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zoom RSS 揺れる中東、100年前の分断

<<   作成日時 : 2016/12/25 23:16   >>

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<揺れる中東、100年前の分断>
 クルド人政治学者、カマラン・マンテック氏がインタビューで「サイクス・ピコ協定」を語っているので、紹介します。
 サイクス・ピコ協定という欺瞞の存在は、映画『アラビアのロレンス』を観た際に知ったのであるが、(はずかしながら)その怖さを実感したのは最近のことでおます。

マンテック
(マンテック氏へのインタビューを12/5デジタル朝日から転記しました)


 中東各国で混乱が続くのはなぜか。その原因を100年前の密約に求める声が絶えない。現在の国境線の枠組みとなった「サイクス・ピコ協定」だ。なかでもクルドの人々は、協定によって居住地を各国に分断された。クルド人政治学者カマラン・マンテック氏に、協定について聞いた。

Q:協定100年の節目をどうとらえていますか。
A:中東は人類の文明が誕生した地だ。東西の結節点でユダヤ、キリスト、イスラムのほかにもさまざまな宗教・宗派や民族などが複雑に絡み合っている。100年という時間軸はこの地では極めて短い。あえてその時間軸で考えるなら、オスマン帝国統治の時代、つまり協定以前の状況に逆戻りする途上と言える。

 イスラム法に基づく統治の是非はさておき、オスマン帝国はさまざまな宗教や民族を包含し、異教徒の共同体による自治もある程度認めた。その意味で、「パックス・オトマニカ」(オスマンによる平和)が担保されていたといえる。

 イラクはオスマン帝国下でモスル、バグダッド、バスラの3州に分かれていた。3州それぞれを別々の新たな国の基盤にすべきだという考えは以前からある。なぜなら1932年に3州がイラク王国として独立しても、国民意識が育たなかったからだ。イラク人という絆よりも、民族や宗教・宗派、部族などへの帰属意識が今なお強い。

 力によってさまざまな勢力を抑えつけていたサダム(フセイン元大統領)がイラク戦争で倒れ、「パンドラの箱」が開いた。今も混乱が続いているのは、そのためだ。

■真の「イラク人」生まれていない
Q:国境線を引き直し、イラクを三つの国に分けるべきですか。
A:民族や宗教・宗派などに基づいた国をつくれば限りなく細分化せざるを得ない。そんなことは非現実的だ。だが、イラク戦争後も内戦が続き、国軍兵士ですら、イラクという国より自身の宗教・宗派や部族への忠誠度が高い。今なお真の「イラク人」は生まれていないと言える。それならば、かつての3州を軸に緩やかな連邦制を模索するのも選択肢だろう。アパルトヘイト(人種隔離)政策を廃止し誕生した新生南アフリカのようにマンデラという傑出したリーダーがいて、人々を統合できる理念を提示できれば話は別だが。

■クルディスタン、紛争なき独立を
Q:イラク北部クルディスタン(クルド人自治区)の独立はどうですか。
A:クルディスタンにおいて、協定はすでに死んでいる。湾岸戦争後、クルディスタン地域政府(KRG)が発足した。連邦制に基づきイラクにとどまっているが、首都バグダッドの政権とは別の道を歩み、「準国家」となっている。

 住民投票で独立の是非を問えば100%近くが賛成するだろう。遅かれ早かれ独立は現実のものとなる。私はもう少し準備に時間をかけるべきだと思う。クルディスタンは石油資源に恵まれているが、財政基盤を盤石にする必要がある。人々に成果を与える独立でなければ意味がない。

 (独立に向けて)隣国のトルコやイラン、バグダッドの政権との良好な関係構築は当然欠かせない。特にトルコは国内にクルド人を多く抱え、神経をとがらせている。だが、トルコとKRGの関係は緊密で石油の輸出は年々増加し、投資も活発だ。イランとの経済関係も強化されている。クルディスタン独立が隣国のプラスになるという展望を示さなくてはいけない。独立が新たな紛争を招いてはいけない。

Q:独立すれば中東全体への影響は大きいです。
A:中東の国境線の多くは、欧州列強の思惑によって力で引かれた。それが不合理・不自然だから多くの国が揺れている。パンドラの箱が開いたのはイラクだけでなく、内戦が続くシリアやイエメン、リビアなどもそうだ。湾岸諸国も石油が尽きれば「箱」が開く可能性がある。そうなったら新たな線引きも含め、各地で国のあり方が突きつけられるかもしれない。時間はかかっても、中東に住む者が主体的に取り組まなければならない課題だ。(アルビル〈イラク北部〉=小森保良)

     *
カマラン・マンテック:1963年、イラク北部アルビル生まれ。政治学博士。アルビルのサラハディーン大学講師。地元メディアなどに政治評論など多数寄稿。

◆キーワード
<サイクス・ピコ協定> 連合国として共に第1次世界大戦を戦っていた英国とフランスが1916年、オスマン帝国が領有する中東地域を分割し、ロシアも加えた3国の勢力圏にすると決めた密約。交渉に当たった英下院議員サイクスと仏外交官ピコの名を冠した。実際の国境線は、その後の交渉や条約などで大きく変更された。


揺れる中東、100年前の分断クルド人政治学者2016.12.5


この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR2に収めておきます。

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