を確認したそうですね。この2国は過っては共産主義という理念を共有する地域連合であったが、今では人権軽視の地域連合なのか?

シリアや北朝鮮までも容認する中ロとは、「難治の国」と言わざるをえないのだが・・・「難治の国」という言葉は、ちょっと古い本だが「時代の風音」という本に出てくるのです。
 この本で堀田善衛と司馬遼太郎が語る内容は本質をついているだけに、いつまでたっても色褪せません。


【時代の風音】
時代
堀田善衛×司馬遼太郎×宮崎駿著、朝日新聞社、1997年刊

<「BOOK」データベース>より
20世紀とはどんな時代だったのか―。21世紀を「地球人」としていかに生きるべきか―。歴史の潮流の中から「国家」「宗教」、そして「日本人」がどう育ち、どこへ行こうとしているのかを読み解く。それぞれに世界的視野を持ちつつ日本を見つめ続けた三人が語る「未来への教科書」。

<大使寸評>
今は亡きお二人を含め、なかなかの取り合わせである♪ 博識に溢れ、思索も深い鼎談です。この「未来への教科書」を、とりあえず歴史の範疇で並べておきます。

Amazon時代の風音

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この本のエッセンスの一部を紹介します。

<難治の国・ロシア>p12~14
堀田 過去からみても、今後未来においても、この20世紀くらい人をたくさん殺した世紀はないでしょう。この1世紀のあいだで1億人くらい殺しているんじゃないですか。
司馬 1億人は十分に。スターリンによる政治的・思想的殺害だけで2千万人を超えているのですから。殺人ということでは、ソ連は史上最悪の国でした。
 エリツィンらによる“ソ連邦消滅”宣言の、異様なほどの性急さと明快さは、「もう魔物はいなくなった」というロシア人の安堵感の上のみなりたつもので、じつはロシア人にしかわからない、身につまされるような政治的表現でしょう。
 ソ連邦の出現やその後のナチの盛衰を含め、“政治優先、政治がすべて”という迷信を20世紀の人類がもったことと、それらの政治団体(この場合は“国家”)が、思想の普遍性とともに兵器も普遍化したこと。つまり大量殺戮できる兵器を、機関銃にはじまって最後は核に至るまで大量にそろえたこと。そういう一大勢力が、このたびのソ連邦の崩壊でとりあえず消滅したわけです。
堀田 イデオロギーが崩壊したソ連ですが、この国はもともと難治の国ですな。
 ロシア帝国をつくったのはイワン雷帝ですね。このイワン雷帝という人は、二番目の奥さんをイスラムからもらい、1575年と翌年との2年間、帝位をジンギスカンの子孫のモンゴル族に譲ってモスクワから出ていった。
 イスラムとモンゴル族の双方に気を使わねばならぬ、という事態はじつに象徴的で、今日でも実態は変わっていない。ロシア史ではこの譲位を“奇矯なる行為”と捉えているようですが、こういうめんどうなことをしなければならないほどに、あの国はじつに難治の国だ。
宮崎 難治の国、なるほど。

堀田 ソ連邦の崩壊、消滅の過程をみてみると、ゴルバチョフはやはりペレストロイカとグラスノチスで、つまりは最高会議での議決にによって連邦を、というのですが、しかし、昨年までイデオロギー独裁であったので、まだプルーラリズム(複数主義)の用意がない。
 したがって、議論させれば個人攻撃になったり、極端な激論が展開されたりで、まともな政策論ができない。それで業を煮やしたエリツィンは、国民にも議会にもいっさい相談なしで、ウクライナとベラルーシとのスラブ系三共和国だけで秘密会議をベラルーシのブレストでして、ソ連邦の解体を宣言し(1991年12月8日)、議会に事後承諾を求めた。
 ペレストロイカとグラスノチスで始まったものが、再びもとの旧ソ連共産党のやり方そっくりな事後承諾、陰謀めいたボスたちの秘密会議で幕を閉じました。

司馬 ロシア史というものに、政治、経済、文化の成熟はありませんね。各エポックごとに未熟でした。中途半端ばかりでレーニンの改革になった。
 遊牧民のモンゴル族がロシアからポーランド、ハンガリーまでの草原地帯をローラーをかけるように行き来して、自分たちの土地だと思っていたわけでしょう。そこへロシアの農民が少しずつやってきて耕作をはじめたのが、遊牧民にとって邪魔でしょうがなかった。だからキプチャク汗国が、そこへ覆いかぶさって税金を過酷にとった。いわゆる“タタールのくびき”がはじまり、いつまでも観念のうえでは残っていますな。
 つまりキプチャク汗国がそうであったように、貢(ヤサク)をとる官僚は偉い、むろん貴族は偉い、あとの大多数はロシア農奴だ。この図式はロマノフ王朝になっても変らず、ソ連69年間、少ししか変っていない。
 いまその図式が消滅して、帝政末期のあの薄弱な商品経済の世に戻ったのですが、その商品経済さえ、いまのロシアの人々の記憶にない。どうするのでしょうか。

