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zoom RSS 『官賊と幕臣たち』

<<   作成日時 : 2017/11/14 16:25   >>

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<『官賊と幕臣たち』>
図書館で『官賊と幕臣たち』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると著者のスタンスは、ちょっと右がかっているが…
なにやら一貫とした侍としての矜持が感じられるのでおます。


【官賊と幕臣たち】
幕臣

原田伊織著、毎日ワンズ、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
恫喝外交をしかける欧米列強外交団、大英帝国の支援を受けた薩摩・長州のテロリズム、命を賭してわたり合った幕臣官僚たち。日本近代史を覆す衝撃の維新論「明治維新という過ち」待望の第二弾!
【目次】
其の1 鎖国とは何であったか/其の2 オランダの対日貿易独占/其の3 幕府の対外協調路線/其の4 幕末日米通貨戦争/其の5 官と賊/あとがきに代えてー一言以て国を滅ぼすべきもの

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると著者のスタンスは、ちょっと右がかっているが…
なにやら一貫とした侍としての矜持が感じられるのでおます。

rakuten官賊と幕臣たち


鎖国や宣教師たちに関する著者の論調を、見てみましょう。
p28〜32
<宣教師たちの目的> 
 鎖国と聞くと、私ども官軍教育で歴史を叩き込まれた世代は、まず長崎・出島を連想する。国を鎖して海外との一切の交流を絶ってはいたが、唯一長崎・出島のみで細々とオランダと交易していたと教えられたものである。このこと自体は誤りとはいえないが、参勤交代と共に鎖国政策を江戸幕府を支えた二大統治施策であったと教えていたことを思うと、余りにも不十分な説明といわざるを得ない。

 周知の通り、江戸幕府成立以前から、即ち、安土桃山時代から南蛮貿易が行われていた。交易相手は、ポルトガルとスペインであるが、圧倒的にポルトガルとの貿易量が多く、南蛮貿易とはポルトガルとの交易であったとしても実態として間違いではない。

 もともと南蛮という言葉なり概念は漢民族のもので、中華に帰順しない南の未開人を指す蔑称であった。特にヨーロッパ人を指した言葉ではなく、中華思想では北方に住む未開人を北狄、東に住むそれを東夷と呼んだ。中国人(漢民族)からみれば、時代によっては日本人は東夷であったのだ。もっとも、朝貢すればそれはもう夷狄ではなくなる。実に勝手な概念ではあるが、日本人はこの言葉を借用した。

 ところが、我が国では南蛮とゆう言葉をヨーロッパ人に当てはめたのである。何せ島国のこと故、南も海であって、南の海からやってきた野蛮人ということで、狭義にはスペイン人、ポルトガル人を指し、北ヨーロッパのイギリス人やオランダ人に対しては「紅毛」という言葉を使った。
(中略)

 それはともかく、漢民族が南蛮や北狄を純粋に蔑称として用いたのに対し、我が国では直ぐに蔑称というより、異国のもの珍しい文物を意味するニュアンスが強くなった。スペインやポルトガルとの交易、即ち、「南蛮貿易」が始まると、比較的直ぐに「南蛮渡来」という表現が使われたようである。「南蛮渡来」とは、南蛮人、即ち、スペイン人やポルトガル人がもたらした珍しいもののことを指した。後世の「舶来品」と全く同義である。「舶来品」という言葉は、
「そりゃ、舶来品だから高いさ」
 といった具合に、私の20代の頃でも身近に聞くことができた言葉である。

 さて、その南蛮人が初めて日本に来航したのは、1543年とされており、それはポルトガル人であって、彼らが種子島に鉄砲を伝えたということになっているが、これが間違いのない史実かどうかは意外に定かでではないのだ。

 一方、バスク人の宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年に来航し、我が国にキリスト教を伝えたことは定説となっており、大体16世紀の半ばから南蛮人の渡来が始まったと考えておけば、大きな間違いはない。

 では、スペイン人、ポルトガル人、即ち、南蛮人の渡来目的は何であったのか。私どもは、単純にキリスト教の布教であると考えてきた。そのように教えられてきたのである。確かに、先ず渡航してきたのが宣教師たちであるという事実から、それは間違いではない。では、布教だけが、或いは布教と交易だけが目的であったといえば、これはそうだともいい難いのである。何のために布教するのかを考えてみればいい。

 この時代のキリスト教宣教師たちのキリスト教圏外への布教とは、宗教のもつ根源的な善意の教宣意識から発した行動のみではないのだ。結論からいえば、布教の最終目的は布教地の征服であった。征服の形が産業革命と共に「植民地化」という形を採るのだが、要するに民族という枠を無視、または排除して同一宗教化するということである。

 これは、キリスト教という一元思想的な性格をもつ宗教が本質としてもっている膨張主義であると考えることができるが、後世、共産主義という思想が民族、国家の枠を越えて常に対外膨張を志したのも、結局はそれが一元主義的思想に他ならないからであると考えられる。

 その共産主義が宗教を否定してきたことは、茶番ともいえる皮肉な現象であるが、それもまた一元主義ならではの現象であるといえるだろう。勿論、共産主義者がお題目のように唱える「科学的」という思考回路を精緻に分析しないと、私の言い方は単に「乱暴」といわれても仕方がないのだが、一元主義の克服が今日的な課題であることは否定のしようがない。

 16世紀半ば以降、即ち、戦国末期から江戸期にかけて日本でキリスト教布教を展開した中心勢力が、イエズス会であった。
 イエズス会とは、「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれる男子の修道会で、中心的な創立メンバーが騎士たちであったせいか、多分に軍隊的、戦闘的な性格を帯びていた。フランシスコ・ザビエルは、創立メンバーの一人である。


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