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zoom RSS 『アメリカ 暴力の世紀』3

<<   作成日時 : 2018/07/07 22:13   >>

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<『アメリカ 暴力の世紀』3>
図書館に借出し予約していた『アメリカ 暴力の世紀』という本を、およそ半年待ってゲットしたのです。
ジョン・ダワーといえば、日本通の学者として著名であるが・・・
トランプ時代を危惧する日本語版オリジナルの序文とやらが、興味深いのです。


【アメリカ 暴力の世紀】
暴力
ジョン・W.ダワー著、岩波書店、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
第二次大戦および冷戦の覇者、アメリカ。そのアメリカは、どのような経緯で現在の世界の、そして自国の混沌を生み出してしまったのか。大ベストセラー『敗北を抱きしめて』の著者があらたに取り組む、アメリカの暴力の歴史。軍事をめぐる歴史と、テロなどの不安定の連鎖拡大の現状について、簡潔に、かつ深く洞察した。特別の書下ろしとして、トランプ時代を危惧する日本語版オリジナルの序文を付す。

<読む前の大使寸評>
ジョン・ダワーといえば、日本通の学者として著名であるが・・・
トランプ時代を危惧する日本語版オリジナルの序文とやらが、興味深いのです。

<図書館予約:(1/15予約、7/04受取予定)>

rakutenアメリカ 暴力の世紀


核抑止力とか核の脅威(続き)を、見てみましょう。
p34〜37
第3章 冷戦期における核の脅威 
 アメリカの戦略ならびに戦術核兵器の大部分が、ソ連と中国の共産圏を「封じ込め」る重要な手段として、国外に配備された。1978年に国防総省が制作した最高機密研究で、1990年代になって公開された資料では、アメリカ合衆国は、太平洋地域を含む海外の27ヵ所に38種類の核兵器を配備したことが示されている。その27ヵ所のうち、18ヵ所は独立国内であり、9ヵ所が旧アメリカ統治領または現在はアメリカの領有となっている地域である。

 1955年からNATOで配備され始めた核兵器の数は、1960年には3000発、1965年には6000発、そしてピーク時の1971年には7300発に達している。そのほぼ半数がドイツに配備されたが、それらは21の異なった種類の核弾頭であった。

 1954年から1972年までの間に、アメリカ軍は、第二次世界大戦終結時から事実上アメリカ軍占領下にあった沖縄に19種類の核兵器を貯蔵していた。国務省の研究報告書から得られる「太平洋陸揚げ」表は、1963年から1970年までの間に沖縄に持ち込まれた核兵器の数が1000発以上であることを示している。その大半が嘉手納基地に送り込まれている。

 日本の他の地域では、三沢や板付のアメリカ空軍基地に、核分裂物質を取り外した核爆弾が貯蔵されていたし、佐世保や横須賀の主要な海軍基地には核兵器を搭載した戦艦が停泊していた。1956年末の「極東司令部の原爆作戦」と題された機密報告書では、核兵器あるいは核兵器関連部品を貯蔵している場所、あるいは緊急事態や戦争が起きた場合に核兵器を受け取る場所として挙げられた地点が、日本全国で13ヵ所リストアップされている。

 その他の公開済みのアメリカ側資料によると、東京郊外の府中や横須賀の空軍基地、ならびに沖縄の嘉手納基地では、極東地域における核戦争の計画立案が行なわれていたことが明らかとなっている。

 日本が「平和憲法」を保持しており、核兵器が使われた唯一の国であるということから強い反核意識を国民が持っているにもかかわらず、1960年代初期には自衛隊が、核兵器使用を想定したアメリカ軍との合同演習に参加しているのである。

 アメリカ合衆国は、1970年代初期までにアジアからほとんどの核兵器を引き上げたが、日本の港に寄港する核搭載の戦艦は例外とされた。こうした核搭載戦艦の動きに関しては、日本政府はほとんどの場合、情報を持っていることを否定するか無視するかのどちらかの態度をとって、アメリカと共謀する不誠実な政策をとった。
(中略)

 1946年から62年まで、アメリカ合衆国は、マーシャル諸島と太平洋中央部のその他の地域を含むいわゆる太平洋核実験地域で105回にわたる核実験を行なった。ここで行なわれた実験回数はアメリカが実施した全ての核実験の一割にしか当らなかったが、それらの実権の多くが高レベル放射能を拡散する水爆実験であり、爆発規模は特別に大規模なものであった。その結果、太平洋における核実験の核出力の合計は、他の場所でのアメリカ核実験の総核出力を大幅に上回っていた。

 このままでは核爆発の威力がさらに強められるのではないかという不安と、放射性降下物に対して世界中で高まってきた懸念から、1963年には部分的核実験禁止条約(LTBT)が締結された。
 
 禁止条約の内容がその条約名からも一目で分かるように、正式名は「大気圏内・宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約」である。締結に至るまでの交渉の経緯は長くて困難なものであった。交渉開始は、放射性降下物で日本の漁船員を汚染したビキニ環礁における水爆実験、「キャッスル・ブラボー」が行なわれた翌年の1955年にまでさかのぼる。そして最終的な同意にようやく達したのは、米ソ両大国が核戦争勃発の手前までいった1962年のキューバ・ミサイル危機の後であった。

 部分的核実験禁止条約の署名は、アメリカ合衆国、ソヴィエト連邦、それに1952年に核保有国クラブに加わったイギリスの三ヶ国の代表が、モスクワで行なった。1960年と1961年に4回の核実験を行なったフランスは、それから30年後まで署名しなかった。


『アメリカ 暴力の世紀』2:核抑止力とか核の脅威
『アメリカ 暴力の世紀』1:日本語版への序文


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