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zoom RSS 『シルクロード文明の旅』3

<<   作成日時 : 2017/05/15 00:49   >>

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<『シルクロード文明の旅』3>
図書館で『シルクロード文明の旅』という文庫本を、手にしたのです。
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。


【シルクロード文明の旅】
シルクロード

加藤九祚著、中央公論社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
1989年から92年にかけて、文明の交流を基軸に西は黒海北岸のオデッサから東はサハリンまでを旅した記録。シベリア抑留以後、旧ソ連とアジア諸国を訪れること50回を越える著者の関心はシベリアと中央アジアの歴史、文化にとどまらず、ペレストロイカ末期の社会情勢、人間模様にまで及び、古代から現代に至る「シルクロード文明」を生き生きと描き出している。  

<読む前の大使寸評>
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。

amazonシルクロード文明の旅

m地図

タクラマカン砂漠の南側、西域南道の旅の続きを、見てみましょう。
p287〜350
第四章 青海から西域南道の旅
 以下は、1992年7月29日から8月18日まで、上海と北京を経由し、青海省の西寧から敦煌へ出、アルティン・ター山脈北側のクムダム砂漠を通ってチャルクリクに至り、そこから西域南道のオアシスを経てカシュガルに着くまでの旅に基いて書かれたものである。同行の仲間は27名であった。クムダム砂漠の雄大な景観が今も忘れられない。
 
■ホータン=サカ人について
 まず古代においてこの地に住み、20世紀初頭に考古学者によって発見されるまで、砂中に彼らの言語文献を残したホータン=サカ人についてふれたい誘惑にかられる。以下、旧ソ連の学者L・ゲルチェンベルグの論文「ホータン=サカ語」とM・ウォロビヨワ=デシャトフスカヤの論文「ホータン=サカ人」に基いて紹介しよう。

 ホータン=サカ語は中期ペルシャ語に属する言葉である。ホータン=オアシスのイラン系住民は、ゲルチェンベルグによれば、インドへ移動したサカ人の一部である。

 中央アジアから南方へ移住するとき、彼らの一部はチベットの北縁沿いに東へ向かったものと考えられている。中国資料はホータンの形成が前3世紀であるとつたえている。7世紀中頃ホータンを訪れた玄奨はホータンについて極めて好意的に書いている。

 「俗として礼儀をわきまえ性格は温順で、学芸を習うを好み博く技芸に達している。国がらとして音楽を尊び、人は歌舞を好む。…篤く仏法を尊んでおり、伽藍は百余ヵ所、僧徒は五千余人、みな大乗の教えを学習している」。王性はヴィジャといい、ヴィジャ・サンバワ、ヴィジャ・ジュラ、ヴィジャ・ダルマらが有名である。ホータンはしばしば中国、チベット北方遊牧民などによって侵略されたが、約1000年にわたり独立を保ち得たことは注目される。

 ホータン=サカ語の文献は7-10世紀に書かれた仏教関係のものが大部分をしめる。多くはサンスクリットとプラクリットで書かれた仏典と古代インド文学、教訓書、医術書などで、M・ドレスデンによって目録が作成されている。行政組織、社会経済関係の古文書も含まれており、古代ホータンが自らを語るものとして極めて重要な意義をもっている。

 11世紀のはじめ、ホータンはイスラム教徒のウイグル人によって占領され、仏教文化に結びついていた文字も、ホータン=サカ語そのものも消滅した。ホータン=サカの文字が成立したのは紀元のはじめ頃、仏教の東トルキスタン伝播にともなうものとゲルチェンベルグはのべている。ホータン=サカ語は、他のイラン系言語がわりあい西アジア文化圏と強く結びついているのに対し、仏教文化と密接に関連していることに特徴がある。

 ホータン=サカ語の文書の多くはマザルタグ、ハダルィク、ダンダンウィリク、トゥムシュク、敦煌などで発見され、パリ、ロンドン、ストックホルム、ペテルブルグの図書館、博物館に収蔵されている。少数の文書はデリーと日本の龍谷大学に保管されている。

 ホータン・オアシスに人間が住むようになったのは極めて古く、インド・ヨーロッパ系のサカ人が移住したときにはすでに先住民がいたと考えられている。紀元1000年紀のホータンには、M・ウォロビヨワによれば、いくつものエスニック・グループが住んでいた。最も数の多いのは東イラン語を話すイラン人で、つぎがインド人であった。榎一雄も「コータンの人口の基礎をなしたのは…イラン系の民族であったであろう」と書いている。しかしインド人はホータンの文化と宗教に大きな役割を果たした。8-9世紀にはチベット人が支配権をにぎり、中国人を排除した。チュルク系の人びとがホータンに入りはじめたのは6-7世紀とされている。


『シルクロード文明の旅』1
『シルクロード文明の旅』2

『砂の海』7

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