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<<   作成日時 : 2018/06/09 08:16   >>

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<新聞連載コラムのスクラップ>
朝日新聞に連載されているコラムを、クリアファイルにスクラップしているのだが・・・スクラップは増える一方で、クリエイティブかと問われれば、?がつくのです。

で、厳選あるいは整理する目的で、以下集めてみました。

・池澤夏樹(終わりと始まり)
・三谷幸喜のありふれた生活
・北欧女子オーサの(日本探検)
・小熊英二(論壇時評)
・沢木耕太郎「銀の街から」
・佐伯啓思(異論のすすめ)
・又吉直樹のいつか見る風景
・西加奈子(食べられません):連載終了?
・島田雅彦の居酒屋「まさっち」:連載終了?

池澤夏樹(終わりと始まり)一覧
(三谷幸喜のありふれた生活)一覧
沢木耕太郎「銀の街から」コラム一覧



<(終わりと始まり)漢字の来し方行く末>
大使の新聞スクラップの一つに池澤夏樹さんの(終わりと始まり)シリーズがあるのだが・・・
そこに載っていた「漢字の来し方行く末」がええでぇ♪ということで、紹介します。

坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し、というか・・・とにかく中国で使われる簡体字が嫌いな大使である。
簡体字


2017-2-2(終わりと始まり)漢字の来し方行く末より
 先日、自分が書いている小説の中で、ある男が中国人であることを伝えなければならなくなった。主人公との出会いは一瞬で会話はない。服装や容貌(ようぼう)をしっかり見る暇もない。

 その場に男が書いたメモが落ちていたことにした。「●●●●●(職員駐車場の簡体字表記)」と書いてある。「職員駐車場」の意だが、五字とも中国のいわゆる簡体字。

 アルファベットは世界の広い範囲で使われているが、簡体字の漢字を使うのは中国とシンガポールなどに限られる。
 昨今、日本でもテレビの旅行番組などでこの文字を見かけることは少なくないけれど、我々は使わない。


 文字というものの発明に改めて感心する。声に乗って空中を漂ってすぐに消えるものだった言葉が、粘土や木片や石や紙の上に定着できるようになった。そこで記憶が記録に変わった。

 はじまりは帳簿だったか呪術だったか。公的な用途ばかりで私的な使用が始まるのはずっと後のことだ。

     *
 文字には表音と表意がある。
 人体が声帯と咽喉と口腔で作れる音にはかぎりがあるから、表音文字の数はさほど多くはならない。七、八十もあればまず充分。

 しかし意想の方は無限に多い。だから表意文字はいくらでも増え、どんどん複雑になった。表意文字は文字であると同時にそのまま単語なのだ。


 世界ぜんたいを見て、繁栄した表意文字は漢字だけらしい。中国に生まれた漢字は日本や朝鮮や越南(ベトナム)に伝わり、異なる言語を記述するのに使われた。マヤの文字はマヤ文明と共に消えてしまった。

 文字としては煩雑なので筆などで急いで書く時は細部を略す。しかし公式の文書では一画ずつを丁寧に美しく書く。そこから崩すのは自由だが、基本は楷書。

 その状態が何千年も続いたのに、二十世紀に入ってなぜ漢字の簡略化が図られたのだろう? 知識の大衆化?

 日本は仮名という表音文字も併用してきたから、漢字の数を制限することができたが、中国には漢字しかない。そこで彼らは文字そのものを変えることにした。「廣」という字は複雑すぎるから「广」にしてしまおう。十五画がわずか三画になるが、見た目はすかすか。日本では「広」で、台湾の繁体字は「廣」と昔のまま。

 中国でどんな論議があったかぼくは知らない。政治的なメッセージを書いた大字報(壁新聞)が書きやすいというのが理由だったとも思えない(日本でも学生運動の立て看板には「斗争(とうそう)」のような文字が踊っていた)。

