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zoom RSS インタビュー「文化大革命50年」

<<   作成日時 : 2016/09/20 10:33   >>

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<インタビュー「文化大革命50年」>
 米ニュースクール大学客員研究員・徐友漁さんがインタビューで「議論封じられ、いまだ総括できず、似た空気を危惧」と説いているので、紹介します。

なお、インタビュアーは大使が信頼している吉岡桂子編集委員となっています♪

徐友漁
(徐友漁さんへのインタビューを8/31デジタル朝日から転記しました)


中国建国のカリスマ、毛沢東が1966年に発動した文化大革命から50年になる。習近平政権下での個人崇拝に似た動き、トップへの権力集中や言論弾圧の強化に、中国の知識人たちは今なおゆらめく文革の影を危惧している。昨秋北京を離れ、米国の大学に拠点を移した徐友漁(シュイユーユイ)さんにニューヨークで話をきいた。

Q:中国に大きな痛みと禍根を残した文革の悲劇から半世紀になります。
A:歴史的にも社会的にも国家としても、なんら総括できていません。それが問題なのです。文革は中国でいまなお、言論の『禁区』です。中国共産党の規定を外れて発言や出版はできません。文革から50年の今年、中国では議論が封じられているばかりか、知人の学者たちは外国で開かれる国際会議にも参加できない。当局や職場から出国を認めてもらえないのです。私が北京にいたら、取材も受けられなかったでしょう。

Q:どうして、そこまで?
A:中国共産党にとって文革を発動した毛沢東は、もっとも重要な指導者です。党の正統性の否定につながりかねず、徹底的には批判できない。(共産党は)文革に限らず、歴史の間違いを認め、人民に謝ることはしてこなかった。習近平氏は共産党総書記に就任直後、『(トウ小平が進めた)改革開放後の30年の歴史で、その前の30年(文革の10年を含む毛沢東時代)を否定できない』と述べました。驚きました。

Q:文革を総括できていないことが何をもたらしていますか。
A:二つあります。まず、当局によって情報が操作されたまま時間が経つにつれ、文革が美化され、懐かしく思う人も出てくる。貧富の格差や幹部の腐敗など難しい社会問題に直面し、文革のように法を無視した力ずくのやり方ならうまく解決できるのではないか、という期待が消えないことです。

 もうひとつは、こうした期待が、文革をまねた統治を好む政治家を受け入れてしまう社会の土壌となっていることです。

Q:とはいえ、50年前とグローバリゼーションが進んだ現在は、社会環境が大きく異なります。
A:もちろん、同じことが起きるとは思っていません。かつての情報や経済も半ば鎖国だった時代とは違います。しかし、私は現在の中国政治のなかに、文革の流れをくむ負の要素を感じるのです。

 人民大会堂で文革を思い出させるスローガンのもと革命歌をうたうコンサートが開かれたり、習氏のバッジを胸につけて会議に出席したり。個人崇拝や権力をトップに高度に集中させようとする動きがあります。そして、外国との領土問題をめぐる中国の官製メディアの報道を思い出してみて下さい。『政権を転覆しようとする西側帝国主義という敵に包囲されている』などと叫んでいた文革時代の言いぶりに似ている。私的な会食の場で毛批判をした中央テレビの司会者が放送界から姿を消しました。異論を封じ込める、当時に似た空気に恐怖を感じる知識人は、私だけではありません。

     ■     ■
Q:民主化を求めた運動を武力で弾圧した天安門事件から25年の2014年、徐さんは知人の家で開かれた小さな追悼会に参加し、仲間とともに捕らえられ、1カ月拘束されました。その翌年、米国へと出国されたのですね。
A:現在所属する大学は、戦前、ナチスに弾圧されたユダヤ人知識人の亡命を受け入れたことで知られています。ハンナ・アーレントも戦後、教壇に立っていました。私は2年間、滞在するつもりでビザを取得しています。

 拘置所で暴力をふるわれたわけではありませんが、持病が悪化し、体調を崩してしまいました。『騒動挑発』という罪が、具体的に何をさすのか。係官に聞きましたが、答えられない。これは自分たちが気にくわないことをした人を捕まえるときに使う罪名です。法治とは正反対の手法です。腐敗退治の運動のなかで、幹部や財産を持つ経済人も恐怖を感じているでしょう。ルールがないから、今日は大丈夫でも明日は分からない、と。文革の最大の教訓は、法治の尊さだったはずなのですが。

