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zoom RSS 『シルクロード文明の旅』

<<   作成日時 : 2017/05/13 06:15   >>

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<『シルクロード文明の旅』>
図書館で『シルクロード文明の旅』という文庫本を、手にしたのです。
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。


【シルクロード文明の旅】
シルクロード

加藤九祚著、中央公論社、1994年刊

<「BOOK」データベース>より
1989年から92年にかけて、文明の交流を基軸に西は黒海北岸のオデッサから東はサハリンまでを旅した記録。シベリア抑留以後、旧ソ連とアジア諸国を訪れること50回を越える著者の関心はシベリアと中央アジアの歴史、文化にとどまらず、ペレストロイカ末期の社会情勢、人間模様にまで及び、古代から現代に至る「シルクロード文明」を生き生きと描き出している。  

<読む前の大使寸評>
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。

amazonシルクロード文明の旅


m地図

タクラマカン砂漠の北側、西域北道の旅を、見てみましょう。
p197〜203
第三章 西域北道からパミール・ヒンドウクシュの旅
 以下は、1990年8月3日から8月26日まで、上海からウルムチ経由で西域北道を通り、カシュガル、タシュクルガンを経て、フンジュラブ峠を越えてパキスタンに出、ギルギットからヒンドウクシュの山に入り、チトラル、カフィリスタン、スワット、ペシャワルに至る旅行に基いて書かれたものである。

 同行の仲間は22名、大部分は東京、大阪、名古屋、姫路から参加した人たちで、男女は半々であった。

 まず上海からウルムチまでは飛行機、西域北道はバス、カシュガルから先は、帰国のときの空港であるイスラマバードまでジープで移動した。私はこの3年前にもフンジュラブ峠を越えたが、ギルギットからチトラルへ入った。途中2日間は持参のシュラーフを利用する野営であった。

■ウルムチ
 ウルムチは年々発展している都市で、3年前にくらべて、ビルも多く建てられていた。当時建築中であったイスラム教のモスクも、完成していた。私はこの町には、4回訪れたが、ウルムチ博物館は何度見てもあきない。
(中略)

■トウルファン
 8月5日午後、ウルムチからトウルファンへ向かった。トウルファンは今回の「西域北道くるまの旅」の中でも、クチャとともに最も重要なポイントである。

 トウルファンは自然条件が極めてユニークである。海抜5445メートルの天山の巨峰ボグド山とクルクターグという山の間にある鍋底のような盆地で、東西245キロ、南北約75キロ、面積5万147平方キロをしめている。このうち約4050平方キロは海面より低い地域で、その半分は海面下100メートル、最も低いアイディン・クル(湖)は海面下145メートルである。まわりのほとんどがゴビ灘とよばれる礫砂漠で、夏の気温は47.6度に達し、そのときの地表の温度はふつうで70度になるという。

 現地の人びとの間には「」(砂丘では卵を焼くことができ、岩の上ではケーキが焼ける)という言葉があると書かれている。年間の降水量はわずか16ミリ、蒸発量は3000ミリ。それに風が強く、秒速8メートルの風が吹く日が最低30−40日、多い年は60−80日にもなるという。トウルファンの西部にあるトクスンの町は、最も風が強いことで知られている。

火焔山

 トウルファンの「火焔山」は有名である。これは盆地の東西を走る長さ100キロの山脈で、幅は広いところで10キロ、最高点は851メートル。白亜紀と第2紀の砂礫岩層と紅色の泥岩からなっていて、暑い夏の斜陽のもとでは火焔がたちのぼっているように見えるところから、この名がある。

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