堀田 共産党の支配下でいちばんひどかったのは、ヒューマン・ロス。商品がないから行列して並んでいるあいだは、何もできないわけでしょう。考えることもできない。苛立つだけです。
司馬 そのロスは大きかったと思います。20世紀のソ連人は、国家の重作業については、大いに手伝わされた。大砲から核までの重工業、先端技術の兵器工業化、国家行動としてはハンガリーやチェコスロバキアへ戦車部隊を派遣したり、アフガニスタンへの侵攻をやらされたりしたのに、個人としてたとえば個々にいい靴を作って婦人客をよろこばせようとか、交配させてきれいな花を作って商品化しようとかいう方向のやる気を起こした経験がない。
 19世紀のロシアの小説を読んでみると、商売はほとんど出てこないです。官吏や軍人は商人でないし、靴屋はあってもイタリア人やドイツ人がやっている。技巧をつくした靴はヨーロッパから来るものだと思っている。江戸時代の商売の種類の10パーセントもないんです。やはり未成熟のままエリツィン時代を迎えたのです。

堀田 紙、鉄、商店、マガジン・・・、ロシア語のこうした単語は、アラビア語、トルコ語といったイスラム系の言語からの導入です。いずれも重要な言語ばかり。
司馬 それに鉛筆(カランダーシュ)。みなモンゴル経由ですけど。
堀田 文化的にいえば、そもそもロシアよりイスラムのほうがずっと高かった。



<20世紀の迷惑>p16~18
堀田 ロシア革命のとき、農民が二人、レーニンに会いに行った。戻ってきて言うには、「今日はレーニンというツァー(ロシア皇帝の称号)に会った」(笑)という話がありますよ。

司馬 ソ連はわりあい法体系のしっかりした国なのですけれども、しかし共産党というツァーがいるわけです。ツァーは、法から超然、超越した存在です。エリツィンさんにしてもやはり似たようなもので、大統領令をしきりと出す。これも、ソ連共産党がツァーそのものであるという型を、やっぱり示しているのですね。アメリカでは大統領令はそう出しません。
宮崎 もう一つの大国、中国の場合ですが、ウイグルとかチベットが中国領というのは私は信じ難いんですね。征服としか思えないのですけど。
堀田 しかし、困ったことに征服そのものがあの国の歴史の実体なのです。漢族、蒙古族、満州族などの交替征服が歴史を形成している。海外へ華僑として、あるいは難民として大量にどどーと出て行った時期を調べてみますと、交替征服の時期と一致しています。
宮崎 その難治の清をそのまま引きずっている状態の今日の巨大化した中国の姿というのは・・・。

司馬 ロシアと中国の二つの古い帝国が世界のお荷物になりつつあるわけです。しかも、“両帝国 ”ともじつに帝国らしいところは、帝国の固有領土はむろんのこと、帝国たらしめていた“版図”も失いたくない。
 明という漢民族王朝(1368~1644)の時代の版図というのは、だいたいわれわれが納得できるような中国人の住む領土の範囲でした。宮崎さんのおっしゃるように、清という異民族による征服王朝(1616~1912)ができて、征服がお得意の王朝らしく崑崙まで征服し、やがて崑崙からシルクロードの果てまで自分のものにしました。モンゴル、チベットという異域が帝国の版図に入るのは、清王朝のときです。

 その拡大した版図を、国民党政府と毛沢東政権とが相続し、ここからここまではおれのところだという非常に強い線引きがある。寸土を失うことは中国を失うことだ、という迷信ができているわけです。
 大領土国家というのは、科学技術を開発したり社会化したりするうえで、とても間尺に合わない。たらいの水に数滴の水を加えても水位はあがりませんが、試験管ぐらいの小さな容器に加えると、水位があがる。ともかく政治をうまく機能させるうえでも、ほどほどのサイズが必要ですね。

堀田 たしかアダム・スミスだったと思いますが、政治と経済がうまく機能するのは、人口5千万までが限度だと言っていましたよ。

司馬 ドグマで支配するのは大領土国家の一つの型ですよね。中国は、春秋戦国のころは諸子百家の時代で、思想は自由で、国家は思想によって
裏打ちされるということはありませんでした。ところが、秦帝国によってはじめて中国が統一されると、法家の思想でもってすべてを統御せざるをえなくなりました。漢という統一帝国の時代となり、漢の武帝の時代にはじめて儒教が国教になりました。帝国の御用ドグマとして帝国を支配した。
 その儒教の箍がはずれると、毛沢東さんがマルクス・レーニンというドグマを津々浦々まで行き届かさなければならなかった。
 これはロシアも同じで、けっきょくマルクス主義を持たざるをえなかった。大領土国家の一つの型の常です。それがじつに世界の迷惑だった。20世紀の迷惑だった。

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