Q:12年に発覚した重慶事件を思い出します。市トップだった薄熙来氏は革命歌をうたったり企業家を捕まえて財産を没収したり。しかし、薄氏の大衆動員型の政治は文革を想起させ、指導部から批判を浴びて失脚しました。
A:そのものとは言いませんが、薄氏の文革的手法がいま、全国に広がったかのようです。最高指導者(習氏)の考えに加えて、彼の意向を周囲が忖度する。そうして、文革的なものが拡大していく状態に陥っています。きちんと歴史を総括しないかぎり、文革の亡霊はこれからも消えない。

 毛は政敵と闘うときに大衆を扇動して味方につけました。公正と平等を掲げて、われこそ官僚特権階級と闘う者だと思わせた。自分がその源となる制度を管理している者でありながら、です。

     ■     ■
Q:しかし、一部の知識人以外に、危機感はあるのでしょうか。文革も天安門事件も多くの人は忘れてしまったかのようです。
A:情報を制限し、ネットの規制も強めているので事実を知らない人も多い。また、天安門事件以降、政治への関心は危険だと考えられている。当分はこうした状況が変わる材料は見当たりません。

 ただ、直視しておかなければならないことがあります。文革は、共産党が言うような毛の誤りにつけこんだ反革命集団の陰謀でもなければ、単純に私たちがだまされていたわけでもない。何億人もの中国人が当初は熱狂的に支持し、結果的に受け入れた政治運動だったのです。

Q:文革の誤りに、いつ気づいたのですか。
A:高校卒業後の19歳のとき、文革が始まりました。父が国民党の軍学校の教員だったことを理由に『反動分子』の子として、最初の数カ月は運動に参加できなかった。毛のバッジを胸につけられず、つらかった。そのうち『血統論』を毛が批判し、加われるようになり、張り切りました。天安門広場に毛主席の謁見にでかけ、誇らしかった。しかし、2年も経たないうちに疑問を持ち始めた。

 私だけではないと思います。政治闘争に利用されていると感じたし、農村へ下放され、貧困を目の当たりにした。餓死者まで出ていて、言われていることと違う、と。農村では監視が弱く、米国など外国のラジオも聴けたし、仲間内で議論もできた。ようやく文革が終わり復活した入試で大学に入り、個人的にも自由や民主の大切さを考えましたし、1980年代には開明的な指導者が力をつけ、中国は変わる、と期待しました。

Q:民主化を求めた天安門事件へとつながっていきますが、武力で弾圧されてしまいました。
A:共産党内にいた開明派は消えて、保守派だけ残った。青年たちの反乱を怖がった党は、自分の息子なら安心だと考え、二世の登用が目立ち始めました。人民の党を自称してきたにもかかわらず、武力を人民に向けたことがトラウマになり、人民からの批判を極端に恐れている。政権は、常に民意が脅威で安心できず、市民運動の抑圧へと動く。恐怖から理知と判断力を失っているかのようです。

     ■     ■
Q:海外から最近の中国をみる側の失望も大きい。
A:国内の政策と国際的な行動は表裏一体です。国内で人権を踏みにじり、不公正を放置し、環境や健康を犠牲にして経済成長を目指す中国の政権は、周辺国家と国際秩序に対しても脅威でしょう。

 日本は戦後、憲政の道を選びました。うらやましく、うれしく思いました。自由で民主的な日本は日本人にとって幸せであるだけでなく、中国人にとっても幸せをもたらす。私たちは歴史として身をもって知っているからです。

 中国が経済力も軍事力も備え、国際社会で力を持つようになったからこそ、中国の民主と人権は、とりわけ隣国の日本とは密接に関係しています。国際社会の関心は、中国に変革を促す動力になります。自らに連なる問題として中国の言論や人権の状況を観察し、意見を述べてほしいのです。(聞き手 編集委員・吉岡桂子)

 *
徐友漁:1947年成都生まれ。元中国社会科学院研究員。2014年度のオロフ・パルメ人権賞受賞。邦訳のある共著に「文化大革命の遺制と闘う」など。


文化大革命50年徐友漁2016.8.31


この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップに収めておきます。

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