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zoom RSS 内田先生かく語りき10

<<   作成日時 : 2018/07/09 08:34   >>

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<内田先生かく語りき10>
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。
内田

最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。
(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)

・死刑について
・中国の若者たちよ、マルクスを読もう
・カジノについて
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき2
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき1

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内田先生かく語りき9目次
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき
・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」
・人口減社会に向けて
・時間意識と知性
・Madness of the King
・吉本隆明1967
・大学教育は生き延びられるのか?
・こちらは「サンデー毎日」没原稿
・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り
・米朝戦争のあと(2件)
・気まずい共存について

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内田先生かく語りき8目次
・「愛国的リバタリアン」という怪物
・『日本の覚醒のために』まえがき
・「内田樹の大市民講座・直感はわりと正しい」
・対米従属テクノクラートの哀しみ
・天皇制についてのインタビュー
・朝日新聞のロングインタビュー
・神奈川新聞のインタビュー
・役に立つ学問
・Liberationの記事から
・境界線と死者たちと狐のこと
・大統領が就任したときの日本人
・なぜトランプ政権のスタッフは嘘をつくのか?
・2016年の十大ニュース
・「困難な成熟」韓国語版序文
・『赤旗』インタビューロングヴァージョン
・なぜ安倍政権は勝ち続けるのか?
♪アラスカ
・司馬遼太郎への手紙
・山本七平『日本人と中国人』の没解説
・ルモンドの記事から
(長くなるので省略、全文はここ

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2018/07/08死刑についてより
 死刑については、いくつものレベルの問題があり、軽々に適否を論じることはできない。
 「国家が人を殺す死刑という制度そのものの存否」にかかわる原理的な問いがあり、「死刑は犯罪の予防に有効なのか」という統計的な問いがあり、「被害者遺族の怒りや悲しみはどうすれば癒されるのか」という感情の問題があり、それらが入り組んでいる。
死刑の存否について、「どちらか」に与して、断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。

 死刑は人類の歴史が始まってからずっと人間に取り憑いている「難問」だからである。
 世の中には、答えを出して「一件落着」するよりも、「これは答えることの難しい問いである」とアンダーラインを引いて、ペンディングにしておくことの方が人間社会にとって益することの多いことがある。同意してくれる人が少ないが、「答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている」方が、「答えを得てすっきりする」よりも、知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが存在するのである。

 そういう問いは「喉に刺さった小骨」のように、刺さったままにしておく。そうしているうちに、いつのまにか「小骨」は溶けて、喉を含む身体そのものの滋養となる(ことがある)。

 あらゆる制度は人間が共同的に生きることを支援するために存在する。私はそう考えている。それ以外の説明を思いつかない。
もちろん司法制度もそうである。





2018/4/28中国の若者たちよ、マルクスを読もうより
 日本では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピード、修辞の鮮やかさ、分析の切れ味を玩味し、テクストから読書することの快楽を引き出す「非政治的な読み方」が日本では許されていました。

 マルクスを読むことは日本において久しく「知的成熟の一階梯」だと信じられてきました。人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。

 政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」という推論を行う人がいるかも知れません。けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。




2018/6/14カジノについてより
「目先の銭金」と「先行きの懸念」ではためらわず「先のことは考えずに、目先の銭金を取る」というのが当今の官民あげての風儀である。衆寡敵せず、カジノは反対派を蹴散らしてめでたく建設されることになるだろう。
けれども、それでもいくつもの疑問には答えがないままである。第一の懸念材料は人々が期待するほどカジノは儲からないのではないかというカジノ専門家たちからの意見である。

 カジノはすでに世界的に競争が激化しており、なんとか帳尻が合っているのはラスヴェガスとシンガポールくらいだと言う。ニュージャージー州アトランティックシティは東海岸最大の賭博都市であるが、カジノの収益はここ10年減少し続け、2014年には、2006年当時の5分の1にまで減益し、4つのホテルが閉鎖、12あったカジノのうち5つが閉鎖という。気になるのは、アトランティックシティではカジノの衰退に先んじて街そのものがさびれたことである。カジノ客を当て込んだが、街は早々と「シャッター商店街化」した。それも当然で、「博打を打ちに来る客をいかにしてカジノホテルの外に出さないか」こそがカジノ商売の骨法だからである。

 この客をカジノホテルの外に出さないためのサービスのことを「コンプサービス(complimentary service、原義は「無料、優待、お愛想」)」という。
カジノでばんばん金を使うと、ホテル宿泊料やレストランでの飲食やショーの入場料が無料になったり割引になったりすることである。上客たちはVIPラウンジに招じ入れられ、チェックインカウンターやレストランでの優先待遇を受ける。客たちはそのサービスの質を基準にカジノを選ぶ。





2018年4月3日『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより
 焼け跡から立ち直った1960年代以降の日本人には次は「豊かになる」という目標がありました。さしあたりは「戦前の生活水準を超える」ことが目標でした。「もはや『戦後』ではない」というフレーズを当時の為政者はしばしば口にしましたが、それは国民にとっては「生活レベルが戦前に戻る」ことを意味していました。そして、たしかに60年代の中ごろにその悲願は達成されました。

 その次に日本人が抱いたのは新しいかたちの「夢」でした。それは「アメリカの属国身分から脱して、国家主権を回復する」という「夢」です。ただし、それを公然と言挙げすることはできませんでした。というのは、日本は形式的にはサンフランシスコ講和条約で国家主権を回復したことになっていたからです。

 ただし、それにもかかわらず、米軍は日本国内のどこでも好きな場所に、好きな期間だけ駐留することができ、そのエリアは日本の統治が及ばない治外法権でした。日本は事実上はアメリカの軍事的属国だったのですが、アメリカからの国家主権の回復プログラムは(いわば一種の独立運動ですから)無言のうちに遂行されなければなりませんでした。

 世界中から「エコノミック・アニマル」という蔑称を投げつけられながらも、日本は全国民が一丸となって達成した驚異的な経済成長によって、ついに世界第二位の経済大国となりました。経済力でアメリカに肉迫し、マンハッタンの摩天楼を買い、ハリウッド映画を買うところまでゆきました。バブル期には、アメリカから「国家主権を金で買い戻す」という奇想天外なプランがほとんど実現可能かと思われました。でも、バブル崩壊によって、その夢は潰えます。

 それから後の時代が「失われた20年」と言う風に呼ばれます。いずれ「失われた30年」になり、「失われた40年」になり・・・年数がひたすら加算されてゆくことになるでしょう。





2018/04/03『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより
 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。

 そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。
その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

 率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。
 
「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。


(長くなるので後略、全文はここ

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