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zoom RSS 読書の技法(その2)

<<   作成日時 : 2015/10/28 23:21   >>

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<読書の技法(その2)
図書館で借りた『読書の技法』という本を読んでいるのだが・・・
「図書館大好き」メモを日々綴る大使としては、参考になる技法が見つかるのが、ええでぇ♪


【読書の技法】
読書

佐藤優著、東洋経済新報社、2012年刊

<商品説明>より
月平均300冊、多い月は500冊以上。佐藤流本の読み方を初公開!1冊5分の超速読と30分の普通の速読の仕方、哲学書や小説・漫画の実践的読み方、記憶に残る読書ノートの作り方まで完全網羅!

<読む前の大使寸評>
目次を見ると、多読の技法、読書ノートの作り方なんかが載っているので、借りたわけです。
佐藤さんは月平均300冊も読むのか・・・ムムム、桁がひとつ違っているで!

rakuten読書の技法

この本は読みどころが多いので(その2)として読み進めたのです。

佐藤さんは月平均300冊も読むそうだが・・・・
無理だと知りつつも、その超速読法を極めようと思うのです。
p78〜80
<超速読の目的は2つ>
 超速読の目的は2つある。ひとつは、前述したように、「この本が自分にとって有益かどうか」「時間をかけて読むに値する本かどうか」の仕分けである。
 しかし、この判断ができるためには、その分野について一定の基礎知識があるというのが大前提になる。

 すでに十分な知識がある分野か、熟読法によって付け焼き刃でも一応の基礎知識を持っている分野以外の本を速読しても、得られる成果はほとんどない。知らない分野の本は超速読も速読もできないというのは、速読法の大原則だ。グルジア語がわからないのにグルジア語で書かれた本のページをいくら一生懸命めくっても、指の運動にしかならず、知識がまったく増えないのと同じである。

 超速読のもうひとつの目的は、「この本はこの部分だけを読めばいい」「この箇所を重点的に読めばいい」という当たりをつけることである。
 5分という制約をかけてページをめくり、気になった箇所が後でわかるように印をつけるのはそのためだ。ここでも、シャーペンやポストイットで判断できる基礎体力があるということが大前提になる。

 よって、超速読では、シャーペンで印をつけポストイットを貼るなど、本を「汚く読む」ことが重要だ。だから超速読で済ませる本でも、必ず購入する。立ち読みのルールは、商品としての本を汚さないことだが、それでは判断を下すための超速読はできない。

 そう言うと、読者から次のような質問を受けることがある。
 「タイトルを見ただけですぐ買ってしまい、その後、読まずに積んでおくだけの本がたくさんあります。どうすれば『積読』を防げるか解決法を教えてください」
 タイトルは著者と編集者が腕によりをかけてつける。裏返して言えば、魅力的なタイトルがついている本は、出版社がそれだけ力を入れて作っている本ということだ。したがって、タイトルにひかれて購入し、とりあえず「積読」になっていても、仕方がない。

 そのうえでおすすめしたいのは、自分の本棚にあえて「積読」本のコーナーを作り、5〜6冊たまった頃合いを見て、超速読をしてみることだ。
 休みの日に、超速読を用いて30分くらいで全冊、全ページに目を通せば、何らかの発見があるはずである。


次に「普通の速読」の技法を見てみましょう。
p88〜89
<「完璧主義」を捨て、目的意識を明確にする>
 次に、熟読法・速読法を通じて最も難しい「普通の速読」の技法について記す。
 普通の速読で最も重要になるのは、繰り返し述べているように基礎知識だが、その次に大切なのは、本の内容を100パーセント理解しようという「完璧主義」を捨てることだ。

 「時間は有限であり稀少財である」という大原則を忘れてはいけない。速読はあくまでも熟読する本を精査するための手段にすぎず、熟読できる本の数が限られるからこそ必用となるものだ。速読が熟読よりも効果を挙げることは絶対にない。

 その意味では、「もう二度と読まない」という心構えでのぞむことが大切だとも言える。そうした気持ちで取り組まないと、必要な情報が目に飛び込んでこないし、頭にも残らない。いい加減な気持ちで何回も繰り返してしまうと、結局、熟読したのと同じだけの時間がかかってしまうことになる。

 また速読をする場合には、必用とする情報についての明確な目的意識も必要だ。
 たとえば、藤原正彦『国家の品格』を読む場合に、「藤原氏のレトリックから学ぶ」という問題意識を持つ場合と、「同書の論理構成とウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とが類似している部分を調べる」という問題意識を持つ場合とでは、着目する箇所が自ずから異なってくる。


ダボハゼのように図書館の本を読んでいる大使にとって、佐藤さんの基本書の選び方などは参考になります。
p59〜62
<まず本の真ん中くらいのページを読んでみる>
 では具体的に、3冊の基本書を使えば、たとえば民族問題について、どの程度の基本知識を身につけることができるかを検討していく。基本書には、次の3冊を使う。

 ・ベネディクト・アンダーソン『定本想像の共同体ナショナリズムの起源と流行』
 ・アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』
 ・アントニー・D・スミス『ネイションとエスニシティ歴史社会学的考察』

 最初に、これら3冊の基本書のどれから読み始めるかを決めなくてはならない。
 それにはまず、それぞれの本の真ん中くらいのページを開いて読んでみる。

 なぜ、真ん中くらいのページを開くのかといえば、本の構成として、初めの部分は「つかみ」と言って、どのように読者を引き込むかという工夫を著者と編集者がしており、最終部の結論は、通常、著者が最も述べたいことを書いていっるので、読みやすいからだ。翻訳書の場合、そのような本自体の構成に加え、真ん中くらいになると緊張が続かなくなり、翻訳が荒れてくることがある。

 真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。あえて、このいちばん弱い部分をつまみ読みすることで、その本の水準を知るのである。
 この3冊の場合、この基準で言うと、まず『民族とナショナリズム』が脱落する。日本語としてわかりにくく、内容がとらえにくいからである。

 ただし、翻訳者の名誉のために強調しておくが、本書の翻訳は正確である。原著の英文に当ってみればわかることであるが、ゲルナーの文章は、さまざまな隠喩や、インテリならば知っている人物や著作については詳しい説明を加えていない。

 マルクス主義のナショナリズム論を批判した部分がいい例だ。
 ここでゲルナーは、シーア派の一部が、大天使ガブリエルは、アリ(4代目のイスラム教指導者)に対して行うべき啓示を誤まってムハンマドに対して行ったと主張したように、マルクス主義者は、プロレタリアートに届けるべき「目覚めよ」というメッセージを民族に配達してしまったという、郵便の「宛先違い」の理論は成り立たないと言っている。ゲルナーの主張を理解することは、イスラーム教、スンニ派とシーア派のドクトリンの相違、さらにマルクス主義の唯物史観の基本構造について知識がないと不可能だ。
(中略)

 実を言うと、『民族とナショナリズム』を完全に消化できれば、民族紛争のみならず、グローバリゼーションが引き起こす問題や、アルカイダ型のイスラーム原理主義過激派の問題を解明することも容易になる。しかし、現時点の実力で理解できない本については後回しにすることが合理的だ。
 どの順番で本を読むかということも、重要な読書の技法である。


読書の技法(その1)

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