 私用の略字を公用の文字に反映させて文字体系を変えてしまってよかったのか。伝統との断絶ということは考えなかったのか。植字工の作業において、「廣」でも「广」でも活字一本を拾う労力に差はないのだが。

 簡体字が普及した後でコンピュータが登場した。活字の場合と同じでここでも廣と广の間に手間の差はない。もう我々は文字を書くのではなく打ち込む、ないし入力するのだから。


     *
 漢字改革は日本でも行われた。

 戦争に負け、何もわかっていない占領軍の連中が漢字こそが日本の後進性の理由だと誤解したとしても、そんなものは突っぱねればよかった。

 これが中国の場合ほど徹底しなかったのは、中途半端を好む日本人の性格のおかげかもしれない。

 吉行淳之介さんがどこかで、戻るという字は中が犬だから実感があったのに、それが大になってしまってつまらない。と言っていた。手で「戻る」と書いて、犬を書くところで勝手に遊びに行った犬が戻ってくるという情景を人々は一瞬だけ想像した。そもそも、戻と●(戻の大が犬)、一画だけ節約してどんな利があるというのだろう。なんともみみっちい話だ。

 文字を統括するのは度量衡や法律などと同じく権力者の権能である。だから近代の漢字の基準は清朝の最盛期に康熙帝の指示で作られた康熙字典だった。

 文字を改めるのはリスクが多い。朝鮮のハングルはまこと優れた表音文字だが、それだけを用いるか漢字も併用するかで今も議論が続いている。ベトナムは漢字を捨ててアルファベットにしてしまった。ホーチミンが元は胡志明であったことを知る人は少ない。

 ひらかなとカタカナと漢字を使う日本語の表記法は複雑で、習得には手間がかかるが、しかし利点も多い。意味を漢字で表し、発音をふりがなにすると方言などがうまく伝わる。その他さまざまな利用法を駆使して我々はずいぶん豊かな言語生活を送っている。

 歴史はもとに戻せない。コンピュータの出現は予想できなかったとしても、中国は拙速に走って何かを失った気がする。同じことは我が国の仮名遣いについても言えるのだが。


アレ? 楽天が「广」という簡体字を受け付けてくれたなあ…どういう基準になっているんだか?

紙のスクラップとWebデータとで、重複保管になるのだが、ま〜いいか。



2018-6-7(三谷幸喜のありふれた生活:899)ダンゴムシと暮らすより

息子がダンゴムシを拾ってきた。近所の公園で見つけたらしい。彼のダンゴムシの知識は、既に僕のそれを遥(はる)かに凌駕している。こっちは今までの人生で、ダンゴムシについて考えたことはほとんどなく、触るとクルッと丸まる、フナムシに似た生物ということくらいしか知らない。

     *
 和菓子ログイン前の続きが入っていた紙の容器の中で、三匹のダンゴムシがうごめいていた。息子は彼らを飼いたいらしい。図鑑を調べて、ダンゴムシの飼育法について学ぶ。

 まず、空のペットボトル(大)の下三分の一を切り取り、底に土を敷く。
 この土を敷くという作業が、東京に暮らしていると、なかなか難しい。庭がないので、よそから持ってくるしかない。公園の土は勝手に頂くわけにはいかない。二人でさんざん町を探し回ったものの、結局見つからず、家に戻って、駐車場の片隅に食パンくらいの広さの地面を発見、そこの土を少しだけ貰って容器に敷く。

 「ここにコンクリートの塊を置くんだよ」と息子。なんとダンゴムシはコンクリートを食べるらしい。息子によれば、彼らにとってそれは大事な栄養源。近所の工事現場から小さなコンクリの塊を頂いて、土の上に置く。三匹のダンゴムシがこのコンクリを食べ尽くすにはあと五百年くらい掛かりそうだ。

     *
 「次に新鮮な枯れ葉を用意して欲しい」と息子。枯れ始めということだろうか。家の周辺を探して、出来るだけ活きのいい枯れ葉をゲット。コンクリの横に置いてやる。

 これで完成、ダンゴムシの家。彼らを放してやると、嬉しそうに丸まった。枯れ葉とコンクリがあれば餌はいらないというが、さすがに不安で、ニンジンの切れ端を一緒に置いておく。

