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zoom RSS 『日本の起源』

<<   作成日時 : 2016/11/19 00:11   >>

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<『日本の起源』>
図書館で『日本の起源』という本を、手にしたのです。
與那覇先生の場合、夢のない結論におちつくことが多いのだが・・・
その論理が気になるので借りた次第でおます。


【日本の起源】
起源

東島誠×與那覇潤著、太田出版、2013年刊

<商品の説明>より
古代の天皇誕生から現代の日本社会までを貫く法則とは? 歴史学がたどりついた日本論の最高地点。
いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないのだろう。

<読む前の大使寸評>
與那覇先生の場合、夢のない結論におちつくことが多いのだが・・・
その論理が気になるので借りた次第でおます。

amazon日本の起源


戦後の高度成長期あたりを見てみましょう。(戦後という言葉は死語になるつつあるが)
p295〜300
<日本を変えなかった高度成長と68年>
與那覇:近年ではすっかり、90年代の国民国家論ブームの際には明治にあった近現代史の前線が、戦後に移った感があります。そこで現在性の起源として注目されているのが、「1968年革命が、日本も含めて世界を変えた」といった切り口ですよね。

東島:ウォーラーステインの「1968年革命」説ですか。小熊英二さんの2009年の大著『1968』は、現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの反乱とその失敗から学ぶ、というスタンスですから、「いま」の起源がそこにあるというわけですね。
(中略)

 こう言っては身も蓋もありませんが、歴史は20年サイクルが基本ですからね。最近も、55年体制の終焉した1993年(細川連立内閣の誕生)からほぼ20年後に、安倍自民党内閣へと回帰したわけですが、はるか昔、鎌倉幕府の時代だって、だいたい20年に1回のサイクルで将軍を京都に送還していたわけです。

 つまり「そこで何かっが変わった」と思いたいかどうかにかかわらず、実際にそのサイクルで歴史は動いているし、そうした時間感覚は人々のあいだに経験として幾重にも織り畳まれているわけです。

 ということでまずは1968年ですが、その前提状況はどう捉えておられますか? 

與那覇:当然ながら、まずは60年代の高度成長を理解する必要があります。しばしば農村から都市への「民族大移動」にたとえられるように、高度経済成長は戦国時代に続く日本史上、第二の分水嶺だった。

 たびたび言及した内藤湖南の議論に表現を借りれば、応仁の乱以降に「日本全体の身代の入れ替り」が起こり、武士と百姓という身分が整備され、地元の大名が村ぐるみで保護する代わりに服従を要求するしくみもできた、これが江戸時代を通じて近代まで貫通する。戦前の政友会や1955年の結党直後の自民党は、村のまとめ役だった庄屋さんが地方名望家として党員になって、この「大名」の部分に代議士を座らせただけですから。

 ところが、高度成長がはじまると農村から人口がどんどん都市に出てきて、まさしく身代の総入れ替えがもう一度起きるわけです。そうして、土間のある木造家屋の井戸で水をくむ暮らしが、上下水道完備のコンクリートの集合住宅に変わって、今日のわれわれが知る日常生活がはじまってゆく。

東島:私の言う「衣替えに要する時間」という観点から言うと、社会の転換は政権交代と違って「はい、今日で民主党政権は終りです」というようにはいかず、ものすごく時間がかかるわけです。

 戦国時代の「身代の入れ替り」の場合、1467年の応仁の乱の勃発から数えて、いわゆる「元禄までは中世」だとすると、200年以上のバッファーを保持しながら脱皮した計算になりますが、高度成長にともなう「身代の入れ替り」の起点と終点はどこに置かれますか?

與那覇:のちに見るとおり終点は割りにはっきりしていて、1970年代初頭で間違いないと思います。起点のほうが難しくて、それこそ前章までの伏流だった江戸〜戦前期の「都市化」とつなげて考えることもできなくはない。つまり、高度成長だけを取り出して前時代との断絶を見るというより、より長い歴史の系譜の一コマとして扱うこともできる。

 なぜそう言うかというと、日本の場合は経済成長の局面でも、農村的生活と都市のそれとをなだらかに接続させるバッファーがあったという研究が、近年さかんだからです。ひとつの典型は、『ALWAYS 三丁目の夕日』で堀北真希さんが乗ってくる集団就職列車で、個人バラバラの自己責任で都市部に放り込まれるのではなく、地域や学校が就職先とのあいだを媒介していた。

 就職列車自体は戦後の産物ですが、昨年邦訳が出たアンドルー・ゴードン先生の『日本労使関係史』によると、一般労働者でも地元の学校ぐるみで新卒者を募集するのは、戦時下で国策産業に人的資源を配分するためにはじまった方式です。それまでは職工層では流動的雇用があたりまえで、「新卒一斉採用」されたのは高等教育卒のホワイトカラーだけだった。この意味でも、戦争遂行のために全国民を包摂した共同体が、戦後も生き続けたと言えます。

 いっぽう、もうひとつの典型が「団地」だったというのが、原武史さんの視点です。高度成長が日本をアメリカ化したという通説的なイメージに対して、急増する都市人口の受入先として郊外に大量建設された同質的な団地群は、むしろソ連・東欧など社会主義国の景観に近いという問題提起をされている。なぜそうなるかというと、マイカーの普及が遅くて鉄道頼みだからですね。

 だから地価の安い郊外に増設した大団地に住んでもらって、職場までは猛ラッシュの通勤列車に乗せて儲けるという都市開発が進むわけですが、こうなると団地住民も結束して「運賃値上げ反対」の運動を起こすから、江戸の百姓一揆が村ぐるみで団地に引っ越してきた恰好になる(笑)

 彼らが社会党や共産党を支持して、1963年の飛鳥田市政、67年の美濃部都政と、革新自治体の叢生につながっていった。

 つまり、普通は経済成長によって都市化が進むと農村的な共同性は崩壊に向かうのに、日本の場合は「都市なんだけど、周りのみんなとムラみたいに暮らせる」時代が長く続いた。これは、無秩序な人口流入による途上国的なスラム化を避ける成果もあったのですが、いっぽうで都市の空気も自由にしない、都市のくせに妙に息苦しくてちっとも「都市的」にならない日本社会をかたちづくっている。


なるほど、与那覇先生には「新卒一斉採用」や団地に日本的ムラが見えるのか・・・
厭世的というか、少なくとも、夢があるとはいえないですね。

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