 深夜。息子は既にダンゴムシを忘れて熟睡していたが、こっちはどうにも落ち着かず、そっと覗きに行く。夜行性なのだろうか。彼らはびっくりするほど活発に容器の中をうろうろしていた。昼間、一匹だけ丸くなったまま微動だにしない奴がいて、死んでしまったのかと不安だったが、そいつも嘘のように元気にうろうろしている。

 触るとすぐ丸くなる。危険を察知するとそうなるのだろうが、彼らがどのタイミングで「危険は去った」と判断するのか、その瞬間を見届けたくなり、しばらく凝視するが、見ている間は絶対に動かず、ちょっと目を離した隙に動き出す。真夜中にダンゴムシとせめぎ合いを繰り広げるも、結局一度もその瞬間を見届けることはなかった。

 翌日の夕方、息子を説得して、彼らを自然に帰してやることに。息子は「春になってから自然に戻すんだよ」と言っていたが、まだ秋にもなっていない。知らない間に逃げ出すんじゃないかとか、イヌたちが容器をひっくり返すんじゃないかとか、ダンゴムシとの共同生活は、思いの外、ストレスが溜まるのである。

     *
 三匹のダンゴムシを、駐車場の片隅の小さな地面に放してやる。彼らは嬉しそうに丸まっていた。

 息子が十匹のダンゴムシを連れ帰ってきたのは、その次の日のことだった。





ゼロ・グラビティより
ゼロ

<無重力、究極の「漂流」を体験:沢木耕太郎>
 偶然、先月に続き、この「ゼロ・グラビティ」もまた、私にヤン・デボンの「スピード」を思い出させることになった。

 それは何と言っても、女主人公がサンドラ・ブロックだったことが大きい。しかも、その女主人公は、「スピード」と同じように、乗り物を操って絶対の危機を脱しようとするのだ。

 ただし、秀れた能力を持つ男性からの指示を受けつつ、彼女がパニックを起こしそうになりながら操るのが、「スピード」のような「乗り合いバス」ではなく、「スペースシャトル」だという違いはあったのだが。

 シャトルの船外に出て、ハッブル望遠鏡の改修作業をしている最中、遠くで爆破された衛星の宇宙ゴミが、連鎖的に他の衛星を破壊しながら近づいてくるという異常事態が発生する。そのため、ヒューストンから、すべての作業を中止して、地球に帰還せよという命令が出る。

 だが、女性で、医学実験をするため乗り込んでいたストーンの一瞬の判断の遅れが、シャトルを危機に陥れてしまう。当のストーンも、凄まじい勢いで飛んできた宇宙ゴミに激突され、自分を繋ぎ留めてくれているアームのコントロールがきかなくなる。なんとかそのアームから離れることができたものの、それは暗黒の宇宙空間にひとり放り出され、漂いつづけるということでしかなかった……。

 そう、これは一種の「漂流記」なのだ。

 しかし、ロビンソン・クルーソーのように海ではなく、空だということが、私たちに言い知れない恐怖をもたらす。なぜなら、海を漂流するということに関しては、その本質的な恐ろしさとは別に、書物や映像、あるいは実際の知見などによって、あるていど想像がつくところがある。荒れ狂う海、照りつける陽光、飢えや渇き、陸地が見えないことの絶望。だが、大海原以上に広大な宇宙空間に放り出された人間にどのようなことが起きるのか、私たちにはほとんど想像がつかない。


アルフォンソ・キュアロン監督、2013年米制作

<観る前の大使寸評>
12/13公開予定の映画だが、これほどネタバレの映画評となっていいのかと、あるブロガーが怒っていたが…
うーむ どうなんでしょうね。 面白そうな映画であることは良くわかりました。

movie.walkerゼロ・グラビティ




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